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    真の友情のありかたとは?
「相手によって同情はあつかましいと感じられることがある。あなたは交友関係においてこれを未然に察知しておく必要がある。」ニーチェ「ツァラストラはこう言った」より

 ニーチェの解説書を読んで気付くのは直訳した場合、補足しないと読者に誤解を招くことがよく見受けられる点である。ニーチェの言葉はインパクトが強く、独創的であるがゆえに余計に誤解を招きやすいのである。ある表現(直訳?)においてこの言葉は「同情は厚顔(無神経)である。」と書かれていた。

 この表現だと全ての同情は迷惑であるとも受け取れる。したがって私はこの言葉に誤解を生じないように注釈を加えこう表現させて頂いた。同情は相手が望むならしてもいいが、相手の気位が高い場合は逆に軽蔑にも感じられることもあるので、心情を深く考慮してから決定されるべきである。と。
 
 あなたは他人から同情されて不愉快に思ったことはないだろうか?気高く孤高なニーチェは人から同情されるのが嫌いだった。従って彼は他人に対してもそう配慮すべきであると考えた。ニーチェは従順な羊も好まなければ奴隷も専制君主も好まなかった。


  彼が友として選ぶのは自分と対等の立場に立てる自立した人間であり、好敵手としても認め得るものと捉えていた。一般的な考えでは敵と友は相反するものと考えるのが普通だし、こういう思想は難しいものなのかも知れない。

 例を上げて説明しよう。しいて言えば「映画ベンハー」の中のベンハーとメッサラのような関係がこれにあたるのかも知れない。支配者階級であるメッサラは実は戦車レースでベンハーと闘う必要は全くなかったのであるが、あくまで友であるベンハーと対等になりたかったのである。また戦車レースで瀕死の重傷を負ったメッサラが片足の切断と死の二者択一の選択を迫れたときに、栄誉の死を選んだのも永遠のライバルであるベンハーを意識してのことだったと思われる。
 
 また太宰治の「走れメロス」に登場するメロスとセリヌンティウスの関係も、おそらくこのような関係でなかったのではないだろうか?最後のセリヌンティウスが処刑される寸前に駆けつけたメロスが「少しでも君を裏切った私を殴ってくれ。」と述べた心情。この場面に真の友達としてのあり方とは何なのかを改めて問われる思いがする。
 
 ニーチェは相手がこれに満たない存在なら、それは友でも闘うにも値しないと考えたのであろう。「友は敵にもなり得るがけして怨まず畏敬の念を抱き、常に対等に…。」、彼はこう言った言葉を心に抱いて哲学者として自己を俗に至らしめることなく、高めていたのでないだろうか。
 
KR500レプリカの部屋「ニーチェの哲学」シリーズ
※「ニーチェが我々にもたらしたもの」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31059393.html
※「あなたはなぜ注目されないか」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31090631.html
※「人生の通過点に過ぎない現在を重視する」へhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31096723.html
※「あなたは喜び方がまだ足りない」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31115923.html
※「黙っているのは難しい」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31155643.html
※「苦境にあっても仮面舞踏者のように舞う」へhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31331856.html
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コメント

No title

こんばんは。
対等な立場であり友達とは、理想の友と言えると思います。実は、このほかにも、対等でいる努力をする事は、実は大事な振る舞いではないか?と感じています。
客と店の立場でも、実は客が偉過ぎだと、客に不利益な事もあると思います。店が、客よりも客の財布の中身を尊重しているシチュエーションはよく見かけます。病院での患者と医者の関係も同様な事が言えるでしょうね。

ベンハー、大好き映画です。映画では、戦車競争後には、お互いの友情が復活しましたが、原作ではやはり最後まで、メッサラに対する復讐心が描かれていたと記憶しております。これもまた人間らしい、と高校生当時は感じていました。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、おはようございます。

細かい事は、判りませんが、あの有名な「映画ベンハー」の戦車レースはいまだに気憶にあります。
其の時はただ凄い映画と思って見ていましたが、友達と云う意味で
すと、考えさせられますね。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、深い考察を頂きありがとうございます。
彼の言葉は対等であることの大切さを伝えたかったと思います。
人間同士のつき合いはこのような対等の立場でなければ忌憚のない意見も出てこないし、まやかしだけのつき合いになってしまうでしょうね。
それにあえてメスを入れた彼の着眼に非なるものを感じました。

見方によってベンハ-に登場するメッサラは単なる悪人とみなされがちですが、最後の戦車レース出場の意味をよく考えてみるとこういった考えに及ぶのでないでしょうか。

私は彼のこの言葉を『真の友達とは一体何なのか?』を如実に教える核心に迫った名言と受け取りました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、ニーチェの言葉は表面だけだと誤解を生じてしまうものも存在します。
投稿した言葉は私自身も最初誤解し、「全ての同情はお節介で迷惑なもの」という偏屈的な考えと受け取りましたが、解説書を熟読するとそうでない(一部肯定)と判明しました。

誤解が解けた時点で私も同調を感じ、ブログへの投稿を決めました。

ベンハ-では作品の陰にいろんなテーマが見受けられますが、こういった見方があってもいいのではないかと思いました。

ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

互いに同情しない友達関係 …何となくわかるような気がします。
悲観し合うような関係や人を哀れむような考えはあまり持ちたくありませんね。どんな状況でも一生懸命に生きている友はそれだけでも
素晴らしいと思います。自分にとって対等な関係で互いに向上心を持つような付き合い方が理想です。
ベン・ハーは大好きな映画です。そして走れメロスも
信頼し合う関係を感じされる名作ですね。
真の友情とは、と今日は考えさせられる1日になるそうです。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

おはようございます。
友達とは再々会っていてもいなくても、会えば昨日の続きのように会話が出来る間柄だと思っています。
時には自己主張をし、時には批判も出来る間柄・・・たいした仕事もしてなくて友情も程ほどですが、ニーチェの言葉は解る気がします。
やはり友達関係は対等でなければと思います。MN

URL | はぐれ雲 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんにちは
僕にとって友とはじゃんけんみたいな存在です
お互いがグー チョキ パーで
時に対等であったり
負かされたり 勝って見たりしながら
付き合える きつい言葉も友情があればこそ
また受け入れる度量があればこそだと思います
本気で殴りあえる相手が少なくなりました

URL | - ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、ニーチェの考えは本当に俗離れしていると思います。彼にとって友人との関係は距離を置きながら、お互いなあなあの関係になることを望まなかったのでしょう。
適度な距離があるから礼節や尊敬が生まれるのかも知れません。

昨日は例えをどういう表現にするか構想を練りましたが、ベンハ-とネッサラの関係しかひらめきませんでした。
メロスに関しては今朝思いつきました;;
私にとってもこの言葉は大きな影響力を持ちそうです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

はぐれ雲さん、私も同感します。
友人との関係は一定の距離を置くことで相手への礼節や尊重に繋がると思います。

対等な関係は真のギブ&テイクを生み更なる信頼を築き得ることでしょう。
ニーチェがワーグナーと別れたのはお互いの裁量、尊厳を認め合ったためと理解しております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

あぶさん、こういう友達を持つことは大切ですね。
ニーチェは自分だけでなく友達にも理想を求めたと言えそうですね。
フィクションですがシャーロックホームズとワトソンの関係もいい関係だったと思います。

私が一番印象に残ったのは70年代初めに放映された映画「シャーロックホームズの冒険」でした。
このなかでワトソンが名誉を汚されたホームズのために悪漢にボクシングで決闘を挑むシーンが英国紳士らしい気質を感じました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんばんはぁ~☆!

確かに、直訳と思われる訳し方だと、誤解が生じ
ますよね・・・「同情は無神経である」と言われて
しまうと、かなり多くのことが否定されて
しまう気がします。

人間関係において、相手がどの様な人物なのかを
見極めるのはとても大切で、また必要なことですよね。

ニーチェが友人を選ぶ基準は、とてもよく理解
出来る様に思います。ニーチェの様な人が友人をつくるのは
難しい部分もあるかも知れないですね。

ナイス!☆

URL | Maya ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Mayaさん、おっしゃる通りだと思います。
ニーチェは別な言葉で人間は大きく二つのタイプに大別され一つは愛されるタイプ、もう一つは尊敬されるタイプです。
彼は言うまでもなく後者を選んだわけですが一方ではこうも語っています。
「物事を知っていても知らないふりをすることによって、あなたは人から愛されるようになる。」
「人は尊敬されるより愛されるほうがいい場合が多い。」と。

これは非常に身にしみる言葉だと思っています。
ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

哲学的なトラックバックありがとうございます。

先日の研修では多くの事を考える機会をいただきました。
いつでもこの仕事を語り合える人がいますか?という質問に
直ぐハイと言えたことが嬉しかったです。
フィットネスを通じて大親友となった彼女も受講し、その瞬間互いに目を合せ頷き合いました。
正に共感できる相手がいる幸せを感じました。
また↑のコメントでおっしゃっている「物事を知っていても・・・」と「人は尊敬・・・」私も身に染みます。
夫婦も畏敬の念があれば上手くいくと信じています。
とてもタイミングの良いトラックバックをありがとうございました。

URL | 和奴 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

和奴さん、東洋思想である儒教精神とともにもう一つ私の心に生きているのがニーチェの哲学であります。
同情されることは厚かましい。例え友であっても名誉は重んじられるべきであるとは如何にもニーチェらしい高察と受け止めております。

友情は男女の愛と異なり、孤高を尊重すべきものである。しかるにべったりとくっついていてはいけない。それがしはこの一節からこのようなものを感じた次第です。

友情に男女の区別はない。これはきょうのご自身のコメントから彷彿したそれがしの実感にごさいます。こちらこそ相互トラックバックを頂き感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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