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三十数年の勤労で一番心に残ったこと
 読者の皆様はきっときょうの勤労感謝の日をいろいろな思いで迎えられたことだろう。
私の人生も約六割が勤労に携わったことになるが、その中でどんなことがあったのかはもちろん一口では言えない。
 
 だが「あなたにとって就労とは何か?就労の中で何が一番印象に残ったか?」と問われたらこのような内容になるだろう。
 
 まず目的地に行く前に立ち寄ったのは仙台市青葉区北八番町にある八雲神社である。以前全く興味がなかった神社仏閣巡りだが、五十を過ぎ志賀直哉の「暗夜行路」を読んでから人生観が変わり、生前の彼がそうしたように、最近はよく訪れるようになった。



この寺は八雲神社のすぐそばの万勝禅寺という由緒ある寺である。
由緒あると言ったのは伊達家の霊碑所ともなっているからである。



寺の中の竹林が私の心を落ち着かせてくれる。
この竹林は数百年を経た今でも昔人目で捉えた情景とさほど違いのないものかも知れない。
自分の心もこの竹のように真っすぐで後悔のないものでありたい。



ルートを航空写真できょうのご覧頂きたい。
水色破線:北八番町、黄緑:八雲神社、黄色:現在地(万勝禅寺)、橙色:全玖寺、オレンジ:熊野神社、赤:宮城県仙台合同庁舎



さきほどの万勝禅寺から更に1キロほど東に来た。ここは通町の全玖寺という寺である。
門の前でお坊さんが掃除をしていた姿が印象に残った。
仏に仕える身であるがその背中から勤労の尊さ、ありがたさがひしひしと感じられた。



今まで走ってきた北八番町の西側である。住宅地の中に点在する神社仏閣。
藩政時代からの古い町であるが近代的なマンションも見られ、時代の移り変わりを感じさせる。



東側を望んでみた。今日の目的地の方角である。高層ビルが視界に入ってくる。



少し北八番町からそれた。ここは熊野神社と言って通町という名の町にある神社である。
さきほどの全玖寺と隣り合う神社である。



この日の目的地を紹介する。まん中のビル(宮城県仙台合同庁舎)である。



この辺に来ると非常に懐かしい思いがする。正面に見えるビルにも若き日の思い出がある。



赤□で囲んだ男髪館(だんぱつかん)は私が30年前にヘアーメイクで訪れていた男性美容室である。
時は80年代前半、あの日の日曜の午前中、美容室の中ではデュラン・デュランの曲が流れていた。
今では死語となった「洋髪」という言葉があった時代である。
洋髪(緩やかなパーマ)は当時の若者の間にに大流行したが、何を隠そう、私も時代に乗り遅れまいとこの美容室に通ったのだ;
 
この美容室でデュラン・デュランを聞きながらコーヒーを頂く時は至福のひと時であった。


 
Duran Duran - Hungry like the Wolf (Official Music Video) 


そして美容室から北へ100メートル、目的地の宮城県仙台合同庁舎へ。
今から30年前、この歩道の上にオーバーブリッジとしてJVの事務所があった。



ここが仙台合同庁舎入口である。



昭和57年竣工の赤御影石の定礎が30年の時の隔たりを感じさせる。



定礎の右に目をやるとこんな吹き抜けが目に入る。
この吹き抜けがなんのためにあるのかは後ほどお伝えする。



ご覧の通り、合同庁舎は宮城県庁の出先が入居していた。私は階段で地下1階に下りた。



突きあたりが食堂、左が売店である。自分が担当した建物を30年経た今でも使ってもらえる。
これは感動に値するものであり、建設に携わった施工者冥利に尽きるものである。



これが食堂である。突きあたりの壁には地下でありながら陽が差している。
確か設計図ではこの心地良い中庭の空間をサンクガーデンと称していた。
サンクはThanksの略だったと解釈している。
先ほどの吹き抜けは実はこの演出のためのデザインであった。
今日は施工者としてではなく一般客の視点でこの空間を味わってみた。
 
すると、私の頭の中に31年前の地下工事におけるいろいろなことが思い浮かんできた。
掘削や地下水のこと、杭打ちの苦労、型枠大工が忙しく稼働したあの日のこと…
確かにあの日は無我夢中だった。
そして自分の労が一体何になるのかピンと来ていなかった。
 
でもこうして出来上がってみると往時のやっていたことがなんのためだったのかが明確に捉えられるのである。それと苦労を共にした仲間のことも思い浮かんだ。
あの人は今頃何をしているのだろう…。



31年前、自分が担当した建設現場で昼食を食べる…
苦労は報われやがて感動へと変わる。この意味を私は改めて噛みしめた。



かき揚げそば大盛りを食しながら私は考えた。
自分の視野を広げてくれたこの建設現場。
あの時この現場に来ていなかったら一生井の中の蛙に終わったかも知れない…
 
毎日仕事に打ち込んだことは私に勤労の尊さを教えてくれた。
それは仕事だけでない。
仕事が終わってから仲間と毎日行ったボーリング場、飲み会は私につき合いの大切さを教えてくれた。



食事を終えた後、1階の県民室に寄ってみた。
若い時の苦労は買ってでもしろという言葉があるが、これを最近になってやっと理解できた。
私はそんなたわいもないことを考え、この快適な空間にいることを改めて感謝した。



右側が合同庁舎の敷地である。ここは私の通勤ルートでもあった。
建設工事の時、仮囲いで覆われた敷地、ここから地下湧水の泥水が流れ出ないことを願った31年前のあの日の思い出が甦った。
青春の日の思い出多いこの建物であるが、今ではすっかり近隣と溶け込み仙台の新たなの顔となっていた。

                             
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コメント

No title

ミックさんの人生観を変えたのが「暗夜行路」だったのですね! 吹っ切れて、行動パターンも変わりましたでしょう。
小生も何度か転機がありましたが、それは、『人との出会い』でした。幸運だったと思っています。

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
自分が仕事で携わった場所でのお食事、さぞかし感慨深いものだった事でしょう。自分がやった仕事が形として残り、それが人の役にたっている、幸せなことと思います。
私にとっての仕事とは、社会に自分の存在を認めてもらう唯一の手段と考えています。今、この場所でこの仕事をしているからこそ、世の中に自分の存在を認識してもらえている、と考えてます。人に感謝されるような仕事を心掛けたいと思います。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

私の人生の転機は、逆に「勤労から離れた事」かも知れません。
自分が何者になりたいのか、明確な物が見えず、ただ時流に乗って就いたシステムエンジニアという仕事。
体と心を酷使し、機械以上に酷い労働を屁とも思わない「ブラック企業」を渡り歩いた数年間。

あの時よりも、今は心が落ち着いて、たまの仕事に喜びを感じます。
しょうもない案内係という仕事ですが、「ありがとう」がこの上なく嬉しい。

私は勤労の感謝を受ける身から、夫に感謝する身になりました。
本当にお疲れさまです。今日も休日出勤でしたね、お疲れ様です。

一日遅れましたが、この記事を読んでこっそりユンケルでも差し入れておこうと思いました。
働く人すべてに感謝。もちろん、ミックさんにも感謝です。

毎日お疲れさま、そして、毎日ありがとうございます。

URL | みきてぃ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、志賀直哉の暗夜行路の最後の一節(鳥取県大山に登山した際のこと)に「大自然の中で己の存在は芥子粒のようなものであるが、自然に溶け込んでいく境地が心地良い。」との心境が出ています。
【※注釈『暗夜行路』は本ブログの書庫「志賀直哉、2012年1月1日掲載分に粗筋、読後感想を交えて紹介済み】

私はこの一節に彼の信念を感じ共感しました。
それ以来、作品の奥に潜むものを感じ取るようにしています。
神社仏閣巡りも暗夜行路を読んでから一層するようになりました。
彼は私の心情に最も近い作家として尊敬しています。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、この一件については今までブログに発表したい構想はあってもなぜかためらっていました。

昨日は勤労感謝の日ということもあり、思い切って「私小説」のような気持ちで掲載に踏み切りました。
この一件は私の人生にとって大きな転機であり、勤労とは何なのか?を考えさせてくれるものであったと思っています。

ひがにゃんさんの勤労への思い、非常によくわかります。
人に感謝される仕事はこの上もない至福であると私も思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ライトさん、勤労感謝というテーマを自分に与え、心境変化の過程を含め、エッセイとして綴ってみました。
文中にも書きましたがこの一件は私の人生に大きな意味をもたらしたと思っています。
今思えば子供から大人への脱皮だったのかも知れません。
否、脱皮はこれからも続くのかも知れません。

ライトさんの勤労に対してのお気持ち、投稿文からしっかりと承りました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

自分が手がけた建設現場が今でも残っているのは
感動しますね。長い間、多くの方の疲れを癒したり体も休めて
くれる場所を今でも利用され自分が行ってみることが出来るのも
素敵な記念ですね!
そして当時の苦労や仲間との思い出、自分にとっても多くを
学ぶ機会があった事と思います。

いつまでも残っていて欲しいですね。
勤労感謝に相応しい記事と感激です。DURAN DURANのこの曲、
当時は子供でしたが凄く懐かしかったです!!

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、既にお気づきと思いますが、この建物が一年前にレストランの紹介とともに投稿した建設現場です。(書庫名「Queen pロジャース」の2ページ目2011年11月27日投稿に掲載、合同庁舎の写真は上から16枚目)

この食堂に来ると31年前の工事中の状況が思い浮かぶのです。
洋髪はもちろん、洋楽にかぶれた関係でのファッションでした。
これだったらヘルメットを被っても髪型は乱れません(笑)
余興というか突き合いを覚えたのはこのころでした。

Duran DuranのHungly Like The Wolf、は生バンド演奏で歌ってました。もちろん今でも歌えます。(笑)2。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさんの思い出のワンシーンに、デュランデュランが出てきて驚きました。
その頃私はデュランデュランの追っかけをしてました(^∇^)
他にもジャパンとか…大好きだったなあ。

URL | まゆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

まゆさん、少年(少女)老い易く云々、お互いそんな時代があったのですね。
でも今でもデュランデュラン歌えますよ!
ジャパンは無理ですが(笑)

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

私も建設業なのでいつかは携わった現場を見てみたいと思ってますが、まだこの業界に入って12年しか経ってないので土木の現場は通りますが建築の現場を訪れるのは、まだまだ早いと思い仕事に精を出してます。
仙台市は岩盤で掘削が困難ですよね。私達も苦労しました。
勤労感謝の日は無職じゃない事に感謝して仕事をしましょう。って毎年言われます。もちろん今年も仕事でしたよ(笑)

URL | スミチカ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

スミチカさん、施工している時は客の要求に応えることで精一杯であり自分の作品を客観視する余裕はないですね。
この日は「あなたはこの就労生活でどんなものを残したか?」という自問自答に答えたつもりです。
もっともこれは物としてのことです。
もし「精神面は?」と聞かれたら「自分自身は汗を流し結果を残すことです。また他の人の汗を流した過程を評価することです。」と答えるでしょう。

PS:この現場は昔川(広瀬川?)が暴れたことによる玉砂利でした。
土捨て場は昨年津波で被災した白鳥団地でした。
私もついていった覚えがあります。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミック様へ
良いご経験をされているのですね。おそらく相当なご苦労があったかと思いますが。30年経ってもその手がけた建物があるというのは救われますね。私だったら泣いていると思います。羨ましい限りです。そしてデュランデュランですか。懐かしいなあ。そして私も実は美容院につい数年前まで行っていました。パーマをかけに。当時長髪でした。それをクルクルに巻いてもらい。カリーヘアー見たいな頭にしていました。そして口髭を生やしていました。髭は今でも生やしています。これは剃れません。一時期剃りましたが。やはり剃ると何か物足りない。仕事先の都合で剃っていたのですが。やはり回教徒ではありませんが。髭は私にとっては神聖なものです。あるとホッとします。そして縁起が良いそんな感じがします。見事なエッセイにナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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不あがりさん、トラックバック先にコメントを頂き大変恐縮しております。私自身最近白髪が増えたのでパーマとは縁遠くなってしまいましたが往時のことは懐かしく思い出します(笑)。
このころはデュランデュラン全盛のころですね。
私にとっての口ひげは尊厳の象徴です。ではなぜ尊厳が必要なのか?これはそのうちエッセイに書きたいと思います。
感想、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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