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半世紀前、私が生活した某所への小旅
 本ブログでは昨年の11月15日、私が半世紀前に住んでいた仙台市青葉区梅田町地区を訪ねた記事を紹介するとともに、亡き父の勤務していた役所跡地も皆さんにお伝えした。本日はその第2弾とも言えるものである。
 
※半世紀前の父の面影を偲ぶ小旅へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29744943.html
 
 実は当時は親父の仕事の転勤で非常に引っ越しが多く、仙台においても一度住まいを替えることになった。確かここに越してきたのは木枯しの吹きすさぶ初冬で幼稚園の時分のだったと記憶している。青葉区梅田町の次に私が引っ越した場所は太白区越路(こえじ)、当時の住所は仙台市宮沢である。きょうは新しく出来た国道286号線愛宕大橋北側から当該場所にアクセスを試みた。
 
※黄色矢印:愛宕神社社殿、オレンジ矢印:愛宕神社入口鳥居、赤矢印:半世紀前に住んでいた官舎

上の写真より10メートルほど前に進んでみた。向こうに見える橋が旧愛宕橋(厳密には愛宕大橋と区別されるので旧は付けなくてよい)、概ね矢印の辺りが官舎の場所である。

航空写真でルートと位置を確認して頂きたい。現在地はまだ川を渡る手前の場所になる。
オレンジ□:愛宕神社社殿、オレンジ×:森ビル(官舎の近くの目印のビル)、赤×:当時在籍したますみ幼稚園、黄色×:官舎

遠回りになるが官舎に向かう前に愛宕神社という大きな神社に寄ってみた。右隣は高級老人ホームである。

また少し南に進んでみた。黄色矢印が愛宕神社入口の鳥居、国道286号線は愛宕大橋を通って真っすぐ仙台駅へと伸びている。6車線の通りは非常に交通量が多い。

 ここは神社に向う階段をほぼ登り切った辺りである。かつて大正天皇が訪れ、座られた場所である。

同じく北側のビュー、これは神社側のはからいだろうか?山頂付近の木々の枝が取り払われたため、仙台市街地への眺望は素晴らしいものとなっている。私も初めてここを訪れたため、このアングルのお披露目は本ブログとしても初めてである。

今度は逆方向である。南側は大年山だけなので、カメラをやや南西に向けて見た。越路から八木山入口の方向である。比較的古い住宅地が広がっている。

神社もそろそろ年始のかき入れ時を迎え準備に余念がないようだ。

冒頭で紹介した航空写真を参照して頂きたい。神社から同じ道は通らず、ルート的にループを描くように南側に降りてみた。そして官舎方向を目指す。両方とも旧道である。小一時代の通学路は右側であったが、この道は太くて真っすぐで面白みに欠けるため、私はあえて左側の道を通ることにした。

こういうS字状の道は旧道に多いパターンだが、探索するとなにか古いものの発見に繋がるのではという期待を起こさせ、わくわくしてくるものである。
しかしながら今回はその期待に反し、古そうな石垣が2、3箇所見つかっただけで大きな発見と言えるものは何もなかった。

さらに200メートルほど行くと交差点に差し掛かった。私は半世紀前を思い出し、当時の道がどう交わっていたのか再現してみた。もちろん当時は6車線の通りなどあるわけはない。
細い道が4差路を形成していただけである。オレンジ矢印のビルは森ビルといって官舎のあった場所の大きな目印となるビルである。

 左側が「森ビル」である。少なくても昭和30年代建築のコンクリート造である。このビルの屋上をよく見てもらいたい。なんと屋上に雑草が生えているようで現在はガラスが破損しているなど、廃墟と化しているようである。
 
 私は最近、通りすがりに古いテナントビルがあるといろいろと想像を巡らす。このビルにはどんな会社がテナントに入っていたのだろう?どんな社員が勤めていたのだろう?そしてその社員はどこから会社に通ってどんな人生を歩んだのだろう?私がもしその社員だったら…
 
 廃墟となったビルを見ているうちに、様々な社員や経営者など多様な人間が繰り広げる筋書きのない人生ドラマが私の頭に突如浮かんできた右側の「かわ井食堂」も電話の局番が2桁のものであることからかなり古い建物に見えるが、残念ながら半世紀前の私の記憶からは既に消えていた。

 森ビルとかわ井食堂の間の細い道を入ってみた。ここだ!間違いなくここだ!半世紀前の記憶が今鮮やかに甦った。例え幼稚園児、小一であっても頭に残っていることは誰しもあるのではないだろうか。母に連れられて通ったあの日、友と遊んだあの日通ったこの道。
 
 そう言えば歌の文句に「この道はいつか来た道…」という詩があった。それは朧げであっても一生忘れないことであり、美しい宝石のような存在でもある。

 これは私の思い違いかも知れないが当時私が住んでいた官舎はこんな感じの建物であったような記憶がある。ただ間違えないのはこの建物は二軒が連なった長屋の作りであったことだ。
 
 隣のおばさんのことは今でも覚えている。当時は隣付き合いが大切な時代だった。漬物、お菓子、季節の果物…いろんなお使い物を頂いた記憶がある。今とは全く違った人と人とのつながり、人情が感じられた当時の近所付き合いだった。

 この白い建物は元家電のコジマが入っていた建物である。この赤□の辺りに私の住んでいた官舎はあったと記憶している。
 
 あれは小学一年のある放課後のことだった。ちょうど×印の辺りだった。墓地で遊んでいた私は何かの弾みで、墓石が足に倒れかかり、脱出できなくなった。私の助けを呼ぶ声に母が駆け付け墓石をのけてくれた。それは私がこの世で感じた母への恩の中でも印象に残るものだった。同時に「もっと強くなりたい。」と思った後悔の日でもあった。
今度は東側から私が住んでいたと思われる官舎を推定してみた。場所は赤□の辺りと思われる。

 そしてここが通っていた「ますみ幼稚園」である。今でもよく覚えている。転園したばかりの私は人見知りをして閉口した。自我が形成されつつあった私は激しい引っこみ思案で、典型的な内弁慶外味噌であった。遊び友達が欲しくとも、休み時間の時は壁にもたれかかって他の園児が遊ぶのを羨ましく見ていたのをはっきりと覚えている。
 
 しばらくして慣れてくると運動(スキップ)の時間が楽しみになった。スキップは友達をパートナーに選んでもよかったが、孤独な一人っ子でもあった私はマス(集団)が苦手で最後までソロであった気がする。スキップの後にはご褒美として美味しい醤油煎餅がもらえた。私が両手を併せてでチューリップ花びらをこさえると先生が醤油煎餅を差し込んでくれた。あの時、スキップに使われたBGMは今でもハミングできる。また煎餅をもらった時のうれしさは半世紀経った今でもけして忘れない。

ここは幼稚園の西側の坂道である。一度遊んでいるうちに大勢の男の子を巻き込んだチャンバラ合戦に発展した。私が棒切れを持ってチャンバラに参加したのは確か□印の辺りだった。砂遊びの好きだった私はこの時ガキ大将ではなかったが、なぜかガキ大将への憧れは強かったような気がする。

拡大版の航空写真で位置を確認して頂きたい。
赤の道路:半世紀前の道路、オレンジ□:森ビル、黄色□:住んでいた官舎、赤□:ますみ幼稚園園舎、ライムグリーン楕円:スキップをした園庭、青楕円:チャンバラをした坂道

最後に私は広瀬川河畔に出て見た。
このころ私の親父は病気がちで入退院を繰り返していた。
そんなある日退院してきたばかりの親父に「一緒にボートに乗らないか?」と誘われた。
 
親父とボートに乗ったのはこれが初めてであり最後でもあった。
あの日はまばゆいばかりの快晴だった。私は親父の力強い漕ぎ方に目を奪われた。それは父子の関係でもあり男同志の信頼を築く大切な時間でもあった。
 
親父が死んでもうすぐ50年である。
「俺も早く強くなって親父のようにボートを漕ぎたい…」、生前の最後の思い出となったあの日のボートだったが、あの時の親父のたくましさは今でも忘れない。

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コメント

No title

こんばんは。
いつにも増して、何だか今回は泣けるお話でした。どんな人にも歩んできた人生があり、そして将来がある。みな、山あり谷ありの人生だと思います。
ミック様のお話を読み、自分の幼稚園時代を思い返しました。当時の友達とは誰とも付き合いがありませんし、名前を覚えている子もいません。それでも、皆が元気でいて欲しい、そんな事を思いました。
大切な思い出話を拝読させていただき、有り難うございました。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こういう、自分の幼少時の生活圏を訪ねる旅も楽しいでしょうね~。。。私の場合は、今の生活圏の近くにありすぐ行けるところですが、昔の田圃や畑が住宅地になって、住んでいた住宅は、団地になってしまいました…。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

幼い頃の思い出はいつまでも鮮明に残っているものですね。
住んでいた場所や思い出の地に立たれたなら尚更だと思います。
一つ一つの場所に両親への感謝や幼少時代の想いなどを感じ
とても懐かしい気持ちになりながら拝読しました。

自分の育った場所の名残が残っているのは嬉しいですね。
暖かい気持ちになりました('∀`)

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、誰にでもこういった思い出はあるのではないでしょうか?
私の幼少時のささやかな思い出もこうして公表しなければ私の心の中に留まりやがて消えてゆくことでしょう。
昨日はそんな思い出を少しでも再現してみたくなりこのような乱筆に至りました。

PS:実はこの日近くの某美術館にも足を運びました。陶器や掛け軸などの骨董がほとんどで館内は撮影禁止でありませんでした。この模様は近いうちにお伝えしたいと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、こういった記事を書くようになったのは年を取った証拠でしょうね(笑)
そう言えばこの周辺にも田圃や畑があったと思いますがその後の開発でほとんどが無くなってしまいました。
さすがに半世紀というと多くのものが変わってしまいますね。
幼稚園も建て替えられましたが、このビルが残っていたのは驚きです。
本作は前作と繋がっている部分もありますのでシリーズで見て頂ければ幸いです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、多くの小説家が自分の幼少時を私小説に残していますが、昨日の取材はその事が大きな励みとなりました。
幼少時の記憶の断片をなるべく繋ぎ合せようとしましたが、多くの道路や家屋が失われた今となっては往時を偲ぶもの困難なものがあります。

このころ自我が形成されつつあった私ですが、客観的に見れば意外にも今でもあまり変わってない自分を見出したりもします。
この新鮮な発見が感動にも繋がりました。
「三つ子の魂百までも」という言葉がありますが、幼少時の環境は一人の人間に多くの影響をもたらします。
改めて当時の両親を始め多くの人々や生育環境が今の自分に影響を与え、自我という名の輪郭を作っていった感じがします。
これも「温故知新」と言っていいと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

小生もたまに、50年以上前に住んでいた所を通ることがあります。懐かしいですね。
高校受験、ピアノを続けるかやめるか、など考えた時期なのですが、親と相談せずに自分勝手に決めたように記憶しています。
それらが積み重なって次のステップに、そこからまたいろんな事があって、段々と今の自分になっているのでしょうね。誰しも同じではないでしょうか?

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんにちは。
子供の頃に通った道や遊び場所には、今の自分を形成しているものの根っこのようなものがありますね。
読ませていただき、そんな思いを新たにしました。
無意識のうちに積み重ねてきたものの大きさを感じます。
何を印象深く捉えたかは人それぞれなのでしょうね。
そんな過去を検証する旅にナイス!を。

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、50年の月日は多くの物質的なものを変えてしまいますが、精神面はどんなものなのでしょう?
私の場合は変わったのは経験がもたらした処世術であり、意外と自我の輪郭はあまり変わらないような気がします。
私にとってはそれがこの日の温故知新でした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、このころ私の自我が形成されたのは事実ですが、おっしゃる通り無意識でした。
これを意識できるようになった時は既に老いているのが凡人たる者の定めなのでしょうね
「年老い易く学成り難し」は最近ひしひしと感じる言葉であり、あらがえない事実であります。

ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんにちは。

子供の頃の思い出は振り返ると、懐かしい思い出ですね。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、今ではすっかりセピア色になってしまいましたが当時のことは忘れません。
幼い時ほど記憶は朧げですが、自我形成の過程に迫るものだけに極めて意義の深いことだと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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