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本日『みやぎ北上川今昔』(みやぎ北上川の会発行)という著物に掲載された北上川実測図を見て、生家の横町の近くにあったとされる堀の位置がよくわかった。実測図が描かれた時代は明治30年(1897年)頃のものと思われる。(同書P160より引用)
水色が堀のあったところ(現在は埋め立てられたり、暗渠となって堀としては殆ど残っていない)である。赤は私の生家のあった場所である。



これは郷土史家の故・紫桃正隆氏(1921~2008)の描いた横町の隣町である蛇田町(現旭町)の想定図である。上記の地図と異なり北と南が逆さまで描かれていることに留意して頂きたい。蛇田町の住戸に関して一軒、一軒の世帯の名前も書いていることから、信頼性はかなり高いものと受け止めている。私の生家のあった横町は右側の屋敷の列のほうである。



これは今年(2018年)の6月17日に掲載した堀の位置(水色)である。この時の推定はほぼ正しいものと受け止めている。



国土地理院発行の現代の地図に堀の位置を落とすとこうなる。(赤は生家のあった場所である)



横町挨拶
今回の精査で生家と堀の位置の関係がはっきりとして参りました。生家の目の前を堀が通ったのではないようですが、曾祖母の代に与えた影響は大きいと察しております。曾祖母は養蚕業にも関わり、祖父は運送業にも関わりました。このあたりに往時の暮らしぶりが垣間見えて参ります。もう一つ視野に入れねばならないのは、このあたりはかつて歓楽街(花街)としての顔があったということです。

藩政時代の石巻が川沿いに沿って繁栄した。この事実と噛み合うのが明治30年(1897年)頃の北上川実測図です。私の曾祖母Mは1855年生まれ、然らば40代前半だった往時の曾祖母はどういう暮らしをしていたのか…大変気になります。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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