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 疑問視されていた秀吉の朝鮮出兵への新考察
日曜の本日、私はあるフォーラムに参加するために仙台市博物館に向かった。

 フォーラムの名称は「スペインの世界征服に立ち向かった豊臣秀吉」である。
私を含め、これを聞いてピンと来ないかたも多いのではないだろうか?
 
 秀吉の時代はいろいろな文化が西洋からもたらせられた時代であり、このころのスペインは陽の沈まぬ国とも言われ、ポルトガルとともに世界中に植民地を獲得していた大国だった。
いかに天下人秀吉とは言え、そんな大国に立ち向かうことができたのだろうか?

講演開始は13時半、この日も会場はほぼ満員で、関心の高さを示していた。

講師は東北大学の平川新教授である。まず教授から
①このフォーラムが来年の慶長遣欧使節団派遣400周年に向けてのプレ(準備)企画であること。
②一般論として、歴史を一方的な考察で解釈するのは偏った解釈に繋がる可能性があるのでいろんな方面から捉える必要があること。
との前置きがあった。

 本題に入る前に大航海時代の世界の動向について説明があった。16世紀は大航海時代でスペイン、ポルトガルの時代であった。そして17世紀から新たにオランダ、イギリスがこれに加わりスペインに陰りが見え始める。またポルトガルもスペインに併合され、まさに世界情勢は激動の時代でもあった。

 今まで、豊臣秀吉の朝鮮出兵は秀吉の妄想とも言われあまりいい評価はなかった。しかし平川教授はそこに異論を唱える。1587年の秀吉によるバテレン(西洋の宣教師)追放に始まる一連の圧力はけして閉鎖的で一時しのぎ的な考えではなかったというのだ。
 
 秀吉はキリスト教そのものは否定しないものの、バテレンは布教という名目にかこつけて神社仏閣を破壊し、やがては日本を植民地化しようとするスペインの先兵だったと考えていた。教授によるとこのバテレン追放はあくまで日本在住の宣教師に向けてのことであり一方で貿易は容認するなど、さほど取り締まりは厳しくなく一種の警告的なものだったということである。
 
 更に秀吉は1586年に帰国した天正少年遣欧使節より衝撃的な報告を受けていたとされる。なんと少年使節は奴隷としてヨーロッパ各地に送り込まれた日本人をあちこちで目撃したというのだ。これは日本人が既に人身売買の対象となっていたことを如実に示すものであり、秀吉の大いなる懸念を抱かることであった。
 
 さて、ここからいよいよ本題に入る。もし力のない国がバテレン追放と叫んでもそれは武力で押さえこまれるだけである。でも日本はそうならなかった。それはなぜだろう?教授によると当時の日本にはスペインを追い払うだけの武力があったというのだ。当時の日本は戦国時代、全国に好戦的な武将が存在し、彼らはいくさにも長じており攻め込むには容易でないと考えられていた。しかもそれだけではない。
 
 実は秀吉は朝鮮どころか、フィリピン(当時はスペインの支配下)や中国、台湾、インド(当時はポルトガルの支配下)にも日本の支配下にはいるよう書簡を送っていたというのだ。これは各国を震え上がらせるに十分な恫喝的な効果があったと教授は語っている。このような力関係でさしものスペインでさえも日本を武力で制圧するのは無理と踏んだのである。
 
 秀吉のスペイン王国侵略の懸念はその死後徳川家康にも継がれ鎖国へと発展していく。教授によるとこの鎖国も日本の植民地化の防止に大きな意味があったとのことだった。また伊達政宗の慶長遣欧使節派遣は二人の天下人の狭間に行われたことになる。この歴史的大事業への考察は来年の講演を待つことにする。
 
※左:ご存知太閤秀吉、右:日本の植民地化をもくろんだスペイン国王フェリペ2世 

 多くの教科書や歴史書を見ても今まで秀吉の朝鮮出兵についてはあまりいいことは書かれていなかったが、視点を考えれば彼の英断が日本の植民地化を防いだとも取れる。またこれは日本と朝鮮という単なる2国間だけのものではなく、国際的な視野で見ることが大切であるとのことであった。
 
 教授は新説を唱えるにはその説が如何に説得力を持っているかが重要であると語っていたが、その真意が伺えたきょうのフォーラムであった。秀吉こそは本気でアジア統一を考えた最初の人物であったのかも知れない。
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コメント

No title

こんばんは。
秀吉の朝鮮出兵の意義を論じるのは、なかなか困難と思いますが、当時の日本の軍事力はかなりの物だったと思います。
鉄砲伝来からわずか50年あまりで、堺や長友で大量の鉄砲が作られました。当時、ヨーロッパ全土にある鉄砲よりも多くの鉄砲が国内にあったと考えられています。こうした状況から想像すると、いかにスペイン、ポルトガルでも攻略は難しかったでしょう。
桃山時代の世界情勢は緊迫していましたが、それ以上に国内情勢が沸騰寸前だったと言えるかもしれませんね。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

外国を支配下に置く初めとなるのが、朝鮮と考えられていた秀吉の
話は聞いたことがあります。
スペインの日本侵略を防ぐ為、と聞いたことはあっても
あまり詳しい詳細は知らなかったので色んな視点からの考察が
あるのですね。
確かに新設を唱えるには考えられる事実にそった推察が
重要視されると思います('∀`)

今日は新たな秀吉の説を感じることが出来ました。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、こうして歴史を振り返るといろいろと見直さねばならないことは結構多いのかも知れません。
私もこのフォーラムに参加するまでは秀吉の酔狂的な捉え方をしていたのですが、少し考えが変わりました。
こういう問題は世界史的な捉え方をすべきであると教授がおっしゃっていましたが私も同感します。
但しこれは結果であって当の秀吉がどんな心境であったのかは推測の域を出ないところです。

今回のフォーラムもそうですが前回の太平洋航路のシンポジウムも来年の支倉常長渡航400周年に向けての行事という主旨のようです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joerockさん、「攻撃は最大の防御である」という言葉がありますが、秀吉の外交政策はこれを駆使して行われたのかも知れません。
やはり国同士の力関係は外交に大きな影響力をもたらすということです。確かにスペインは布教という立前論を使ってインカ帝国やアステカ帝国を滅ぼしてゆきました。

蒙古襲来が我が国に脅威をもたらしたのと同じように他国からの侵略はその国の思想にも大きな影響を与えるということを自覚する必要があると思いました。

PS:joeyさんのコメントの後に文中に「天正少年遣欧使節が見た日本人の人身売買」をつけ加えさせて頂きました。
教授によるとその数は推定で数万に達する可能性があるとのことでした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、この説は聞きごたえがありました。
歴史だけでなく物事をいろいろな角度で考察するのが大切であることを改めて認識しました。

主観と客観のギャップを少しでも埋めるべく精進していきたいと思います。
そんな教訓を頂いたこの日のフォーラムでした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

今の国際情勢、国際感情を一切無視し、自分が日本人であるという自覚も捨てて考察に加わります。

普通、内乱状態にある国と言うのは「疲弊している」と思われるのでしょう。
しかし当時の日本は「誰が天皇をお守りするか」という地位争いに移っており、それに辺境の地も加わっていた。

それは、全ての地方で軍事訓練を行っていたのと同じで、各土地の地の利、産物、それらがしっかり日本側には掌握できていた、そう考える事もできますね。

信長はともかく、秀吉、家康は同じ考えであり、どうも正宗もそこにつながっている感じがします。
この三人は協力し、今でいう超党派的な動きをしていた可能性もありますね。

URL | みきてぃ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ライトさん、今まで朝鮮出兵は秀吉の勇み足との見方が多かったわけですが、昨日の講演を聞いて少し考えが変わりました。
世界を意識しての動きは家康や政宗にも感じられるところですね。

当時のスペインに陰りが見えていたもののバテレン追放を宣言しながらこれをけん制し、やがてやって来たオランダを出島に追い込んだのは日本の国力がものを言ったからではないでしょうか?

鎖国やバテレン追放の持つ別な面も感じたこの日の講演でした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

このような歴史の見方があったのですね~。。。やはり、事称はいろんな観点から見ないといけないですね~。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

boubouさん、今まで日本の開国を遅らせてきたとばかり思われてきた鎖国、そして秀吉の朝鮮出兵やバテレン追放が植民地化を防いだのは意外な面でした。
16世紀後半、陰りが見え始めたスペインでしたが日本の武力に一目置いていたのがわかります。

逆に日本が植民地化されていたら果たしてどうなったかは想像を絶します。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

たしかに秀吉の朝鮮出兵は多くの兵を失い
財を失ったため 良いイメージはありませんね。
まさか植民地化を防ぐための策だったとは。。。
またしても勉強不足でした。 ><

URL | まゆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

まゆさん、歴史はいろいろな面から考察するのが大切であると平川教授も言ってました。
朝鮮出兵や各国への書簡の送付、秀吉は国際感覚をもってこういうことを企てたのかも知れません。
この書簡の送付にはあるエピソードがありました。
それは台湾に送ろうとした書簡でした。
実は当時の台湾は各地に豪族は居たものの、まだ国になっていなかったのです。
従ってこの書簡は国を仕切る者が居ないため意味のないものになってしまったというのです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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戦国時代の延長で領土拡大を続行しただけだと思っていましたgs

URL | 悲歌慷慨 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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悲歌慷慨さん、ご意見を頂きありがとうございます。
私もこのシンポジウムに参加する前はそういう考えを持っていました。
歴史は一方向から見るのでなく、広角的に見るべきものと実感したシンポジウムでした。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

朝鮮出兵は豊臣秀吉がスペイン大帝国の侵略に備えた世界観から行われました。

まず、キリシタンの禁止は宣教師を尖兵としたスペイン大帝国の侵略の常套手段を封じるため、あるいはスペイン大帝国との手切れのため追放したとも言われています。

秀吉は当初はキリスト教を禁止しておらず、交流を深めていました。

スペインが明を侵略するとそれは日本にとっての脅威となるため、先に日本が占領してしまおうと秀吉は考えました。それで朝鮮半島経由で明を攻めることになったというものです。

1594年4月マニラ総督宛に秀吉が書状を送っておりその書状は残っています。内容はほとんど恫喝であり、既に朝鮮を占領したぞ、マニラに攻めることもできるぞ、スペイン国王に日本と友好関係を結ぶように進言しろ、というものです。

もし、秀吉の朝鮮出兵がなければ、中国や朝鮮は、1600年代前半にスペイン等のヨーロッパの植民地になっていたことでしょう。

URL | 底質汚染 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

拝読しました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

やはり、武士の力でしたか・・
信長は南蛮人とも親しくしていた一面がありますよね。

そのころの宣教師が日本の武士の有能さや勇敢さ
また旧式ではあるが鉄砲を組織的に使う戦術を
もっていたことなどを伝えていたことなども
影響したのではないでしょうか。

しかし、西欧諸国に積極的に使節団を送るとか、
伊達政宗公など当時の武将は先見の明があったんですね。
常に国力を高めなければ生き残れない戦国時代だった
からかもしれませんが・・

URL | ひろ-Nyan ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

でぶひろさん、本日二回目のコメントを頂き恐縮しています。
権謀術数という言葉になりましょうか、戦国武将は生き残るためには何でもやる気持ちが強かったと思います。
従って威力の強い西洋式の銃には目がなかったと思うのです。
実は政宗もこのパターンでした。実は使節を派遣する前に、江戸でビスカイノというスペイン大使(兼冒険家)から西洋式の銃の威力をまざまざと見せ付けられているのです。(自作小説「金色の九曜紋とともに」エピローグ参照)
この生き残りor天下取り志向が南蛮志向に強く結びついたのでしょう。
極論すれば「銃を制する者は天下を制する」くらいに思っていたのではないでしょうか?
こう考えると彼が自分の領土で宣教師を厚遇した理由がよくわかる気が致します。
コメントを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

フィリピンマニラの初代司教としてスペインから送りこまれたサラサールが、本能寺の変の翌年にあたる1583年にスペイン国王に送った書簡が残されている。
ここにはこう記されているという。

「…シナの統治者たちが福音の宣布を妨害しているので、これが陛下が武装して、シナに攻め入ることの正当な理由になる…。
そしてこのこと(シナの征服)を一層容易に運ぶためには、シナのすぐ近くの国の日本人がシナ人のこの上なき仇敵であって、スペイン人がシナに攻め入る時には、すすんでこれに加わるであろう、ということを陛下が了解されると良い。そしてこの効果を上げる為の最良の方法は、陛下がイエズス会総会長に命じて、日本人に対し、必ず在日イエズス会士の命令に従って行動を起こすように、との指示を与えるよう、在日イエズス会修道士に指令を送らせることである。…」(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』岩波書店p.85-88)

URL | 歴史の真実を世紀ごと学ぶ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 歴史の真実を学ぶさん
貴兄のおっしゃることはわかったが初コメントならばまずは仁義を切られたし。「初めまして」etcという挨拶なくしてたがいの信頼はなしと心得る。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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