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 志賀直哉昭和27年作「自転車」(69才時執筆)
読者の皆さんは志賀直哉と言えばどんな印象をお持ちだろうか?極めて強い自我が作りだす倫理観、背筋を伸ばしたような毅然たる姿勢は一見近寄りがたい存在でもあり、気難しささえ感じさせる。事実生前の座談会では同席した同業の作家やマスコミも、志賀が居るだけで一種の緊張感を感じるような雰囲気であったという。
 
そんな硬派とも言える彼が学習院中等科~高等科時代に傾注したのは運動(器械体操、ボート)と当時は高値の花と言われた自転車(今で言えば自動車並の値段)であった。このまるでサーカスの軽技師にでもなったような得意満面の彼(左端)の表情を見て頂きたい。
 
※明治30年ころ、直哉が14、5歳の頃の撮影と思われる。デイトンという外国製(このころの自転車は外国製のみ)の自転車に肩を組んで得意げに乗る志賀直哉(左)



実は恥ずかしながら、私がこの作品を読むまで、この写真は学芸会か何かの折に大衆受けを狙って撮らせたやらせのたぐいのものとばかり思っていた。。ところがどっこい。
この「自転車」という作品にはこれがあの志賀直哉か?と思うような若き日の彼のやんちゃな姿が随所に見られるのである。
 
                 ※「自転車」書き出し

     
 1952年(昭和27年)志賀直哉作「自転車」粗筋の一部
私は十三の時から五六年の間、ほとんど自転車気違いといってもいいほどによく自転車を乗り回していた。…急な坂を登り降りするのはなかなかに興味のあることで、今の登山家が何山何岳を征服したというように、私は東京中の急な坂を自転車で登ったり降りたりする事に興味を持った。
 
私はある日、坂の上の牧野という家にテニスをしに行った帰途、一人でその坂を降りてみた。ブレーキがないから、上体を前に、足を真直ぐ後に延ばし、ペダルが全然動かぬようにしておいて、上から下まで、ズルズル滑り降りたのである。ひよどり越えを自転車でするようなもので、中心をよほどうまくとっていないと車を倒してしまう。坂の登り口と降り口には立札があって、車の通行を禁じてあった。しかし私はついに成功し、自転車で切支丹坂を降りたのは恐らく自分だけだろうという満足を感じた。
 
 (このころの志賀は器械体操をするなど運動神経が発達しており、こういった自転車を操つる技術には長けていたのだろう。それにしても得意げな顔が目に浮かぶようである。)
 
私の自転車はデイトンという蝦茶がかった赤い塗りのもので、中等科に進んだ時、祖父にせがんで買ってもらった。自宅のある麻布から横浜往復は何度もした。また千葉から江の島に至るまでの日帰りの遠乗りもした。…私たちは車(自転車)を連らね、神奈川、川崎、大森、品川と半分競争のように急いで帰ってくる。
 
〈内輪話〉
このころあどけない少年でありながら、直哉はなんと千葉から江の島にかけての湾岸沿いを時には仲間と共に、時には一人で何度も走り廻り、街道筋のいろいろな店(西洋料理店、唐物屋、本屋、蕎麦屋、芝居小屋…)に顔を出していた。
 
どれだけかして、往来での競争にも余り興味がなくなると、今度は曲乗りに興味を持つようになった。ある時、仲間の二三人が横浜でバーンという曲乗りの上手な男が、前輪を高く上げ、後輪だけで走っているのを見て来て、驚いて私達に話した。しばらくして、松旭斎天一の奇術の興行の中で、バーンの曲乗りを見、それから私達の間にも急に曲乗り熱が高まった。
 
曲乗りをするためには前の歯車の数を減らし、後の歯車の数を増して、ギアを少なくしなければならぬ。しかし、こうしてしまうと車の動作は敏捷にも、自由にもなるかわり、速度は出なくなるから、もう人と競争をする事はできない。
 
どこの帰途であったか、私はその車で、上野の清水堂の前から広小路の方に走っていると、背後から来た二人連れの車に挟まれ、競争を挑まれたが、その車ではもう競争は出来ないので、不意に一人の車の前を斜に突切って、相手の前輪のリムに自分の後輪のステップを引掛け、力一杯ペダルを踏むと、前輪が浮いて、その男は見事に車と共に横倒しに落ちた。
 
二人とも私よりは年上らしく、一人と二人では敵わないから、一生懸命に逃げた。広い通りをまともに逃げたのではすぐ追いつかれる。三枚橋から左に折れ、細い路を右に左に、三味線堀の近くまで行き、御蔵橋からようやく柳原の通りに出て帰って来た事がある。
 
※直哉の自転車版タックルをくらいウイリーしながら倒れる相手の自転車(想像図)


             
<読後感想>
このシーンを読んで思わず吹き出してしまった。自転車に改造を施しウイリーできるようにしたものの、速さでかなわなくなった相手にタックルをかませて落車させる…このシーンは大スペクタクル映画「ベンハー」のハイライトシーンの戦車レースでネッサラの使った汚い手(刃物のついたホイールで相手のホイールを削り破損させる)を連想させる。
 
それにしても倒された相手から見れば志賀直哉はどうしようもない悪たれ小僧に見えたことだろう。別に彼を擁護するつもりはまったくないが、多感な少年時代このようなやんちゃなキャラだった彼だからこそ様々な興味ある創作を成し得たのではないだろうか?同年代の多くの作家がインドア派の青白インテリに見える中で、まさに野性児、志賀直哉は異色の文豪と言えるのではないだろうか?少年時代の直哉の熱き血潮を垣間見る隠れた傑作!
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[タグ] 志賀直哉

コメント

No title

このデザインの自転車はレトロでお洒落な感じがしますね('∀`)
昔の巴里の写真などで見ることがありましたが
当時は全て外国製だったのですね。
志賀直哉にやんちゃなイメージはあまりありませんでしたが
この作品とイラスト、写真を合わせて想像してみると
子供時代はやんちゃな姿を想像できて微笑ましい感じがします。

後輪が小さいのでウィリーするにも、かなりの技と練習が必要だったのでは。彼の色んな面が見えて楽しい気持ちです♪
改めて読んでみたいです('∀`)

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

前輪を漕ぐタイプだとウィリーは神業?(笑)
私世代の子供のころの自転車といえば変速機、フラッシャー付のクソ重い自転車が主流でした。ところがフラッシャー付は買ってもらえず、友人が羨ましかったのを思い出しました。
ブームが過ぎてシンプルな自転車の時代になってシンプルなやつ(価格が安くなった)を買ってもらいました。
関係ない話ですみません。

URL | gt_yosshy ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

痛快ですね!こういう破天荒で健康な時代があるなんて、志賀直哉って人が羨ましい。
情景を想像したら、にやっと口の端が上がってしまいました。

URL | みきてぃ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

麻布から横浜、千葉から江ノ島、改造自転車、痛快ですね! ミックさんのお陰で、また新しい発見ができて喜んでいます。

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、志賀直哉にもこんな時代があったようで、私としても少し胸をなでおろしています(笑)
実は何を隠そう、私もこれくらいの年のころは自転車少年で彼のように競争をよくやっていたのです。
さすがにタックルはしませんでしたが彼の気持ちはよくわかります。
千葉から江の島をわがもの顔に走る行動力、それにしても疲れ知らずと言った感じで凄い行動力ですね。
そして西洋料理店や芝居見物の道楽の発見、このころの彼は少し背伸びがしたかったのでしょうね。
まるで怖いもの知らずのような彼の満面の笑みが思い浮かぶようです。
このころの彼はきっとエネルギーが有り余っていたのでしょうね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

gtyosshyさん、ウイリーのメカニズムについてはyossyさんのおっしゃる通りであり、私の書いた挿絵と彼の自転車が一致しなかったことをお詫びします。

いやはや、それにしても彼はやんちゃですね。
負けず嫌いなところは想像通りです。
またこの三人組の表情怖いものなしという感じで最高ですね。

今のバイク仲間の多くも中高生時代は志賀直哉に似たようなことをしていたのでは?と思います。
そういう意味で彼を元祖走り屋と認定したいと思います。
おっと私は元祖ナルシストでしたね(笑)

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ライトさん、このころの彼はまさに破天荒の人間で若さとエネルギーに満ち溢れています。
エネルギッシュな行動ぶりは異色の文豪と言えるのかも知れません。
そんな彼の勝気な性格を思うにつけ、芥川や太宰と起こした確執もよくわかるような気がします。
それにしても痛快かつ豪快ですね。
タックルをかませた彼の得意満面の笑顔が今ここに甦るようです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、まさに彼は疲れ知らずですね。
また西洋料理店や芝居見物に顔を見せるなどませたところもあったようです。
そして坊ちゃん育ちであっても彼の負けん気の強さは半端なものではなかったようです。
このような特異性が彼のその後の創作に反映し、成功をもたらしたのでしょうね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
私も高校生の頃は自転車で関東地方のあちこちを走り回っておりました。箱根峠を越えたこともあります。しかし、今とは比べ物にならない当時の自転車では、都内から横浜はなかなかの距離だったはずです。風を切り走る志賀直哉の気分は高揚していたのでしょうね。
ミック様の絵も面白いですね。確かにベンハーの一場面みたいですね。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

私もこの作品により、志賀直哉のやんちゃな一面をはじめて知りましたよ…。。。それにしても、69歳にして、この作品が生まれるとはきっと彼の忘れがたい青春の初期の思い出だったのでしょうね~。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、実は私も転勤で東京に居た時、東大井のあたりに住んでいました。
100年以上も前に若き日の志賀直哉がその辺りを得意満面の表情で自転車で疾走していたとは夢にも思いませんでした。
道楽息子そのものの彼でしたが、その道楽と引き換えに豊かな感性を手に入れたと思います。
その豊かな感性が「暗夜行路」を始めとする多くの大作を描かせたのではないでしょうか。

この小説を読むまではベンハー的なキャラと思っていた彼が案外ネッサラ的なキャラだったようで意外でしたが、反面なかなかやるなとも思いました(笑)

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、若い時の彼はこういうやんちゃなことを作品に出しきれなかったのかも知れません。
66歳で文化勲章をもらい、悠々とした晩年を送る彼の脳裏にこの時飛来したのは自己の性格形成に関わった若き日の甘酸っぱくもほろ苦くもあった少年時代の思い出だったのでしょう。

PS:貴ブログの往時に近いデイトン改めて拝見しました。それにしても洗練されたデザインですね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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