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 息子の成長に感動し、芸術への造詣を更に深めた早春の旅
※本記事の内容は文芸春秋昭和16年1月号、2月号発表「早春の旅」(志賀直哉)を基とし、新潮文庫「志賀直哉」(阿川弘之)を参考に私が編集を加えたものである。読者諸兄におかれては記事内容で何か訂正すべきものがあった場合は遠慮なく指摘して頂きたい。

 直哉が57歳となったばかりの昭和15年3月、持病の胆石の痛みからようやく解放され健康を取り戻した志賀直哉は中学生で15歳の息子を連れ9泊に及ぶ旅に出ている。
 
※奈良の高畑サロンで撮影された中村一雄氏撮影の写真(インターネットから借用)
二列目右端が志賀直哉、前列右端が息子の直吉(二列目右から二番目は友人の武者小路実篤、前列右から三番目、妻康子、他は家族、書生、女中と見られる)
撮影時期は一切明らかにされていないが、子供の成長ぶりから推定して昭和7、8年ころと推定した。従って今回の早春の旅の7、8年前くらいの写真と解釈して頂いて結構である。

※旅程を地図でご覧頂きたい。東京(自宅)~京都~奈良~大阪~富山県宇奈月温泉~直江津~赤倉~帰路である。
○:北陸路で二人が宿泊した宇奈月温泉、□:二人がスキーをした赤湯スキー場

 3月19日に東京を出発した直哉親子は京都で弟の直三と合流し五条坂の陶芸家、河井寛次郎氏を訪ねた。ここで直哉は河井氏と自らも造詣の深い陶器の話に興じ帰りしなに抹茶茶碗と湯呑をもらいうける約束をしている。その後も三人で大徳寺山内の紫峰邸を訪ねたり今宮神社、光悦寺などを巡ったりした。その晩直三と別れ、京都二日目は親子で寺町、新京極、四条通り、河原町を歩き古美術や禅寺の探索をしている。

 そしてあくる日はかつて13年も住んだ奈良へと向った。古都の神社仏閣はかつて見たものがほとんどで直哉は懐かしくその旅路を楽しんだ。
 
 奈良初日は東大寺塔頭、勧進所の上司海雲(華厳宗僧侶、かつての高畑サロンのメンバー)を訪ね見事な天平の鬼瓦などを見学した。奈良二日目、直哉は息子を別な場所にやり一人で奈良博物館に向った。ここで若いころは好まなかったという嘘空蔵菩薩の美しさにひかれる。単なる仏像の外面のみでなく内面への深い洞察、これは彼自身の心境の変化であり、古美術に対して彼の見る目が年を追うごとに肥えてきたことの証と捉えていいだろう。
 
                ※石井鶴三作、「法輪寺嘘空蔵菩薩」

 直哉は文中で奈良を越した理由を「男の児を育てるには何か物足らぬものを感じて東京に移った。」としているが、一方では大いに未練を感じ「昨年胆石で寝ているときなど矢も楯もたまらず奈良に帰りたかった。」とも語っている。大阪では昨年亡くなったばかりの日本画家の村上華岳の絵を見物した。華岳の絵で直哉は特に六甲山の絵が気に入っていると述べている。
                             
                ※日本画家、村上華岳(1890~1939)

           村上華岳「裸婦」、まるで菩薩を思わせる絵である。

             直哉が特に惹かれたと語る華岳の「六甲夏山図」

 大阪の豊中の沖原氏のところで絵高麗梅瓶も見物し、新たな感銘を受けた直哉はその晩息子とともに夜汽車で北陸へと向った。

 中学生の直吉としてはここまでは大きな存在の父の陰に隠れ、まるで付添の鞄持ちのようであったが、ここからは遠慮することもなく堂々と対等に振る舞うことになる。
 
 夜汽車の中で二人はこんな会話を交わしている。「これからは俺のほうがお供だよ。」これに対して直吉は「それじゃあこれからは自分の鞄は自分で持つことにしましょう。」と無邪気に返している。この時の心境を直哉は作品中でこう語っている。私は今までの旅も楽しかったがこれからも楽しい気がした。直吉も喜ぶことだろう。二人は何となく快活な気分になっていた。”大人になりつつある息子との会話に直哉もさぞかし心を弾ませたのだろう。
 
 この後、二人は直哉の思いつきで急きょ北陸の三日市という駅で乗り換え、宿を黒部の宇奈月温泉というところにとることにした。この宿は「延対寺」といい一風変わった名の宿であった。(直哉親子の泊った当時の宿は現存していないが、今では「延対寺荘」という立派な温泉ホテルに生まれ変わっている。)直哉親子は宿のはからいで浴室の直上の部屋に泊めてもらうことになった。
 
 以下文中より抜粋”前はすぐ断崖で眼の下深く川を見下ろし、対岸はまた高い山に続いている。階下の浴室から立ち昇る湯気が窓の前にただよい、外側から窓硝子を曇らしていた。”親子はなかなかいい部屋に泊ったようである。この日、直哉は息子と一緒に入る趣のある温泉に或いは25年半前の城の崎温泉での療養のことを重ねたのではないだろうか?
 
 湯に入った親子は父子の付き合いを越え文字通り男同士の裸の付き合いとなった。作品はこの風呂での父子のやり取りをこう伝えている。直吉は感極まったのだろうか。スリッパを履いたまま風呂に入ろうとして、これを直哉がはやし立てる。「オイ、傑作、傑作!」直哉は大阪の宿でシーツを掛け布団と一緒にまくりあげてくるまり、息子にその失態をはやし立てられていたのでかたきを討つ心境であったことだろう。まことに微笑ましい会話である。
 
 あくる日二人は赤湯スキー場へと向った。スキー場ではもはや若い直吉の独壇場となった。ここで直滑降しかできず止まるには倒れるしかなかった直哉は息子のスキー技術の上達ぶりに舌を巻くことになる。直哉の瞼には息子直哉が自分を越え、軽やかに描くシュプールがさぞかし眩しく映ったことだろう。
 
 ※文中で直哉はスキー場から遠くは長野県野尻湖を望めたと言っている。おそらく73年前も、この写真のような快晴だったに違いない。

 そして帰りの列車でミカン32個を平らげた息子に驚き頼もしささえ感じた直哉。ここに見る直哉にはかつての父との対立に見るような尖ったものは何も見当たらない。この時、既に父直温は亡くなっていたが直温の生前の信条であった志賀家の存続と繁栄を思う気持ちは十分に直哉に伝わった感がある。そしてその気持ちはこの意義深い男同士の旅行を経て直哉から直吉にも伝わったに違いない。
 
 「こいつなら志賀家を立派に継いでくれる。…早春の各地を舞台に繰り広げられた父子のかけがえのない触れ合いと信頼の構築。芸術の道に通じ、多くの人々の幅広い人望を得、人生の円熟に達した直哉を感じる感動の名作!
 
本ブログの志賀直哉の研究に関する資料へのリンクは次の通りです。記事の内容を他のサイトに引用される場合は一言お申し出ください。
※志賀直哉生誕130周年を偲ぶ旅http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31505557.html
※志賀直哉生涯23回の引越しの謎http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31434256.html
※志賀直哉東京麻布邸へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31458035.html
※志賀直哉「自転車」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html 
※志賀直哉「城の崎にて」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/28846600.html
※志賀直哉「和解」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29210086.html
※志賀直哉「暗夜行路」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30025253.html
※志賀直哉「小僧の神様」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30176213.html
※志賀直哉「清兵衛と瓢箪」へリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30989155.html
※志賀直哉「山形」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31212264.html
※志賀直哉「大津順吉」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31299760.html
※志賀直哉「雪の日」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html
※志賀直哉生前インタビューhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31385305.html
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コメント

No title

15歳の息子の直吉さんとの旅、いい感じですね~。。。志賀直吉で調べたら、下記の記事がありました…。ご参考まで。。。

志賀直哉記念館の構想断念 大山町、故人の遺志で

志賀直哉(1883-1971年)の小説「暗夜行路」の舞台となった鳥取県の国立公園・大山にある宿坊だった蓮浄院を買収し、「志賀直哉記念館」として整備する計画を進めていた大山町は15日までに、遺族からの申し入れで構想を断念した。 計画では、直哉が宿泊した離れを修復し、老朽化の激しい母屋は取り壊して復元。ゆかりの品々を展示し、観光客誘致と地域の活性化を見込んでいた。 この計画を新聞記事で知った直哉の二男の志賀直吉さん(76)=東京都渋谷区=が「志賀直哉は遺言の中で『記念碑や記念館は一切断る事』と記している」と、同町に連絡。黒田隆弘町長が遺族と会い、記念館にはしないが、説明板は設置することで了解を得た。 直吉さんは「作家は作品で名前が残れば十分。これまでも施設は断ってきました」と話している。
2002/05/14 23:11 【共同通信】

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

息子さんとの旅の思い出、とても心暖まる情景が目に浮かんできそうです。
成長していく姿は頼もしくもあり、微笑ましい親子関係が
文面からも感じられますね。
多くの作品の中で彼の生涯を通しての背景も一緒に感じる事が
できる解説だと思いました。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
作品を通じてしか知ることの出来ない、志賀直哉の姿が親子関係や交友関係から垣間見ることが出来ますね。親子で思いっきり羽を伸ばして楽しんだことでしょう。志賀直哉も、数々の古美術に触れられて満足だったと思います。おそらく、何かしらの名品を京都で購入したことでしょう。
興味深く拝読させていただきました。有り難うございました。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、息子とこういう信頼関係が築けたら最高でしょうね。(笑)
直哉が遺言で「死後には記念館を建てないよう」述べているのは去る1月28日に本ブログにコメントを頂いた「志賀直哉の石巻生家と東京麻布の住まい 」の記事の71行目に書いている通りです。
直吉さんとしてはその遺言を引き継いだ対応だったのでしょう。
ちなみに奈良の高畑サロンは記念館ではありませんがオーナーが大学に変わったため、一般公開しているようです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、評価を頂きありがとうございます。
これまでの直哉は硬派というイメージがありましたが、それが変わるほどの息子との微笑ましい関係、思わず私も目を細めてしまいました。(笑)
息子とこういう関係は私と御両人の歳恰好が似ているだけに一気に作品に引き込まれてしまいました。
そして古美術、庭園、仏閣巡りへの趣味。
結果からいえば戦争突入前だからこそできた行脚で、一年後にはとてもできないものでしたが素晴らしいタイミングだったと思います。
時代は違っても見習うべき点が多い73年前の早春の旅でした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、評価を頂きありがとうございます。
ここに紹介した古美術はもちろん作品中の一部ですが、今回の一連の行脚でおそらく分厚い古美術書が書けるのではないでしょうか。
それだけ内容の濃い古美術を巡る旅だったと思います。
志賀文学は時として作品全体が古美術や日本庭園の趣を呈しますが、まさに本作もこのパターンだったと思います。
古美術から心の安らぎを得て息子とのコミニケーションも取れ、彼としては人生の興隆を大いに感じた旅だったのではないでしょうか?
彼の文学にいそしみ、私自身も心の洗われるような清々しさを強く感じております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんにちは。

当時の交通機関では9泊も致し方ないのでしょうが、当時は大旅行なのでしょうか。
今ですと、2,3泊で回れそうなルートですが、当時は大変でしたね。
日本庭園や、古美術の興味が有るとは知りませんでした。

私も振り返ってみると、息子とのふれあいは余り記憶が有りませんが
何とか、育ち、職のも付き家庭を築いております。

ミックさんの勉強熱心さで、私も大変勉強になりました。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、この旅行の特徴は夜汽車を多用したところにもあると思います。
実は大阪~北陸以外にも初日の東京~京都も夜汽車を利用したのです。
夜汽車の中での二人はさぞかし楽しい時間を過ごしたのでしょうね。
今なら半分以下の期間で回れたのかも知れませんがかけがえのない父子の関係を築いた中身の濃い旅行だったと思います。
ナイスを頂き感謝しております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

古美術、庭園、仏閣巡り。。良いですね~。今一番やりたいことです。それにしても。。この梅瓶良いですね~。
私、民藝運動のイギリスでの伝わり方や、イギリスでの現状などをイギリスにいる頃にリサーチしてました。
私のイギリスの母とも言える人(陶芸家)が、ちょうどこの写真のような陶器を作ってました。ミックさんの文章といろいろ重なって、、、感慨深い思いです。

URL | プチポア ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

プチポアさん、おっしゃるお言葉から思い出される人物は柳宗悦や白樺派の文士と知り合い、我孫子を拠点に活動をしたバーナードリーチですね。
リーチは直哉の家にも卒中顔を出し、彼らのコロニ―で家族ぐるみの交流をしていたと「志賀直哉」(阿川弘之著)の上巻に出ていました。
このような古美術を見る目が彼の感性と融合し、小説を更に格調の高いものに仕上げています。
私もいつしか直哉のように心の平穏を求める旅をしたいと考えております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
この記事をトラックバック頂き、そこからお邪魔させて頂きました。
「早春の旅」の京都・奈良間の列車の車窓から木津川を望む辺りの描写、最後のスキーの場面の親子の様子が楽しくて親しみ深い作品です。
奈良在住の頃の作品といえば「万暦赤絵」など、笑いながら読みました。あの頃の直哉の穏やかさもいいですね。

作品に合わせてのお写真掲載MN!です。

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、万歴赤絵は直哉の犬好きが出ていて微笑ましい作品ですね。
阿川弘之によると直哉は生涯に於いて三度の執筆停滞(①T3~T6、②S4~S9、③S17~S20)を経験しているということですが、それを打開できたのは①寺社仏閣巡り②古美術への傾倒③動物への愛護と語っています。
それがよく表れた作品だと思います。
この作品は53歳時の執筆ですが人間的に丸くなったという感じがします。
いずれ本ブログの志賀直哉シリーズで取り上げたいと思います。
MNありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん
嬉しいです。私の大好きなバーナード・リーチの名前が出てくるなんて!!私セント・アイヴスにあるリーチの窯元に行きました。息子の時代になってましたが。あそこは本当に良いところでした。
イギリスでありながら、イギリスらしくない風景。南仏のようでした。彼の芸術に対しての前向きさや大らかさを感じるような所でした。
ミックさんに、是非訪れてもらいたい土地です。

URL | プチポア ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

プチポアさん、志賀直哉に興味を持つことで白樺派にも目が向き、バーナード・リーチにも興味を持ちました。
おっしゃる窯元は彼が帰国してからの場所ですね。
彼の作品も是非見てみたいですね。
PS:本日直哉の唱えた「仏語を日本の言語」にという部分を読んでいました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

若い時には読めなかった作品です。

今 その素晴らしさが ミックさんの紹介文だけでも
伝わってきます。
直哉と父親 直哉と息子という読み方をしても興味深いですね。
人はどんなときに旅に出るのか 人生においての旅の
位置づけ、、、親子旅 して見たくなりました♪

URL | つや姫日記 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

つや姫さん、古い記事へコメントを頂き感謝しております。お察しのように直哉は単なる作家だけではありませんでした。
良き父であり、良き師匠(彼には弟子が四人も居ました。阿川弘之氏を含め何れも大成)であり、大変な社交家でもありました。奈良から東京に移り住んでからは多い時で一日百人を超える来客があったと言われます。(阿川弘之著「志賀直哉」より)
彼は若い時は怒りっぽくてギスギスしたところがあったのですが34歳で実父との和解を経てから、作家として更なる飛躍を遂げました、そして多くの文化人、芸術家とも交流した作家でした。
ちなみにヘッダーの後列左端は弟子の阿川弘之(女優阿川佐和子の父親)、前列右端は親友の武者小路実篤です。
コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミック様へ
志賀直哉は良い人生を送ったのだなと感じます。こんな親子関係を見ると凄く羨ましいです。これが出来るようで中々出来ない。実際直哉自身は父親と上手くいかなかった訳で。それがこの息子に対する愛情でもあるのでしょうね。そんな気がしました。それにしても羨ましい。ナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 不あがりさん
貴兄は直哉と父の関係をよくご存知でいらっしゃいます。
お互いに死を願ったほどの険悪な親子関係が教訓となって息子の直吉とわいい関係を築く。
このあたりが直哉の素晴らしい部分と受け止めております。
貴兄の采配により、過去に記事にコメント頂いたことに深く感謝しております。本日はコメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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