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石巻の生んだ文豪志賀直哉の生誕130年を祝う小旅
 志賀直哉は1883年2月20日、現宮城県石巻市住吉町に生まれた。ということは今年でちょうと生誕130周年を迎えることになる。生誕祭などは彼の遺言によってけしてしないように禁じられているため、私はきょう彼の生まれた石巻を訪ね、おごそかに彼の生誕の節目を祝うことにした。
 
 仙石線とJRバスの乗り継ぎで石巻駅に着いたのは11時ころであった。ご覧のように道路にはまだ雪が残っている。最初にお断りしておくが今回の探索は彼の生誕130周年にスポットを当てたあまりに、ブログにアップした写真が以前紹介した場所と一部重複していることをお許し頂きたい。(尚、生家と地図を除いては全て本日撮影した写真であることも併せてお伝えする。)

130年という歳月はもはや大部分を変えてしまったといってもよく、彼の生まれた明治16年ころと今の石巻では非常に大きな隔たりがある。彼の生家跡に行く前に私は発想を変え、逆に彼が生まれた130年前には何があったのかを探ってみようと試みた。
 
ここは鋳銭場跡地、今で言えば造幣局のようなものである。

今は猫の額のような狭さだが往時は140~150メートル四方の広大な土地であったようだ。
彼が生まれたころには今と比べてもっと別な趣があったのかも知れない。

あと200メートルくらい、直哉の生家に近づいてきた。こんな古い建物を見かけオーナーのかたと会うことができた。地震にも津波にも耐えて持ちこたえたところに感心した。おそらく直哉が生まれた130年前には現存したのではないだろうか?

このパレス食堂があるのは彼の生家の住吉町の西隣の千石町(旧横町)、昭和時代の建築で彼の生誕当時はなかったが私の生家と同じ町内でよく出前をとっていた経緯もあってあえて掲載することにした。

この食堂も津波の被害を受けて壊されるとのことで建て替えの後今年の7月にオープンするとのことだった。その際は是非訪れてみたいものである。
※昭和の古き良き風情を残すパレス食堂、これで見納めとなると思うと非常に寂しい…

この界隈の地図をご覧頂きたい。
赤□:志賀直哉生家。パレス食堂との位置関係を確認して頂きたい。

南側から住吉町を見渡してみた。突きあたりが父、叔父、叔母、私の母校の住吉小学校、直哉の生家までは500メートルである。

そして生家跡地に到着、本ブログで何度かお伝えした通り、往時の志賀家の建物は震災前に既に解体されている。

私は持参した小説を掲げ、小説の表紙となった青年期のりりしい彼の顔を見ながら、生家に向かってきょうここにはせ参じた理由を伝えた。

この写真はインターネットから借用した。1989年撮影とのことで以前のアングルとは違い左前方からのアングルである。彼の弟子の阿川弘之も述べているが後の東京の麻布の大邸宅とはまさに雲泥の差であった。
 
彼が生を受けた11日前の2月9日の石巻は記録的な大寒波に見舞われ最低気温氷点下14.6度を記録したとのことで、彼が生まれる直前、井戸水の凍結の懸念にそなえて湯を沸かせと父の直温が銀(生母)や女中に指示したと言われる。当時は水道どころか電気やガス等のインフラが一切ない時代でもあった。
 
しかしこれはとり越し苦労に終わる。阿川弘之によると彼の生まれた2月20日の気温はやや寒いものの日中の最高気温は1.7度、風速11メートルとのことであった。
 
ちなみにきょうの石巻は4度くらい、風はないものの、ほぼ130年前の彼の生誕日に近かったのではと思われた。
 

これは彼が生まれてから9年後の明治25年の石巻地図である。彼が生まれたころとはさほど違ってないものと推測される。アルファベットのAという文字をひっくり返したような独特な町の形を現在の航空写真と見比べながら以下の三つの場所を特定してみた。住吉神社は見られるものの住吉小学校はない。
 
直哉の生家から200メートル北に行った地点(現、住吉小学校校庭)は藩政時代には米蔵があったところで、ここから上流の米どころでとれた米を江戸に向けて積み替えて運ぶ水運の要衝でもあり、彼が生まれる以前の生家の周囲にはこの荷役に従事する者も住んでいたのではないだろうか?
 
また直哉の祖父が相馬家の家老であったことから、この地と相馬藩の深い関わりも伺わせる。それにしても極めて興味深い地図である。
※鳥居マーク:住吉神社、赤○:志賀直哉生家黄色○:旧相馬家別邸

これは彼の生家の真向かいのたたずまいである。生母銀が祖母に書いた手紙には直哉を川遊びに連れていくシーンが登場するが、彼もこの狭い路地を通り、銀に手をひかれて川岸に行ったのかも知れない。

これは彼の生家の斜め向かいの住まいで、往時の生家と造りが似ていることから、ほぼ同じころに現存した建物と推定した。おそらく幼い直哉も毎日この建物を見ていたことだろう。

北上川の川べりに出て見た。一昨年の津波で堤防がかさ上げされている。私の子供時代はまだ未舗装であったので、当然直哉の生まれたころもでこぼこ道であったはずである。

 これは特ダネものかもしれない。直哉の生家の前の説明書きによるとこの建物は旧相馬家別邸とのことである。直哉の祖父も相馬家家老であったことから、この地が相馬家とゆかりの深い地であったことが偲ばれるものである。
 
 阿川弘之によるとこの近所には志賀家の親戚であった木村家の人々も住んでおり、直哉生誕の時は親類の取り巻きもまた賑やかであった書かれている。
相馬家別邸を西側のほうから望んでみた。この黄色い土壁がかろうじて往時の面影を残しているように思えてならなかった。ちなみに土地の人への私の聞きこみによると持ち主は既に数度変わっているとのことであった。

川べりの道を通って住吉神社に出た。ここは幼い彼が母や女中に連れられて遊びに来たと推測される。

手前が巻石のある小島、ドームは石森章太郎漫画館、バックの山が日和山である。
彼の幼いころは石森章太郎漫画館を除いて似たアングルであったと推測される。
ここで小島の松の木の下にある小岩に注目されたい。この石は何を隠そう非常に有名な石である。

本ブログで何度も紹介している巻石(石巻の地名の由来になった石)である。
震災後に見たのは二度目だが結構潮が引かないと見えないのである。
それもきょうの川の水は透明度が高くなんと石の全容が見渡せる。
それと小島と岸の間の川底が見えたのは子供のころを含めて初めてであった!
これは石巻人としては感激に値する瞬間である。
きょうはついていたのかも知れない。
否、私はきょうの好日は彼が呼び寄せたと解釈したい。

北上川のさざ波に顔を出す上機嫌な巻石。後に文壇の巨匠になる彼が129~128年見たであろう巻石に私は感動を覚え、彼に敬意を表し生誕の地をあとにした。
 
本ブログの志賀直哉の研究に関する資料へのリンクは次の通りです。
※志賀直哉生涯23回の引越しの謎http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31434256.html
※本ブログ「自転車」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html 
※本ブログ「城の崎にて」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/28846600.html
※本ブログ「和解」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29210086.html
※本ブログ「暗夜行路」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30025253.html
※本ブログ「小僧の神様」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30176213.html
※本ブログ「清兵衛と瓢箪」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30989155.html
※本ブログ「山形」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31212264.html
※本ブログ「大津順吉」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31299760.html
※本ブログ「雪の日」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html
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コメント

No title

こんばんは。
本日は、いつにも増して、興味深く拝読させていただきました。ミック様も、いつも以上に力をいれて書かれたのではないかと想像いたします。
志賀直哉も見たであろう風景だと思うと感慨深いですね。相馬別邸の立派な造りや、パレス食堂のレトロだが温かさがある佇まいに興味を惹かれました。
驚いたのは石巻の地名の由来となった石です。小さな石に見えますが、石巻の歴史には大きな存在なんですね。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

今日という日に彼の思い出を辿りながら生誕の節目を祝う事は
ミックさんの志賀直哉に対する研究心や強い愛情を感じます。
その場に立ち彼に対しての知識も深いからこそ、こちらにも
その想いや熱さが伝わるのだと思います('∀`)
巻石がこの日見れたのは、やはり喜んで迎えてくれたのですね。
とても素晴らしい一日だったと思いました。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは~^^

今日一日、良いお天気に恵まれて。。。。。
志賀直哉さん生誕130年のお祝の旅、楽しそうで良かったです^^
写真と共に、想いが良く伝わって来ますよ^^

震災にあわれた石巻の様子も知る事が出来て、嬉しいです。
ナイスhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s317.gif">

URL | Rain ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、おはようございます。

今日も、ミックさんの研究熱心には感心します、ブログを見ているだけで、歴史が手に取る様にわかり、楽しんで、拝読しております。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、今回の記事は直哉の生誕130周年に寄せたもので、別な視点で見たものですが、結果として一部の写真が過去に掲載した写真と重複してしまい恐縮しています。
この件は全ての写真がけして冷凍保存版でないこと(全て昨日の撮影)で御容赦頂きたいと思います。
探索を終えて、何か心が晴れ晴れするような余韻を残した昨日でした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

プチポアさん、文豪の中でも彼は自由主義者としての色が極めて濃く、ここに強い独自性を感ずるのです。
この作風を生みだした背景には何があったのか今まで多くの研究者がこのテーマに挑みました。
この阿川弘之の書いた「志賀直哉」が私の探究の心に火を点けてくれました。
昨日、彼の130年を祝い、私もようやく門をくぐったのかも知れません。
今後は作品のみでなくいろんな角度から彼を見据え、その深層を探究していきたいと思います。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、昨日は現地聞きこみが二件で、お察しの通りでかなり想いの入った探索になりました(笑)
また文学や芸術は机上だけからはけして生まれないことも痛感しました。
彼の作品も心の迷いや感動があっての物ダネだと思います。
阿川氏による尾道と良く似た石巻の河口付近の指摘がまんざらこじつけでない気も致しました。
彼の文学の原点は尾道だけでなく石巻にもありと感じました。
弟子の阿川氏の書いた「志賀直哉」上巻をほぼ読み終えましたが最後のほうにひがにゃんさんに是非お伝えしたい耳寄りな情報を発見しました。
それは彼の収集した古美術の写真を掲載した本の存在です。本の名は「座右宝」(ざうほう)、大正15年6月発行で200部出版、プレミアものとのことです。
あまりにも値段が高かったので後日廉価版も出版したとのことでした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、私は最近彼の文学のみでなく人柄にも傾倒しているといってもいいのですが、その理由はちゃんと人生の縮図を押さえ、自分の進むべき道を見据えているという点です。
もちろんこの心境に至るには多くの人生経験や様々な曲折がありました。
特に父との和解を得た彼はまるで別人のようにも見えます。
彼には阿川氏を始め多くのお弟子さんが居ましたが、共通するのはけして彼の文学への共鳴だけでなく心底その真っすぐな人柄に惹かれている点です。
知れば知るほど惹かれる、そんな一人の人物が志賀直哉です。
PS:昨日の澄んだ川の水に透き通る巻石はまるで直哉の心の中を見るような思いがしました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Rainさん、志賀直哉は日本のいろいろな場所に足跡を残していますが、そちらの近くですと鳥取県の大山にも行っています。
また島根の松江城の堀のそばや広島の尾道に住んだこともありました。
尾道のことは本ブログの「志賀直哉、生涯23回の引っ越しの謎」でお伝え済みですが、その他の地域の部分も今後お伝えしたいと思っています。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、「志賀直哉」シリーズでは各々の作品の魅力のみでなく、彼の人となりにもメスを入れてお伝えしていきたいと思います。
彼の生家は比較的近いのでまた訪れてみたいですね。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミック様、おはようございます。
ご教示有り難うございます。神田の古書店で探してみます。
志賀直哉は、審美眼が優れ、多くの逸品を集めました。コレクションの全貌が見えると、彼の人柄がまた見えてくるかと思います。「物を見ると、人が見える」骨董ではよく言われています。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんにちは。
今年は志賀直哉生誕130年になるのですね。
改めての生家近辺のご紹介、興味深く読ませて頂きました。
130年とあれば私も直哉の足跡を少し辿ってみようかと考えてます。
久し振りに巻石も見せていただき、感動しています。
直哉をめぐる意義深い小旅にナイス!

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんにちは。

石巻にいってらしたんですね~
昨日はお天気も良くて石巻を探索するのには好日でしたね!

130年前も今もそんなに変わらない土地のあり方が素晴らしいです。志賀さん家の直哉くんが今にも路地から出てきそう~

こんなに素晴らしい文豪が石巻から生まれたことに誇りを感じずにはいられません!宮城県民としてね。

ミックさんの探求熱心なところが、ますます興味が湧いてきます。
そして、なかなか魅力的な方ですね!ミックさんて♪ ナイス

URL | ミント ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、見つかるといいですね。
直哉がどんなものを集めていたのかは興味が尽きません。
彼にとって古美術と神社仏閣巡りはセットだったのでしょうね。
執筆活動に行き詰った時にけして人を当てにせず自分で打開する。
如何にも信念に生きた彼らしい生き方ですね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、昨日は付近の聞き込みもしましたが、なにせ130年前のことですので引っ越したかたも多く、なかなか情報が集まりませんでした;
直哉は京都、奈良、城の崎、尾道、松江、大山…彼は西日本にも多く足跡を残していますね。
阿川弘之氏は尾道と石巻の景観の類似と接点を語っており非常に興味深いですね。
このような考えはお弟子さんならではの鋭い感覚で捉えたものでなかったのでしょうか。それだけに尾道には是非行ってみたいですね。
直哉の人となりについては長所、短所もありますが、小説の神様ありきで考えれば必然のような気もしています。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミントさん、文学に対し一番最初に興味を持ったのは中学の国語で取り上げた「城の崎にて」でした。
最初の感想は学校にも行かず、仕事もせず、温泉に入れていいなー程度だったのです(笑)
次に短編「清兵衛と瓢箪」、「小僧の神様」を読み、それからずっと止まっていたのです。
その後、数十年のブランクがあり、「和解」や「暗夜行路」を読み始めたのはここ数年でした。
そして石巻の同郷ということもあり彼の文学にあっという間にハマりました。
形容詞を使い過ぎない簡素な文体、そして真っすぐな人となりに心を打たれたのです。
神社仏閣巡り、古美術への興味も彼の影響です。
まるで古美術とも言えるような志賀文学の探究はこれからもずっと続けてゆきたいと思っています。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

志賀直哉生誕130年の小旅、聞き込みもなされて力が入っていますね~。。。でも、楽しかったと思います。旧地図によると直哉の生家は、旧集落から離れた田圃の中にあったように見えますが、村民とはあまり交流のない生活をしていたのでしょうかね~。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、この地図の縮尺もありますが、周囲は住宅はあったと解釈します。
その理由は①土方倉三の泊った相馬家別邸やこの辺で名家の毛利家があった。②藩政時代は江戸に出荷するための米蔵があり、おそらくそれに従事する者が居住していた形跡があることです。
この時代は家督が直哉の父、直温でしたので第一銀行石巻支店長としての貸家で、仕事柄付近の住民と交流しないという意志はなかったと思います。
余談になりますが直哉の祖父が相馬家の家老でしたのでこの地は相馬家とも深い関わりがあったと思われます。
伊達と相馬は政宗以前に小競り合いしていた仲なのでこの辺のいきさつには新たな興味を呼びます。

それと再読したところ「当時の陸前石巻には水道どころか電気やガスなどのインフラは一切なかったであろう」とあります。
私の記事「お産の時に水道云々」の部分も訂正しますのでご容赦ください。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

トラックバックありがとうございます

ミックさんが志賀直哉の近くに暮らし
尊敬してやまないお気持ちが良く分かります。

1回しか訪れたことはありませんが ミックさんのブログを読ませていただくと 酒田に似ているなと思います。そして現在も石巻と酒田は 案外交流があるのがうれしいです。
太平洋側と日本海側 遠いですが1本の国道で繋がっていると思います。

志賀直哉に関しても 土門拳記念館での風貌がとてもおだやかで印象的でした。

URL | つや姫日記 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

つや姫さん、仰せの通りです。酒田と石巻は国道47号~同108号でほぼ一本道で繋がっております。

両市はどちらも人口十万ちょっと、そして古くからの港町&松尾芭蕉の訪れた地という意味で共通性を有し、また様々な交流もあり事実上の姉妹都市といっていいと存じ上げております。

志賀直哉は作品において石巻のことを書いたのは「白い線」という実母への回想だけですが、弟子の阿川弘之氏によると、直哉が29歳で後に移り住んだ広島の尾道と風情が酷似していることから潜在的に頭の中に於いてずっと石巻のことがあったのでは?とされております。

今回はトラックバック先にコメントを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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