fc2ブログ
新説「伊達家分裂を恐れた政宗と母義姫の芝居」 
 
 皆さんは伊達政宗についてどんな印象を持っておられるだろう。人質に取られた父を敵とともに撃ち殺したこと、母に毒を盛られ、暗殺を謀られ、その母の代わりに弟小次郎を斬ったこと…。こういった家を守るためならたとえ父や弟の命と引き換えてもこれを厭わない姿勢は度胸が据わっている範疇を既に超えており、そのすさまじい生きざまには非情なる武将さえ感じるかたも居られるのではないだろうか?

 この日の二番目のテーマである政宗毒殺未遂事件はこれまで多くの歴史研究家が母義姫の策略として捉えてきたことであるが、今回のセミナーはこれに異論を唱えるとともにこの説を根底から覆すものである。
 
 この説はこれまで少数意見として存在したものの、物的証拠が不十分で仮説、推論の域を出なかった。今回、多くの証拠をそろえ、この説を理論的に唱えるのは元仙台市博物館館長で伊達政宗研究の第一人者と言われる佐藤憲一氏である。
 
 実は何を隠そう私もこのセミナーに参加するまでは宮城県北部の柳津町横山の小次郎の墓を4年前に訪れ、兄に切られた彼のことを伊達家存続のために犠牲になった悲運の人物として捉えていたのである。
弟小次郎殺害へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/19616687.html
 
 では今までの定説を覆すのには果たしてどんな根拠があるのだろう。セミナーではこの点について佐藤氏から関係する古文書をOHPで掲示しながら解説がなされた。今回はそのポイントのみをかいつまんで記す。

1、従来もそうであったように小次郎を担ぎ出そうとする対抗勢力の動きを示すものは何も見
られない。
 
2、政宗と母は事件直後も相当な頻度で手紙をやりとりしていた。(政宗側から出された手紙の多くが現存するがその中に母との確執を見出すことはできない。)
 
3、母義姫は事件後出奔し実家である山形に逃げ帰ったとされているが、しばらくの間、伊達領であった岩出山に滞在していたことが手紙によってわかった。(義姫が事件の首謀者であれば岩出山に居られるはずがない。)
 
4、現東京都あきる野市の大悲願寺という寺の過去帳を調べると、かつてのこの寺の住職を務めた僧侶に秀雄なる人物が存在しその人物が伊達政宗の弟であった記録がされていること。(過去帳の写真をOHPで公開)また政宗はこの寺の住職と手紙をやり取りし、気に入った白萩の木を分けてもらうように頼んでいる。
 
5、伊達家のことを記録した伊達日記という古文書が存在するがその中でも政宗が小次郎を切った描写がされていない。(文にはうったと書いているだけがこれは小次郎の殺傷の偽装を装うものでなかったのではないか?)

伊達天正日記には4月7日小次郎殺害の件ははっきりと書かれていない。

 最後に佐藤氏から伊達家の存続に関わる重要な考察が述べられた。
 
 佐藤談「この事件は伊達家にとってはお家存続の一大事であった小田原参陣の直前に起こった。家督である政宗の生死が危ぶまれたこんな重大なとき、藩主政宗が彼の唯一の弟であった小次郎を斬ったりするだろうか?これは藩の二分を恐れ、家督は政宗一人のみとする狙いで政宗と母が共謀して仕組んだ家臣団への偽装でなかったのか。大悲願寺の過去帳の信憑性は極めて高いと考える。」
 
 昨年、別のセミナーで豊臣秀吉の海外政策を取り上げたとき東北大学の平川教授が「歴史において新説を唱えるとき、その説が今までの説と比してどれだけ説得力があるのかが問題」と語られたがまさに説得力のある同氏のセミナーであった。最後に山形に帰り、長年別居していた母が再び仙台に戻り政宗と再会するときに詠んだ二人の歌を紹介する。

 母の返しの歌が極めて親愛に満ちている。息子政宗の作った仙台が千代まで続くようにと願いを込めているのだろう。この歌を見る限り政宗と母の間には確執どころか、再開を喜ぶ親子の親愛の情があふれており、私もこの説を強く支持したいと思った。
 
 また不遇の死を遂げたとばかり思っていた小次郎が仏門に入って生き延びた?ことを知り、なにか清々しさを感じるとともに胸をなで下ろすような思いであった。
関連記事

コメント

No title

こんばんは。
記事を拝見してかなり驚きました。まさに歴史を覆す新説ですね。
他の戦国大名、父を追放し、弟を殺害した信長や兄弟で家督を争った話はいくらでも有りますから、数々の逸話もすんなり受け入れられていたのかもしれませんね。
伊達政宗の性格ですが、前にも書きましたが、豪胆というよりは、慎重な人、悪く言えば、臆病な性格だったのではないかと私は思っています。しかし、それだけに、家臣達への面倒見はよかったであろうし、力に頼らずにいた分、知略に長けていたのではないかと想像しています。
興味深い、お話を有り難うございました。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、今回のセミナーでは会場でどよめきが起きたほどで波紋の大きさが伺い知れます。
佐藤氏の著書に「伊達政宗の手紙」というのがあり、その中で彼が書いた多くの手紙を現代語訳にしており解説を加えておりますが、その手紙や過去帳が今回の説の根拠となっているようです。
伊達藩の結束の堅さの根底は主君政宗の手紙に負うところが多いと思います。
この中には朝鮮出兵時に戦死した家臣への慈愛に満ちた気持ちを綴ったものもあり、彼の人柄を偲ばせます。
セミナーを受けるまで、或いはこの手紙を読む前まで、彼に対して非情という印象が確かにありましたが、この説を聞いた後では明らかに変わり、「したたか」というニュアンスを強く持ちました。
彼の弟、秀雄の一生を追うのもまた一考なのかも知れません。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

私も伊達政宗の母親との不仲説や弟暗殺の話は大河ドラマや映画
また伊達政宗に関する資料などで今まで、そう思っていた話だったので、新説の根拠を読んで新たな発見だと思いました。
伊達家の話の他にも殺害された筈の歴史上の人物が生きていた、と
いうお話は時々聞きますが
政宗の場合、血をわけた家族と憎しみあっていたイメージがあったので、新説を読んでまた彼の新たな面が知れたような気がします。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、この新説を知り、政宗は弟も切ってないし、伊達の家臣を分断することなく目的を果たし二兎を得たような気もします。
戦国の世を生き伸びるのはまさに綱渡りの連続だったと思います。
まさに彼は家を守るために柔と剛を入交えた策を駆使したとも言えますね。
それにしてもよく考えた方法だと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

歴史上の話は、調べて行く内に、変わってしまう事が
多いですよね。
伊達政宗についても、ミックさんのお話のお陰で、
いろんな事を知りました。
いつもながら、ミックさんの研究熱心さには、感心
させられます。

URL | yoko ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

yokoさん、評価を頂きありがとうございます。
それにしても歴史への考察は時代と共に変わるものですね。
このセミナーに参加して政宗に対しての今までの印象が変わりました。
それと母上の返しの句の千代云々というところに感動しました。
やはり二人は堅い親子の情で結ばれていたのだと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

歴史の評価は、時が変われば、ひっくり返ることもあるのですね…。。。私には疎い分野ですが、詳細な説明ありがとうございました…。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
戦国の世を生き抜くための苦肉の策だったのでしょうね。
親子の情愛を感じ取れる新説に、ほっとする思いです。
興味深い新説にナイス!です。
いつの世もこうした知恵に救われて存続することを願うばかりです。

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、この説には説得力があるので非常に驚きました。
彼に感じた非情さがしたたかさに変わった今回のセミナーでした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、弟も殺すことなく家も安泰というところにこの策の真意を感じました。
今回の新説を信ずる時、知将であり、したたかだった政宗の生きざまがまた浮き彫りになった気がしています。
波乱万丈で数奇な人生、我が郷土の戦国の風雲児には多くの筋書きのないドラマを感じております。
MNありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

これだから歴史は面白いのですよね。
とうの本人亡き後、残された手紙などの手がかりを
もとにあ~でもないこ~でもないと探っていく
。。。探る人の心情も入ったりして時には偏りも
あるけれど。。。深いですねえ。
本人がひょっこり登場して当時の本当の気持ちを
語ってくれるといいのにって思います。
あ。。。そうなってくると研究家は楽しみがなくなりますか。
新たな事実を教えていただき有難うございます。
政宗は母親に憎まれ父や弟を殺したという
とてつもない荷物を背負ってるから何だか影があって強くて
カッコイイなって思ってたので。。。イメージ変わりました。

URL | まゆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

まゆさん、人の世の流れを大河とするならばこんな出来事などほんのささいな事なのかも知れません。
それでも注目されるのは彼が戦国武将であったからです。
私はこういう歴史事象で似たようなケースがあったならば戦国武将という線を引かず、スポットを当ててみたいと思います。
でも陸奥の風雲児は好きです。
なぜなら慶長遣欧使節を派遣したのは彼ですから。
今後とも伊達政宗を宜しくお願いします。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんばんは。
この事件は政宗が反対派を一掃するための策略説もありますから、その場合は弟を殺す必要性はなく、生きていた可能性は十分にありますよね。
しかし、弟が生きていたと仮定したとき、1つ疑問が残ります。それは、弟が歴史から完全に姿を消していることです。政宗と母のやり取りを見るに、政宗は肉親に対して惜しみない愛を注いでいます。もし、弟を思っていたならば、政宗は弟が表舞台から完全に消えるようなことをするでしょうか?義姫と同じように、いずれは報われる形をとるのではないか?という想像をしてしまいます。(母と弟の立場の違いはあります)
人一人を完全に歴史から消しさるのは難しいようにも思います。嫡男ではありませんが、跡取りの可能性もある人物ですから。

政宗には愛情にあふれた顔、激情家の顔、策略の顔、秘匿されている顔…このようにさまざまな顔がありますから、このように色々な想像が溢れますよね。それも政宗の魅力かもしれません。

URL | 巻町 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

相互トラックバックありがとうございます。ご報告までに

URL | 巻町 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

巻町さん、ご高察を賜り感謝しております。歴史考察は一方向ではなく、様々な角度で考察しなければならないのだと思います。
貴兄の貴重なご意見を真摯に受け止め今後の課題としたいと思います。
本日はコメント&相互トラックバックを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)