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 司馬遼太郎 街道をゆく「河内みち」の鑑賞と考察 
昨日、仙台市図書館の視聴覚コーナーで久しぶりにビデオを見た。司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」の「河内みち」である。



司馬遼太郎が昭和39年に東大阪市に居を構える前に、彼は道頓堀とさほど遠くないところに住んでいた。番組の冒頭の「大阪の雑踏や喧騒さが好きだ」とい言葉に彼の限りない郷土への愛着を感じる。ところで、NHKの製作したこの番組は朝日新聞社出版の「街道をゆく」の回想録でもある。司馬がかつて巡った場所をNHKのスタッフが再訪し、著作から相当な部分を端折り骨子を作る。従って著作としての「街道をゆく」と番組としての「街道をゆく」は別物と考えてもおかしくない。



司馬が取材に行く前に膨大な資料に目を通したことは有名だが、そのあたりは番組からも十分に窺い取ることが可能である。スタッフは番組の取材で富田林市と河内長野市の高貴寺、川寺、観心寺、大ヶ塚の顕証寺などを訪ねている。NHKの番組紹介では河内地方の旅としているが、司馬にとっての河内探訪は地元ゆえ、散歩に近い感覚だったのではないだろうか?

1、大和川の付け替え工事について
奈良県から流れ出る大和川は、かつて河内地方を大きく北に迂回して流れていた。これに着目したのが江戸時代の庄屋・中甚兵衛(1639~1730)である。番組でも触れているが、彼は鹿皮の陣羽織を羽織って、大和川の付け替え工事(川をほぼ真っ直ぐに大阪湾に注ぐルートに付け替える工事)に労を尽くしたという。彼が幕府にこの事業の財政援助を願い出たのは何と19歳のことであった。満で言えば18歳の若僧ということになる。これだけでも驚くが、この陳情が叶った時、彼は68歳になっていた。実に50年近くにも及ぶ陳情ということになる。司馬はそんな甚兵衛の粘り強さに日本人離れした執拗性を抱いたようだ。



2、高貴寺について
葛城山の麓に位置する高貴寺はかつて空海(弘法大師とも、774~835)が修行に励んだ寺でもある。高貴寺の周囲は如何にも蒼古な趣に満ちている。高貴寺の香華は香りの強い花であるが、空海の好んだ花であると言う。司馬は香華の放つ芳香が浄華の役目を果たすと考えられてきた証であるとし、芳香と思想は空海自身の中で一体化し得るものであったと語っている。インドに生まれ6世紀半ばに伝来した仏教では香と花を重視するが、空海の時代にもこの二点が重視されていた証であろう。司馬はこの時の空海の心境を真言宗に於ける即身成仏の世界と重ねている。



3、弘川寺について
弘川寺は西行(武士の身から出家し家人となり諸国を漂泊した歌人、1118~1190)終焉の寺として知られる。西行没後500余年、今西行と言われた人物がこの寺に現れた。似雲(1673~1753)である。似雲は西行の墓を必死に探し回ったと思われる。西行は頂上近くに塚らしきものを発見し、これを西行の墓とした。似雲はこの塚の周りに庵を造り墓守として居住した。そして死後遺言で塚の隣に葬られた。この似雲の生き様を司馬は詩的気魄と形容している。



4、大ヶ塚について
大ヶ塚は南河内群に位置する川に囲まれた台状の集落である。司馬はこの集落に中世の自衛集落(環濠集落)を重ねている。戦国時代、織田信長の権力に抗った勢力が大ヶ塚の起こりだという。町の配置は、まるであみだくじのような道路で敵から攻められた際のことを強く意識したレイアウトで、ヨーロッパなどに見られる城郭都市の縮小版という気がする。大ヶ塚に位置する顕証寺の山門は他に類を見ない釣鐘と門を併せた構造で、明らかに櫓的な砦を彷彿させるものである。



5、ダンジリについて
司馬は河内という土地柄を男気に溢れた場所としているが、それが河内堅気であり、ダンジリに掛ける人々の意気込みである。河内の人は確かにまくしたてが凄い。物事をオブラートに包み隠さずにストレートで表現する。だがそれだけではない。河内の人は下町らしく情にあふれた面を持ち合わせているが、このあたりが河内堅気の特質と言える。司馬はこの河内堅気の根源に、権力者(織田信長や豊臣秀吉)に立ち向かった庶民の気質を重ねている。

ダンジリはそういう河内気質を代表する祭とも言えるのかも知れない。醜い男、即ち、「醜男」と書いて「シコ」と読むが、古来から醜男とは強い男を讃える言葉であったという。男女同権やセクシャルハラスメントの浸透で、昨今男らしさを形容する言葉を表現するのに憚るシチュエーションが多くなったが、醜男は今でも河内という地に生きている粋な言葉でないだろうか?
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横町挨拶
番組を見て河内という地域の気質がよく理解できた気が致します。広く浅く「街道をゆく」に親しむならば、断然ビデオでのダイジェスト版鑑賞をお勧めします。その上で興味を引かれたら原作を読めばいいと私は考えています。もう一つ自分が念頭に置いていることはビデオを見て、その趣旨を文章に要約し己の考察を加えることで筆力の鍛錬をすることです。また創作活動を展開する上では、郷土史の研鑽だけでは狭いという理由もございます。日本史に親しみながら、自分の文章に深みを増す為にもこのシリーズは今後も継続して参ります。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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