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  東北大学植物園と最上古街道を訪ねる小旅
先週の土曜日の午後、三太郎の小径(前回記事に掲載済み)を訪れた後、私はその足ですぐ隣にある東北大学植物園に向った。

※東北大学植物園の位置:黄色、仙台城址:赤、三太郎の小径:オレンジ

館内の様子はこの通り、植物の標本に混じって動物、鳥類のはく製や昆虫の標本も見られ非常に充実した内容になっている。

園内に出た私を待ちかまえていたのはこのひょろ長い石と天辺が尖った石だった。
一見すると石碑にも見えるが…

 なんと非常に古い石碑だった。蒙古高句麗の石碑と呼ばれている二つの石碑はそれぞれ謂れがあるようだ。別に蒙古の霊を鎮めるためでもないのになぜこんな名がつけられたのだろう?
 
 またこの説明書きの陸奥守とは蒙古と戦った人のことなのだろうか?この説明だけでは釈然としなかった。視点を変えて解釈すれば蒙古襲来が我が国に与えた脅威は計り知れないものがあったからこのように命名したということになるのだろう。

園内の地図である。一周に1時間15分を要する山道だが黄色で囲んだ部分をご覧頂きたい。「最上古街道跡」と書かれているのがおわかり頂けると思う。ということはこの石碑のあるところは旧道に面していることになる。

これが蒙古高句麗の石碑のあった方向である。当初はただの山道でこれが旧道とは夢にも思わなかったのでうれしい誤算と言えるのかも知れない。

 説明によるとこの最上古街道は仙台城虎ノ門付近から愛子方面を経て山形に通ずる道のようである。一説によると伊達政宗が青葉城を築城する以前、青葉山は寺地で、寺はその後青葉区北山に移設。最上古街道は、政宗が築城する以前(鎌倉時代)に仙台と山形を結ぶ道とのことであった。

これは立て札から若干西のほう(山形方面)に行った場所である。
この道をいにしえ人が通ったと思うに、私は軽い興奮を押さえることができなかった。

 多くの森や林が農地開墾や開発とともに姿を変えるなか、この森は近世以降仙台城の要塞の範囲に入り、その自然が守られた。その人為的な理由でこの旧道もそっくり残ったのだ。
 
 尾根から下を覗くと谷川のせせらぎが私の目に入った。
今から数百年も前、いにしえ人もこのようなモミジを見たのだろう。
そしてせせらぎで喉を潤し、一服し安堵したのだろう。
否、治安の無かったこの時代、山賊や追いはぎには懸念を払ったのかも知れない。
 
もっともこの話は伊達政宗がこの地を支配する前のことになろうが…

伊達藩で連想される木と言えば樅の木ではないだろうか?
山本周五郎著の「樅の木は残った」という歴史小説があるが、このモミ林は北限がこの辺りという意味で非常に印象に残った。

モミの林は今まで意識して見たことはなかったが、言われてみれば今どき珍しいものなのかも知れない。

しばらくするとこんなものが目に入った。一見ただの沢のようにしか見えないが…

この沢に見える窪みは仙台藩の遺産「掘り切り」だった。断崖絶壁と川に囲まれた仙台城は難攻不落の城で有名だが、実のところ西側~北西側に不安要素があったのだ。これを補うために人工的な掘りを切ったり、切り通しを作っていたのだ。

 このコースを一周してほぼ1時間半経った。植物園本館のすぐそばにこんなヨシの群生が見られた。
 
 国木田独歩の小説「武蔵野」によると、昔は関東平野の多くが湿地で萱原だったとされるが、仙台地方の沖積地帯ももこのようなヨシ原や萱原が広がっていたとされる。その湿地帯はやがて文明の発展とともに埋め立てられ、道路や宅地となっていった。
 
 文明の発展はその地区の植物の生態に大きな影響を及ぼす。そして多くの失われた森や林はけして再生されることはない。ヨシ原や萱原も同じではないだろうか?私はこのヨシの群生を見てそんな思いを感じた。

思いがけない旧道との遭遇に感動し、植物の生態系の大切さを再認識したこの日の散策であった。
                     
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コメント

No title

こんばんは。
仙台市内とは思えない、静かな道ですね。本当に山賊が出て来そうな雰囲気ですね。
蒙古の石碑も珍しい物のようですね。かなりのインパクトが東北地方にもあったのですね。
仙台城の空堀、見事ですね。馬が越えられない高さに掘ったと聞いたことがあります。

今回の散策記も興味深く読ませていただきました。有り難うございました。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

最上古街道跡と付けられた由来が初めて見ても
歴史の重みを感じます。石碑の形に少しミステリアスな印象を
受けますけど信仰されていたのですね。
長い道を色んな想いを抱きながら進んでいく姿が見えるようです。
今は多くの自然が失われていますが
このように森林が生い茂る場所も大切に残されて欲しいですね。
写真を見ていると私も一緒に歩いたかのような気持ちになりました!

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、仙台市内の身近なところにこんな旧道があるとは…、カルチャーショックを受けました。

仙台藩の城の領域によって守られた旧道と史跡、この背景に少し大げさかも知れませんが例のアイスマン発見に似た偶然性も感じました。
また今回の探索で天然の要害と思われた仙台城の弱点も知りました。

芥川龍之介の「藪の中」、菊地寛の「恩怨の彼方に」など、山賊や追いはぎは多くの小説にも登場しますが、それを思うといにしえ人の旅はそれほど気楽なものでなかったのかも知れません。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、現代の都市や地方において極めて意外なところを通っていた旧道に気付く時、驚きと感動があります。
でも逆に言えば「昔の道の原点」とはこんな感じだったのではと思います。

伊達政宗の築城の候補は他にありましたが、いろいろな思惑と経緯を経て仙台になりました。
その築城がこの旧道の保存に繋がったのは極めて興味深いところです。
この築城がなければこの山は宅地として開発され跡かたさえなかったのかも知れません。
仙台城の秘境とも言えるこの場所に初めて入り、この偶然性にロマンを感じました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

以前から訪れたいと思っていましたが、まだ散策していません。。。
石碑も旧街道も切通しも興味深いですねぇ~是非とも行かなければ・・・
五郎姫も愛子方面からこの道を歩いて仙台城へ来たのでしょうか???ナイス!!https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s14.gif">

URL | M.ROSSO ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんにちは。

確か、蒙古襲来は九州での闘いでしたね、それが東北まで及ぶ
とは、蒙古襲来がそうとうな脅威だったのですね。

また、旧跡が残って居る事も不思議です。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ロッソさん、某ブログによると最上古街道の推定ルートを鳥瞰写真に赤線で描いていました。
そのブログには五郎姫が歩いたのでは?との考察が記してありました。
今後の研究課題として興味深く拝見しました。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、九州とは地理的に大きく隔たりがあるに関わらず、東北にこうした石碑が建てられた史実をどう解釈するか…。
おそらく蒙古襲来は日本全土を揺るがした衝撃の事件だったのでしょう。
これを追っての歴史検証も一興ですね。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

遅れ馳せながら、前回の続きを読ませて頂きたくてお邪魔しています。
蒙古の碑、形にも由来にも興味をそそられますね。
さまざまな歴史を秘めた古道を歩くと思わず心の高鳴りを感じますが、それがさまざまな案内板と共に、物園内に保存されていることは意味深いですね。
歴史の名残漂う古道の散策、ナイス!です。

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、最初はただの山道と思いましたがここに蒙古の碑があるのには驚きました。
形も奇抜で一般の祠とはまったく異なります。
由来を知りたいところですね。
昔メインだった道とは思いがけないところを通っているケースがある。
それを自覚したこの日の探索でした。

ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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