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昨日図書館で興味深い著物を借りてきた。
伊藤孝博著・無明舎出版『江戸「東北旅日記」案内』である

本書は江戸時代の東北地方を描いた紀行文の案内で、全20景から成る名著である。この第12景に富本繁太夫『筆満可勢』という旅日記が紹介されている。繁太夫は江戸の深川に住んでいた芸人で生年も本名も不詳である。江戸浄瑠璃の一派富本節の芸人ゆえ富本繁太夫を名乗ったようである。仕事に欠かせぬ三味線引きを連れての旅であった。文政11年(1828年)6月に江戸を出て鎌倉や浦賀でひと稼ぎしようともくろみ、仙台行きの廻船に乗り込み石巻に向かった。『筆満可勢』は石巻から東北各地を渡り歩いて、北陸から京都に入るまでの8年間の旅道中の日録である。

文政11年7月12日に北上川河口(石巻市門脇)に達した一行は港の入り口を示す標識が壊れていたため着岸できず、伝馬船に乗り換えて、近くの長浜(現石巻市魚市場の辺りと思われる)に上陸したという。口達者な彼は江戸相撲の伊勢ノ海親方の添え状があるなどと偽って地元の顔役の利蔵に掛け合い、浄瑠璃でひと稼ぎしたという。

大正初期の頃の長浜はこのような砂浜の続く海岸であった。富本繁太夫が上陸した頃は約85年前のことである。

繁太夫はその時の長浜の様子を「ここは長浜といって、一面に小松が生え、向こうに松並木があり、景色の良い浜辺である。素足で(中略)上陸し、(中略)まずは無事に到達したので、三人ともほっと息をついて悦んだ。(繁太夫は三味線引きと弟子を連れての三人旅だったようである)ここは仙台と金華山を結んだ金華山街道である。そこから少しずつ石巻に赴く。道端に田や家があり、細長い茄子がある。江戸などにもこのような長い茄子はあるが、こんなに細く長い茄子は珍しい。ほどなく石巻に来て、舟の親方の利蔵宅に着く。

安政5年(1858年)の石巻地図。従って繁太夫が訪れてから30年後の地図である。

この時期、ここでは「わかなご(ブリの幼魚?)」という魚がたくさん獲れる。一匹三文ぐらいである。まずは風呂に行く。湯銭は一人あたり八文である。(中略)一向に理解できない。察するところ、こちらにとっても分からないのだから、こちらの話も(先方には)分からないのだと思う。我々陸上を旅してきたのならこの国の言葉も聞き馴れただろうが、相州浦賀海上を来て、この国の言葉を初めて聞いたので、どこに行っても(相手の言葉が)皆目分からないのである。
…このように非常に興味深い描写が続く。
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ところでインターネットで富本繁太夫『筆満可勢』を調べたところ、他の著物がヒットした。織田久著・無明舎出版『江戸の極楽とんぼ』である。

以下案内書きより引用

旅にしのぎをかける遍歴の芸人あれば、身はうき川竹の遊女芸者あり。
無頼の目明し、金貸しの座頭、芥のように世間の陰をゆく者の喜怒哀楽。
地方遊里の実態や興行の仕組みなど、
江戸の文人墨客の紀行が黙殺してきた東北地方の知られざる一面を描く。
【目次】は
1、芝居が本の世の中 「筆満化勢」とその時代
2、富士よ、これが見納め 浦賀から石巻へ
3、富本豊後大掾藤原衆秀 偽称して奥州路
4、評判雷鳴轟く如し 雪の盛岡
5、蝦夷地渡海を志す 三陸海辺めぐり
6、いやはや、面目ねぇ 正体ばれて秋田
7、遊女は惚れたといい 本荘酒田色模様
8、三度、町を追いだされ 鶴岡の女
9、御身ほどの名人は稀なり 長岡の贔屓連
10、声の出ぬのが口惜しい 越後高田立ち往生
11、太平の世の戦国にて 流れ着いて祇園

12、有頂天の空いずこ おそらく江戸深川
あとがき

である。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
横町挨拶
富本繁太夫『筆満可勢』は流し芸人の旅日記で歴史書ではありませんが、往時の風俗(花街の様子)や風習を現代に伝えるものとして興味深いものを感じています。繁太夫が1828年に上陸したとされる石巻の長浜は自分が少年時代に海水浴で訪れた場所で自叙伝『長浜海岸での思い出』にも描いている場所なので、190年前の周囲の細かい描写には大変驚きました。

家系図で我が父方生家を振り返れば、高祖母が1828年生まれなので、富本繁太夫が訪れた頃の石巻はちょうど高祖母が生まれた時代でした。であれば生家は五代祖父、五代祖母の時代と察しております。想像すらできないこの時代の石巻の様子の一部が、この著物で明らかになるのかも知れません。

話は変わりますが、石巻の昔の風俗を窺わせるものとして徳田秋声の『縮図』1941年発表がございますが、これは繁太夫が訪れた頃から百年後の石巻で芸者をした彼の愛人からヒントを得たものとされます。そう考えると、港町と花街は昔から切っても切れない縁があるのを改めて感じます。

ところで『江戸の極楽とんぼ』は石巻だけでなく、他の東北地方(平泉、盛岡、宮古、久保田(秋田)、本荘、庄内)のことも書いているので、近いうちに図書館で是非借りたいと考えています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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コメント

No title

江戸期の東北の各地を案内した書物の紹介ありがとうございます…。。。

また、貴兄の五代祖父母の時代の石巻をしる資料を見つけられ何よりでしたね…。。。

私も、アテルイの時代からの、東北の遺跡巡りをいつかしたいと思っているので、参考にしたい資料だと思います…。。。本日もありがとうございました…。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは 横町さん

これは興味深い書物ですね。
北陸から京都に入るまでの8年間の旅!
昔の人はすごいの一言に尽きます。
浄瑠璃で収入で旅費も続いたのでしょうが、一大決心をしなければ出れない旅ですよね。
当時の土地の生活状況などが書かれ、歴史を追及している横町さんにとっては「これだ!」と思う一冊になったのではないでしょうか。
良い書物に出会えてよかったですね。

URL | ヤスミン ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> boubouさん
なるほど、アテルイの時代からならば最低でも一週間の滞在は必要とこちらこそ、お励ましを頂戴しました。芭蕉の足跡や吉田松陰の足跡、戊辰戦争を振り返るならば二週間は要しましょう。

近いうちに『江戸の極楽とんぼ』の読後感想をアップしたいと考えています。本日は貴兄との接点の増加に感謝しております。今回も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ヤスミンさん
富本繁太夫の凄いところは海路で東北の石巻に至り、陸路で他所に移動した点です。彼は余程、生へのベクトルが強い人物だったに相違ない。然らば自分もかく在りたい所存です。

ところで彼は浄瑠璃の芸達者にかまけて、東北各地で女難に苛まれたようです。これも因果と言うべきなのかも知れません。今回は良書との出会いを是非ものにしたいと考えています。本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

江戸時代の旅行記でしかも旅芸人が書いた
となればとても庶民の目線に近いものでは
と思いました。
当時の生活や遊びなど紹介されていそうで
楽しめそうですね。

URL | ことじ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
江戸時代の東北地方で、しかも横町様も幼少に訪れた思い出の場所も細かく書かれていると、非常に興味深いですね。
旅の中でどのような場所を訪れ、どのような生活習慣があったのかと言うのも良い資料になりますね。
他の書物と合わせて知れる事が多そうです。
読むのが楽しみですね。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

横町利郎様へ
大昔に私は親父の手を引き会津若松の飯盛山に行きます。タクシーの運転手さんが丁寧に白虎隊の話をしてくれるのですが。何を言っているのか。最後まで分りませんでした。覚えているのが『十手』と『御用』だけでした。ですから東北は遠い所なのだなと感じたものです。それと風俗を語らねばその土地の事は実は分らない。人が集まる所に女ありとなります。こんな事を申し上げている私ですが。これに気付いたのは大分経ってからです(笑)。興味深い本を読まれて何よりです。ナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ことじさん
風俗的な色合いを帯びた芸人の旅日記ゆえ、これに関しての研究や著作は非常に少ないものと認識しております。
但し、ここに自分としては踏み込むだけの価値を感じています。富本繁太夫は本名もわかりませんが、なかなかの筆達者でもあるようです。

実は『筆満可勢』の中の石巻はほんの一部に過ぎませんが、故郷ゆえ大変興味深いものを感じています。おはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> joeyrockさん
実はその昔、自分の生家のあった横町は花街としての顔を持ち合わせておりました。こうした知識の積み重ねが郷里石巻を一層深いものと為しえると確信しております。
自分の五代前の石巻の風俗が果たしてどんなものだったのか?これを知ることも大きな意義があると認識しております。

本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 不あがりさん
『筆満可勢』は歴史とはいい難い風俗の分野ですが、往時の庶民の暮らしぶりを知る意味で却って臨場感を期待できる著物と察しております。貴兄のご尊父の系統は士族と聞いていますが、戊辰戦争では幕府側として奥羽越列藩側と関わったのでは?と察しております。

本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

なかなか面白そうな本ですね。江戸の文人墨客の紀行が黙殺して来た東北地方の知られざる一面が書いてあるとは、これも読まざる得ませんね。

URL | motoyoshi ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんにちは
石巻はかなり歴史の或るところだとは思っていました が私は40代の頃石巻駅から鮎川までの定期観光バスの ガイドをあるバス会社より依頼されて2年ほど専属で 乗務したことがありますが、手渡された教科書では不 安に思い自分なりに勉強しまたが、このような本を
読んでいればもっとお客様に石巻の歴史をお教えでき
たのでしょうね。残念です。

URL | tanuki ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> motoyoshiさん
港町と言って思い浮かぶのは、やはり花街です。1920年代と思われますが、徳田秋声の「縮図」のヒロインの銀子のモデルとなった女性が石巻で芸者をしていました。その時代から遡ること約百年、やはり石巻の昔を語るのには花街は避けて通れない気が致します。

読書意欲も増して参りましたので、近いうちに借りたいと思います。本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> tanukiさん
初コメントを頂き感謝しております。実は自分は石巻の郷土研究会である戦国船の会に入っております。また菩提寺も石巻ゆえ、石巻には結構足を運んでいます。

ところで米国の軍医のジョージ・バトラー氏の撮影したMIYAGI1951(1951年に宮城県沿岸部を撮影したカラー写真)はご覧になりましたか?URLはhttps://www.miyagi1951.com/です。昭和26年の石巻の風景が見られます、

鮎川~石巻のバス路線に関しては、仙北交通の運営時代のことが記憶にございます。昭和30年代の頃はボンネット式のバスも走っていたと思います。本日も厚誼は頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

8年間もの旅の記録は、歴史的価値もあるものなのでしょうね。それを、横町さんのご先祖様と重ね合わせれば、よりリアルに想像できることでしょう。
興味ある資料との出会いは、わくわくしちゃいますね。

URL | 布遊~~☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 布遊~~☆さん
この本は読まない手はないと考えています。歴史書以外にもルーツに迫る手はあると認識しております。

おはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは
たしかに興味をそそる本ですねー
江戸・明治の東北旅行記かぁー

URL | ギグス ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ギグスさん
確かに興味はそそります。それだけに歴史書にないものがあることを期待したい。某はそのつもりでペンを執った次第。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは~
北陸から京都に入るまでの8年間の旅日記
「江戸の旅芸人」率直に思いのままに
楽しい?旅だったのでしょう。
ありのままを記録したようですね。

URL | ボタンとリボン ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ボタンとリボンさん
これは極めて異色の日記と言えそうですね。それでも下手な歴史書よりも読み応えがありそうです。読み終えた暁には読後感想を著したい所存です。

本日も厚誼を頂戴しました。お陰様で、ブログ運営に欠かせないモチベーションを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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