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  街角で出会った檸檬に彼は何を感じたのか?
 あれは二十代後半のころだった。仕事で帰りが深夜に及んだ時、よくこの交差点の信号で足止めを食らった。町のど真ん中にあるため、この信号は深夜でも点滅にならないのだ。そんな時新幹線の高架橋とJR在来線と国道45号線が交わるところにレンガ色のビルが建っているのに気づいた。



 時刻はこの日も午前1時を回っていた。さすがに交通量はまばらだ。私はカーステレオでお気に入りの洋楽だったフィルコリンズの「ワンモアナイト」を聞きながら信号待ちでこのビルの名の入ったところに何気なく止まった。オレンジ色の街灯に照らされた外壁は赤レンガ貼りで、ちょっと目にはライオンズマンションに見えなくもない。一見なんの変哲もないテナント&マンションビルのようだがそのビルにつけられた名前は非常にインパクトのあるものだった。



 そのビルの名は「ミッドタウン第百ビル」、街のど真ん中にあるためにつけられたのだろうが、どんなビルの名前よりもそのビルは印象が強かった。それからこのビルの前に信号待ちで止まることをわずらわしいと思うどころか楽しみにさえ思うようになった。私は週末、そんな数十年前の若き日の思い入れのあるビルの前に久しぶりに行ってみた。



 車道から見る「ミッドタウン第百ビル」は見慣れていたが歩道橋から見たビューは初めてであった。東北新幹線の高架橋に隠れ、上階部のみ伺えるこのビルはけして高いビルでもないし幅のあるビルではない。しかしながら色と言い名前と言い非常に存在感を感じるのだ。そしてもちろんフィルコリンズの名曲もまた脳裏に浮かんでくる。
 
 ふと歩道橋から降りようとした私の視界に思いもよらないものが入った。マンションの一階で果物店が営業していたのだ。蜜柑、リンゴ、バナナ…、店頭に並べられた果物の中でひと際私の目をひいたのがこの春を彷彿させる鮮やかなイエローの果物レモンであった。



 この鮮やかなレモンを見ながら私は天才と言われながらも若くして世を去った不遇の作家のことを思い出した。彼の名は梶井基次郎、ご存知のかたも多いと思うが彼の作品の「檸檬」は代表作の一つである。
                   
 梶井基次郎(1901~1932)

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     <梶井基次郎、大正14年発表「檸檬」あらすじ>
 私は体が不調なとき、美しいものに心を惹かれたり、ちょっとした贅沢をしてみたくなることがあった。そんなときは、ある書店に行って、香水や煙管や小刀や、いろいろ小一時間もかけて見たあげく、一番高い鉛筆を一本だけ買ってみたりするのだが、最近ではその書店に行くのも気が重く、避けるようになっていた。

 
 ある日、檸檬を買った。ちょっと不思議な感じの八百屋で買ったその檸檬は、特にめずらしいものではないのだが、単純な色彩、寸詰まりな紡錘型、ひやりとした触感や香りなどが私の心を弾ませた。私は檸檬を眺めながら町を歩き、気付くとその書店の前にいた。普段は気が重くて避けていたその書店だったが、檸檬のおかげで気分が良く、思い切って入ってみることにした。

 
 ところがやはり、入った途端に気が重くなった。その気の重さを紛らわそうと、片っ端から本を取り出しては出しっぱなしにして、また次の本を引っ張り出して、と繰り返した。しかし、いっこうに気鬱が晴れない。そこでふと、私は一計を案じた。棚から取り出した本を山積みにして、その一番上に檸檬を置いて書店を出たのである。その檸檬が爆発し書店が木っ端微塵になるのを思い浮かべながら…。
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 風景描写は非常に繊細で天才的なものがあるのだが、病弱だった彼の見た京都の街並みはやがて襲いかかろうとする憂鬱を察していたのかもしれない。とにかく暗いのだ。その暗さが彼の持ち味なのかも知れない。彼のそんな気持ちを思いながら街のほうを見てみた。そんな私の感傷をよそに週末の仙台の街は喧騒に包まれていた。
 


 この若さにしてこの才能…、彼がもっと長生きしていれば…、31歳で肺結核で亡くなった彼は本当に惜しい作家だった。私はこの店で買ったレモンでレモンティーを作り、そんな彼を偲ぶことにした。


 私はレモンティーのほろ苦くもあり、酸っぱくもあるこの個性に彼の不遇の人生を重ね合わせた。芥川龍之介、太宰治、織田作之助…この時代、薄命を惜しまれた天才作家は多いが、まぎれもなく彼もその一人であった。

                    
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コメント

No title

こんばんは。
梶井基次郎の『檸檬』は私にとって、親しみ深い作品です。
作品の舞台は京都、作中の檸檬を売っていた店は今も残っているかもしれません。
彼が檸檬を置いた書店「丸善」は今はなくなり残念ですが、作中で彼の歩いたルートは手に取るように解ります。
若い頃にはまだ丸善書店があり、<檸檬を持って丸善に行こうか~>などと、友とふざけ合っていたのを思い出します。
懐かしい作品に触れられたエッセイにMN!

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

檸檬という作品は恥ずかしながら読んだ事は無いのですが
情景や描写がリアルに浮かんでくるような表現が繊細な作者を
思わせるような気がしました。
肺結核は今でこそ少なくなりましたが、昔は多くの方が若い命を
失った病気ですね。
梶井基次郎さんのもっと多くの作品を望まれていた方達が沢山
いらっしゃったと思います。
自分の体験と重ねて故人を偲びレモンティーを飲むのも
色々な想いと重なりますね。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

何気ない街の一つのビルから、ここまでミックワールドを展開されるとは・・・サスガですhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a459.gif">
視覚で感じて、、、思いを巡らし、、、味覚を感じて体感する。。。ムムム見習いたいhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a461.gif">

URL | M.ROSSO ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

恥ずかしながら、小生は「梶井基次郎」については全く何も知りませんでした!
小生も中学校3年に肺結核に罹りましたが、ほんの初期でしたので、三ヶ月ほど学校を休んだだけで済みました。

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

情景が浮かんでくる素敵なエッセイですね☆☆☆
私も梶井基次郎の「檸檬」は大好きな作品です。
読んだのは高校時代で、その頃はせっせと漫画を書いては出版社に投稿しては落ち、を繰り返していて、些か逆恨みのような気持ちでいたこともあり、
「檸檬」は基次郎の出版業界に対する反抗なのかな?とか思っていました。
子供たちが小さい頃、本屋でふとこの「檸檬」の話をしましたが、何故か強烈に心に残ったらしく、以来ふざけて「檸檬爆弾投下!」などと遊んでいましたね。

URL | 遊菴 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

私は教科書でこの作品を知ったのですが、街の暗さよりも、五感を研ぎ澄ませた描写に瑞々しさを感じました。
国語の先生が「作者の心情について答えなさい」と質問すると、誰もが紋きりの答えしかせず、「違うんだけどなあ」と困っていたのを覚えています。

最後の檸檬爆弾は、彼らしいお茶目だと思います。
小さな芸術を作ってやったぞ、そうほくそ笑む彼が目に浮かぶようです。

檸檬の香り漂う本屋は、その後どうなったのでしょう。
不思議なオブジェに、クスリと笑った人はいたのでしょうか。

URL | みきてぃ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、ご指摘ありがとうございます。
舞台は京都でしたね。早速記事を訂正します;
歩いたルートは手に取るようにとはすごいですね。
文中にびいどろ、南京玉、切子細工、香水瓶、煙管などが出てきて興味を持ちました。
私も京都に行ったら神社仏閣巡りと共に彼の足取りを訪ねてみたいと思いました。
MNありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、マンションの一階で車では来にくいこの場所に果物屋さんがあるとは思いませんでした。
そしてその店頭に置いてあったレモンが私を小説の世界に駆り立てました。
彼の文章は状況描写が極めて繊細で臨場感にあふれています。読んでいてその場所に引き込まれるようなこういう文章を書く人は作家でも少ないと思います。
本作は短編で読みやすい作品なのでお勧めです。
それだけにもっともっと生きて欲しかった作家の一人ですね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ロッソさん、本記事はなにか脱線が脱線を呼んだ感じでやや支離滅裂気味になってしまったのかも知れません;
それにしてもうまい具合にレモンが置いてあったものです。
書き終えてみると、私小説なのか読後感想なのか分からない複合的なものになってしまいました;

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、事なきを得て良かったですね。
ペニシリン開発以前の肺結核と言えば昔は不治の病でしたね。
若かりし彼の死は本当に惜しまれます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

遊庵さん、初投稿ありがとうございます。
固有名詞はあえあて上げませんでしたが、ストーリーの中で彼が某書店にレモン爆弾を仕掛けたのはやはり何らかの意図があったのでしょうね。
全体に暗い感じがする作品ですが、彼の精巧で緻密とも言える描写力は昔の京都の町の風情をよく捉えていてこの作品の魅力の一つになっていますね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ライトさん、この作品は得体の知れない不吉な魂から始まる出だしから相当暗くなってしまうので最後ぐらいは景気づけしたしたかったのではないでしょうか?
彼の作品の描写力は半端でないのですが、あの暗さがちょっとという感じで最近はどうしても志賀直哉のほうに行ってしまいますね。
ちなみの志賀直哉もレモンを呼んだことをお弟子さんの阿川弘之に述べています。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
檸檬、難解な作品でした。中学生の時に読みましたが、檸檬が爆発したら面白いだろう、なんて荒唐無稽なお話だと思いました。今読んだら、また違った印象になるかもしれませんね。
舞台となった丸善も檸檬を買った八百卯(確かそんな名前だったと…)も最近残念ながら、閉店しましたね。どこにでもある八百屋さんの雰囲気でしたが、時代の流れというものでしょうか。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、本作を書いた25歳の時、既に肺結核に移行する前の肺腺カタルの病状が出ていたようです。
この段階は死への恐怖までは行かなくても、大きな不安があったのは事実のようです。
そういう背景を考えると彼の健康状態がどうしても作品に出てしまうのは致し方ないのでしょうね。
人の世で「たられば」はナンセンスですがもし彼が健康に恵まれ、壮年、熟年になった時に古都京都の神社仏閣の風情を描いたならばきっと秀作が生まれたことでしょうね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

若い頃の思い出のビルを歩道橋から見て、その後露天の果物屋でレモン発見、連想が梶井基次郎の「檸檬」へ…。。。その店でレモンを買い求め、そのレモンでレモンティーを作る…。。。その味わいから、梶井基次郎の心境を推し量るなんて、粋ですね~。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、まるで連想ゲームのようですね(笑)
思考が飛びすぎてちょっと支離滅裂気味だったのかも知れません。
若かりし天才の死、彼は才能がありながら本当に惜しい作家でしたね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

最後のレモンティーまで、mick!worldの旅はとてもとても
心地よかったです♪

繊細な書き手の紡ぐ暗~い文章・・・
味わい深いけれど時にそっちの世界にひっぱられそうになるので
遠ざけたりしますが、mick!さんのこの素敵な記事をきっかけに、
『檸檬』手に取りたくなってきました。感動です☆

URL | ロザリウム_ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ロザリウムさん、古い記事へコメントを頂き感謝しております。実は古い記事は相撲で言えば死に体、ポーカーで言えば捨てカードのようなものであり、これにコメント頂くのは新しい記事にコメント頂くよりもありがたいことなのです。
この時は街角の果物店でレモンを見つけ、梶井基次郎の作品「檸檬」を想像した経緯があります。
彼の作風が繊細で暗いというのは当たっておりますが、この檸檬に関しては暗さはさほど感じられず、情景描写の巧みさが際立っていたと記憶しております。
秀作なので読書に価する作品と思います。記事への評価を頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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