志賀直哉の石巻生家と東京麻布の住まい
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コメント
No title
志賀直哉について、前に書いたか?覚えてないので重複したらすみません。私が中学受験の頃のテスト問題に、志賀直哉の文章のが出てきました。
その後どうなるのか?その後が読みたくて本屋さんに行きましたが、なかなか見つかりませんでした。
うちの母には当時志賀直哉はあまり好きじゃないと言われたので、図書館で読んだりしましたが、そういう状況ではその後深く読む機会があまりなかったんです。ミックさんの記事を読むと、私が志賀直哉を好きだった理由が分かるんです。
無神論者。そうですね。私もそうです。
No title
ナイスの押し方なれなくて。。失敗しました。ごめんなさい!!
No title
志賀直哉さんの作品、彼の生き様などについてはミックさんの記事で
色々と参考になることが多く、彼の作品の背景や彼自身を
自分なりに解釈することで更に親しみを感じるような思いです。
彼の貴重な資料、ミックさんの向学心に頭が下ります。
彼は色々な才能を持っていた事も今回初めて知りました('∀`)
最後の葬儀も彼を慕う人達が彼の意思をついでくれたのですね。
No title
迷子札って初めて見ました。そんなのを付けていたのですね!
あの辺りは昔よく行きましたが、全く何も気が付きませんでした。
No title
プチポアさん、志賀直哉にはなにか勢いというものを感じます。
これは方向性とパワーがともに正しく噛み合ったときに発せられる力のモーメントのようなもので、読者をわくわくさせるたぐいのものです。
人間から小動物、虫に目を向け、生と死に正面から目を向ける彼に真の強さを感じるのです。
今までは彼の作品を中心に紹介してきましたが、今回(前回も)の焦点は彼の人となりです。
なぜこのような文が描けるのか、自信が持てるのか、人生を迷わず堂々と生きる術を身を持って教えるのが彼の生き方ではないでしょうか?
志賀家のしきたりにも捉われない無神論者としての彼の誇りがこの葬儀にもあらわれていると思います。
ナイスを頂きありがとうございます。
No title
joeyrockさん、インターネットでの情報収集は限界がありますので、最近は文献を見るようにしています。この麻布の屋敷のこともそうでした。
この時代の作家の多くはハングリーでしたが、この屋敷を見た多くの文人や関係者は一様に驚いたといいます。
阿川弘之氏著のこの本を読み、今まで途切れた線だった彼の全容が徐々に繋がってきました。
哲学者ニーチェは人間は大別すると①愛されるタイプと②尊敬されるタイプの2タイプとなり、①のほうが概ね楽であると語っていますが、直哉は②でありながらも楽しく豊かに人生を歩んだ人物でないかと思います。
阿川氏は本人には言え得ないこと、弟子でなければ言えないことをかなり語っていますので、非常に興味深く読んでいます。
志賀直哉のことはもっともっと掘り下げて今後も本ブログで紹介してゆきたいと思います。
No title
行雲流水さん、彼のこうした足跡は実業家である父あってのものでしたが、実質的な人格形成には祖父母の存在が相当絡んでいるようです。
長兄のように早世させないように直哉は志賀家の家督として祖父母に大切に育てられました。
この札を持たせたのもおそらく祖父母だったのではないでしょうか?
No title
こんにちは。
前にも書きましたが、本を読む機会がなく、ミックさんの投稿文を
読ませて頂き、内容も少しはわかり、とても感謝しております
それにしても、当時1歳の時の写真が有りとはびっくりです。
私の幼少の写真は皆無です。
ナイス!です。
No title
志賀直哉は、いろんな才能をもった人だったんですね。
そして、好奇心旺盛で我儘な少年。
六本木の大邸宅に住むような裕福な少年。
それなのに、父親と不仲になり、あちこち転々と移り
住むようになるんですね。
自由で、羨ましい人生です。
迷子札には、笑ってしまいましたが・・・。
No title
好日写真さん、写真から癒しを頂きこちらこそ感謝しています。
彼の1歳の写真、なにかその後の性格を思わせ、大変微笑ましく思えます。
手に負えないやんちゃぶりが多くの作品を生む大きな原動力になったのでしょうね。
ナイスを頂きありがとうございます。
No title
yokoさん、麻布(現六本木)の邸宅も石巻の生家もデータに乏しく情報収集に苦労しましたが、これで今までの途切れていた線がようやく一本の線に繋がった感じがしています。
彼の少年時代はほんとうにやんちゃそのものでした。
その自由気ままな行動は鉄砲玉でもあり、糸の切れた凧でもあり知らない土地で迷子にもなりました。
それだけにこの迷子札は好奇心あふれる行動派の彼には必要不可欠なものでした。
志賀家は兄が家督となるはずだったのですが直哉の出生を前にして病気で早世したことが彼の人生を大きく変えることになったのかも知れません。
多くの文人がハングリーだった中で彼は特異とも言える存在であり、少年期から青年期にかけて多くの道楽を経験しました。
後にこの半端でない道楽が志賀文学の核となることになります。
No title
こんにちは。
直哉の幼いころのやんちゃぶりのエピソードから、無神論者としての姿勢を貫いた生涯に、決して流されることのない意志の強さを改めて感じます。
裕福の環境の中ではかえって貫くことが難しかったと思います。
それが直哉の人柄と作品の魅力となって残っているのですね。
綿密な調査を土台に綴られた記事に感服です。MN!
No title
はぐれ雲さん、作家や演出家、マンガ家の多くは学生の頃、映画に熱中しましたが、彼の場合は義太夫でした。
それと各地への旅道楽(その後家族ができてからは引っ越し)が彼の作風に大きく影響したのかも知れません。
普通の人には大人になって裕福になってからしかできなかった道楽を彼は若い時からやっていたのです。
ちなみに彼が高等科のころの一ケ月のこづかいは今の金の金に換算して70万くらいだったと言います。
ちなみに若いころ、内村鑑三に師事したときの彼は生ぬるいキリシタンだったと「大津順吉」の中で自ら語っています。
従って彼はその後徐々に無神論者になっていったのではと推測します。
No title
こんばんは。
コメントしたつもりでしたが、誤ったされなかったみたいです。
ミック様の記事を読み、志賀直哉の事が少しずつ分かってきました。彼には骨董のエピソードが多いのですが、物にはあまり執着しなかったようです。川端康成は、骨董への執着が仕事へのエネルギーだったとも言えますので、コレクターとしては対称的といえると思います。
裕福だった志賀直哉の境遇は、その作風にも良くも悪くも影響を与えたのではないかと推察いたします。
No title
ひがにゃんさん、今まで彼の作品側からだけの考察だったのが他人の視点からなされる。
そういう意味においてこの二冊の本との出会いは大きかったですね。
そして彼の幼年期、少年期、青年期の性格形成を語るうえで避けて通れない石巻生家と麻布の邸宅の様子の概要。
これで一気に途切れていた線が繋がってきたような感動と興奮を感じます。
阿川弘之氏の本には下刊もあるので彼と骨董との関わりが出てくるものと期待しています。
今は知識不足で暗夜行路に書いてあることくらいしか申し上げれませんが、わかり次第お伝えしたいと思います。
いろんな意味で好き嫌いがはっきりするのが志賀文学の特徴のような気がしております。
No title
志賀直哉の研究、着実に進められておられますね…。。。それにしても、ご自身の生家と志賀直哉の生家が300mと離れていないなんて不思議な縁ですね~。。。
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boubouさん、実は生家が近いだけでなくていろいろなところが似ているのです。
でももちろん文才と資産だけは全然似てないのです(笑)
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