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 城下町を一夜にして壊滅させた戦火、しかし…
 藩祖伊達政宗の先見によって今から400年以上前に骨格が作られた仙台、わが町仙台の歴史を語るうえでどうしても避けて通れないことがある。それは今から67年前の仙台空襲である。
 
 仙台空襲は市街の大半を焼けつくした歴史的惨事であったがその形跡を顕著に残す記念館がある。それは仙台市戦災復興記念館という建物である。きょうは先週行ったその時の様子を十数枚の写真とともにお伝えする。
 
 この記念館のある場所は中心地に近い青葉区大町、藩政時代は侍屋敷が建ち並ぶ仙台でも由緒ある場所である。

昭和56年完成、ここが仙台市戦災復興記念館である。

航空写真で建物の位置を確認して頂きたい。仙台駅からは2キロほど西の方角である。

広島原爆投下、日本国民のさしせまった様子がこのステンレス製モニュメントに描かれていた。
展示室の中に入るとこの通り。今まで仙台の歩んできた歴史と戦災の時の様変わりが把握できる内容となっている。

火炎地獄…B-29の爆撃を受け、戦火に包まれる仙台の町、仙台人にとっては心を裂かれるような情景でないだろうか…。

当時はほとんどが木造家屋であり、しかも密集状態の立地、そこに焼夷弾が落とされたらどうなるのか?想像に難くないだろう。
ご覧の通り、仙台駅西口の市街の大半が焼夷弾で焼き尽くされてしまった。

東京空襲の火の海を経験した人の多くは空襲を受けたら逃げることを第一に考えたというが、仙台市民は空襲に慣れていないので防空壕に頼りすぎ、壕の中で悲惨な最後を向かえたかたが多いということであった。

これは被害の概要である。実際には1066人が亡くなったとのことである。

帰国する兵士、そしてこぼれんばかりのこの笑顔。
これはこの日一番印象に残った写真である。
 
命がけの戦地から無事に戻れば誰しもこんな表情になるのではないだろうか?
戦争の爪痕をまざまざと見せつけられ、暗くなった私の心に安堵を与えてくれたのはこの一枚の写真であった。

展示室を出て2階に上がってみた。
ホールの床と壁はすべて石貼りで復興記念館のイメージに相応しいものであった。
平和を願う人々の心、家族や友人の絆…
石貼りの建物を見ると人間心理の奥底に潜むなにか普遍的なものの存在を感じる。

展示室を見たあとは館内(2階)のレストランに目が.移った。
コーヒーや定食、雰囲気の良さそうなレストランである。
既に食事は終わったのでコーヒーを頂くことにした。

 突きあたりには仙台の下町の小路が広がり、文字通り戦災からの復興を感じさせてくれる。

67年前、多くの文化遺産とともに全てが焼失してしまったこの地域。
そして犠牲になった市民、出征し戦死した兵士… 
 
現代人は贅沢で我儘になった。戦争の犠牲になった人から見ればこう思うのではないだろうか?今日の平和と繁栄は多くの人々に犠牲よって成り立っている。それを忘れてはならない。
 
ここで頂くコーヒーはカフェで頂くコーヒーと全く違ったものを私に感じさせた。

 1階ホールには仙台空襲で夫や子供を失った女性教師の書かれた絵や文が展示されており、改めて息を飲んでしまった。

最後にエントランスホールに掲げられた不死鳥の刺繍に目を奪われた。
それは今回の大震災にも共通する復興を願う人々の大きなエネルギーを感じた瞬間であった。
都市は死んでも必ず再生する。
仙台市復興に尽力した人々の熱い思いを感じた一日であった。

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コメント

No title

こんばんは。
戦争、恐ろしいですね。屋上から、かろうじてスカイツリーや新宿の高層ビルが見える距離の我が家の辺りでも、東京大空襲の時は、空が真っ赤に見えたと言います。
私が大学生時代を過ごした広島では、原爆の爪痕があちこちに残っています。学内にも、被爆建物や様々な逸話が有りました。しかし、70年近く経過して記憶から風化しようとしています。世界で起こるナショナリズムや摩擦、何やら不安を感じずにいられません。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。

私もいつか行きましたが避けて通れない大きな出来事ですよね。
今回の地震での被災のように当時はパニックと落胆だったでしょう。
現代のようにライフラインが確立されていない時代ですから尚更です。
よくぞ頑張ってここまで…
そんな思いです。
人間は幸せになりたいくせに。時々自己欲が覆い被さってしまい争いを起こします。この悲しみを振り返ること…大切ですよね! ナイス

URL | ミント ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

記事、改めて拝読しました。
戦災復興記念館が仙台にはあるのですね。当時のリアルな状況や
戦災の恐ろしさ、そして過去から未来に送られたメッセージを
見たような気がします。
多くの犠牲者となった方達が安らかに眠られる事を祈ると共に
このような体験を二度と繰り返してはいけないと思う気持ちです。
今ある平和な暮らしの中で犠牲があった事などを供養する気持ちも
忘れがちですが、心にとめておきたいですね。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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米国人は人権人権とシリアなどを非難していますが、以前はこのようにして、非戦闘員の一般市民を焼き殺してきたのです。仙台は被害の少なかったほうで、日本中では何人ころされたのでしょうか。
小生の住んでいたところも焼け野原になりました。このような事はシッカリと覚えておいた方が良いと思います!

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、歴史は繰り返されるといいますがこれだけは二度と繰り返して欲しくないですね。
この日はそんな思いで記念館を後にしました。
昨晩は中途半端な記事のまま記事を更新し大変失礼しました。
早速今朝、修正を加え、なんとか人目に耐えるものとしましたので宜しければご覧ください。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミントさん、記事でもお伝えしましたがこの日一番印象に残ったのがこの兵士の笑顔でした。
彼の讃えた満面の笑み、これは人間の本質を現わしているのでないでしょうか?
平和に恵まれたわたくし達ですが、こういう笑顔が日常で得られるような社会を作ることが犠牲になった先人への弔いであり、務めでないでしょうか。

これは戦争のみならず今回の震災に関しても言えると思います。

昨日のつたない記事に対してのナイス、大変恐縮しております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、現代において我々は平和社会を享受しております。
でもその平和は誰がもたらしたのか、もう一度考えてみる必要があると思います。

「あるのが当たり前と思ってはいけない。」…そんな心構えを改めて感じさせられたのがこの日の戦災復興記念館訪問でした。

我々は犠牲となった人々の御心を後世に伝える義務があるのではないでしょうか?
わたくしは自分の原点をもう一度考え直し、後世の人に何が残せるかを真剣に考えてみたいと思いました。

その心境を一言で言えば「温故知新」という言葉になります。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、民族間の争いは歴史においてつきものですが、このことはけして忘れてならないことですね。

但し、物事を公平で見るならば同じことを朝鮮や中国のかたが思っていることも忘れてはならないと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、今晩は。

私も5歳の時に横浜大空襲に遭いましたが、余り多くは覚えていません。
終戦後のアメリカの艦載機が横浜の上空を飛んでいたのは
よ~く覚えています。
ニ度とこの様な事が無い事を願っています。

写真を見て思い出しました。(防空頭巾を被って防空壕に入って居ました)

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、防空壕の中で敵機の襲来を向かえるお気持ちは想像に絶します。
まさに生きた心地がしないのではと思います。

戦争の悲惨さを風化させないためのこういう記念館をいつまでも残して欲しいものです。
この日は改めて今日(こんにち)の和平と繁栄をもたらした多くの先人の御霊に触れ、誓いを新たにして参りました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

おはようございます
いまさらながら日本国民の力強さが感じ取れますね
しかし 今に至って米軍の無差別な攻撃は
狩猟民族の民族性なんでしょうか
中国や韓国は農耕民族のはずだから
浅生とも言い切れないのでしょうか

URL | - ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

あぶさん、この日は戦災からの復興を成し遂げた我が国の裏に潜むアメリカの合理性も感じずにはいられませんでした。
民族はお互い理解することが必要なんでしょうね。
DNAをたどれば一つに行きつきますので。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんばんはぁ~☆!

本当にお久し振りになってしまい、すいません m(_ _)m]

戦災復興記念館は、演奏会など、ホールを使用する際に
何度も訪れていますが、恥ずかしながら、戦災に関しての
資料をじっくり見たことがありませんでした・・・

ミックさんの今回の記事を見て、仙台空襲の悲惨さを
改めて思い知った感じがします。
そして、街がどんなに壊滅的な被害を受けても、
必ず復興する人々の強さもまた感じることが
出来ました。

昔に比べ、人々の心の繋がりが希薄になって
しまったことは否めないですが、震災からの
復興も、戦災の時と同様に、強い意志と絆で
早急に成し遂げて欲しいと願わずにはいられません。

ナイス!☆

URL | Maya ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Mayaさん、先妻復興から立ち直った仙台ですが、計画的な都市計画のもとで、結果的に藩政時代にはなかった広い道路と整然とした街並みを手に入れることができました。
これは合理的に考えれば前進ですが、この前進の陰に多くの犠牲が払われたことを忘れてならないと思います。
知っていながら忘れてしまう戦争時の尊い犠牲、これを改めて考え、思い起こしたこの日の記念館訪問でした。

ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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