fc2ブログ
農家から武家屋敷へ、過渡的形態を残す武家住宅
 本ブログでは現在までに仙台藩の現存する二つの武家屋敷を紹介してきた。
一つ目は宮城県登米市の鈴木家住宅(通称:春蘭亭)
二つ目は岩手県一関市の沼田家住宅である。
これらはいずれも伊達家の本拠地仙台よりも北の地域であるが、今回紹介するのは藩政時代の伊達領最南端とも言えるもう一つの城下町白石のものである。
 
 これは藩政時代の白石城下を立体的に描いた極めて興味深い鳥瞰図である。(余湖くんのHPより転載可を確認の上、掲載)それにしても力作である。ご覧の通り、城下町の常として城の周りの堀のそばには侍屋敷が形成され、万が一の事態に備えているのが顕著に理解できる。
 
 残念ながら、皆さんを今からご案内する小関家住宅(片倉家中級武士)の場所はこの絵には載ってない。右下の侍屋敷の表示からもう少しだけ右のあたりと思って頂きたい。

侍屋敷に向かう途中でこんな面白い看板を見つけた。
これも一つの昭和ロマンと言っていいのかも知れない。

看板から50メートルほど北に行くとこんな懐かしい郵便ポスト(現役)も立っていた。
この道の延長上が城の北側の帯曲輪というところに当たる。

昨日、城から向ったルートと撮影地点を改めて地図で紹介する。
凸:白石城、X:看板、ポストの場所

ここはA地点である。これから案内する小関家住宅より北に一本来た通りであるが、ご覧のように現在でも侍屋敷の雰囲気が十分に伝わってくる。
 
先日仙台の足軽屋敷も取材したが、侍屋敷は通りに対しての敷地の間口が足軽屋敷よりも大幅に広くなっていることに気付いた。この間口は武士の格式によって割り当てられるものであるためである

同じくA地点で撮影。この家は新しい家のようであるが間口の広さと塀、庭木の意匠が武家住宅を連想させる。

A地点から西へ100メートルほど来てみた。
格式の高い門や塀が武家屋敷の風格を漂わせている。

B地点、この堀は城の防御のための外堀である。道が堀に沿って湾曲している。
この通りを進むと小関家住宅である。
C地点、あと150メートルほどで到着する。

小関家住宅を案内する前にこの白石城下絵図を見て頂きたい。少し見づらいが赤で囲まれた屋敷に「小関右衛門七」と書いてあるのが確認できる。

D地点、ついに小関家住宅に到着した。

この立て札の「中武家」とは中級武士の意味である。
 
        旧小関家住宅概要
 
 片倉家中旧小関家は、宝暦11(1761)年の白石城下絵図に「小関右衛門七」と記されている歴史ある屋敷で、白石城の三の丸外側にある沢端川沿いに建てられた中級家中(武士)の屋敷である。この周辺は武家町として防衛の一環で町割りされた地域で、現在でも閑静な住宅街として雰囲気を伝えている。
 
 旧小関家住宅は平成4年に解体修復の際、柱に「享保15年(1730)2月12日」の墨書が見つかった事から江戸時代中期の建物と推定され、建物形態が木造平屋建て、直屋造り、寄棟、萱葺など伊達藩内で見られる農家建築に近いものがある事から、当時の武家屋敷は農家建築から発生し、武家流に変化していったと考えらる。
 
 主屋は桁行7.5間、梁行4間で、土台を回さず、礎石の上に束を乗せる石場建で平面構成も「広間型三間取り」という簡素な間取りとなっている。外部は沢端川沿いには生垣を回し、門の前後だけ塀を構えるといった実用的な造りで、門と家屋の軸線上に衝立を設けるなどの工夫も見らる。

門をくぐってもすぐ屋敷でない。屋敷の周りには塀がもう一つ巡らされているがこれは武家住宅特有の就寝中の不意打ちに備えたものと思われる。

部屋の間取りを見て頂こう。今まで農家の古民家も何件か見てきたが過渡的建物ということもあり、そんなに大きな違いはない。しいて言えば縁側がついたなかまを有していることである。

中に入ってみよう。間取りによると土間の部分も含めてだいどころと書いているが少し高くなったところが炊事場である。

これは茶の間である。
ところどころに灯りはついているものの思ったより暗い。
夜は行燈や蝋燭を灯りにしたことだろう。
この時代は電気もなかったので家の中は昼夜を問わず常に暗かったはずである。

 これはなかまと言って偉い人が来た時に使われる部屋である。普段は家長のみが使える部屋だったようである。今でいえば書斎兼客間といったところだろうかここでこの家に住んでいた小関家について説明する。
 
        小関家(白石城HPより引用)
 
 小関家の初代太右衛門元成は松前八之助家中の小関弥右衛門元直の次男で延宝8年(1680)、松前家から片倉四代村長に嫁した少林院市子(いちこ)の方の添人として白石に来て、はじめて片倉家中となった。元成12歳の時である。
 享保元年(1716)には番士に編入、その後は奥方用人として活躍した。小関家の屋敷地が当初から変動がないものとすれば、墨書の享保15年という創建時期はこの初代元成の晩年か、次の二代元友(もととも)の時代に相当すると思われるが、小関家と享保15年の創建期との関係は必ずしも明確ではない。

建物の裏側に廻ってみた。基礎にあたる部分は大きな玉石を積み上げて作られていた。

最後に正面(西側)に廻ってみた。西側に窓があるというのは当時は日照への配慮がなかったと思っていいだろう。説明によると偉い人が訪れたときはこのくぐり戸から通して、いきなりなかまの縁側から入ってもらったとのことである。

侍屋敷見学を終え、腹ごしらえをした。なにか白石名産品をと思ったのでここ「やまぶき亭」で白石うーめんを食べることにした。地図のD地点である。

みそうーめんセット¥900、味のほうは辛味噌ラーメンのうーめん版と言ったらわかって頂けるだろうか?とにかくくせがなくて無難である。

この店で展示していたうーめんを作る機械、今はすっかり製品化されたうーめんだが昔はこんな機械で作られていたようである。

白石城と武家屋敷、仙台藩最南部城下町白石の奥深い歴史に触れた一日であった。
           完
関連記事

コメント

No title

こんばんは。
武家屋敷の門構え、風格ありますね。周囲の住宅も、当時を偲ばせる雰囲気がありますね。
私の住む街は商家が多いので、街道に面して、間口は狭く、奥行きの広い住居が多いです。武家と商家の機能性の違いが感じられました。
うーめん、知りませんでしたが、名前の通り、ラーメンとうどんの中間ですか?

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

片倉家中武家屋敷、素敵な所ですね。
私の実家も城下町ですが、似たような町があります。

うーめん、美味しそうですね~。

URL | yoko ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、明治32年の大火で約900戸が焼失した白石の町ですが、この武家屋敷は難を免れたようです。

城下町において商家の間口は広いほうが有利なのでしょうが、割り当て上の制約があったようです。

うーめんはソーメンに近い麺類という感じです。
従って温かくても冷たくてもどちらでもいけると思います。
白石土産と言えばポピュラーなもので地場の看板商品になっているようです。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

yokoさん、盛岡は南部氏の城下町でしたね。
城下町には歴史が醸しだす趣がありますね。
盛岡に行ったら是非そんな情緒を味わいたいと思います。

この店のうーめんはいろんなバリエーション(天ぷら入り、塩味、醤油味…)がありました。
ラーメンとうどんの中間的な麺で、合わせはアールマイティという感じがしますね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

武家屋敷は修復されているのでしょうが
日本古来の美や威厳の造りがとても良いですね('∀`)
このような建築物はいつまでも守られて欲しいと感じる物です。
日本独自の屋敷の構えには、その背景の歴史や暮らしも感じます。

うーめん、食べてみたいです。とても美味しそうですね♪

いつか機会がありましたらミックさんには小樽の貴賓館の解説も
行ってして欲しいです。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんにちは。

新潟も武家屋敷もありますが、コメどころで豪農屋敷が多く残って
います。
渡辺邸・・・関川村
市川邸・・・新発田市
笹川邸・・・新潟市 南区 味方など色々と残って居ますよ。

私は、まだ全部見ていませんが、近くに行くと必ず見ます。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、この武家住宅は一度解体してからもう一度組み直したようです。
実は現存する多くの古民家は以前存在した場所を変えられて移転されていることが多いのです。
特に農家の古民家はこのパターンが多いです。

武家屋敷を考察する場合はその立地も大きな条件になってきます。
もちろん城にすぐ駆けつけられる場所であることは言うまでもありません。
そういう意味でこの小関家はおそらく建築当時から場所を変えていないと思われ非常に貴重な存在だと思います。
また、小関家は解説によると奥方の用人ということで片倉家からも厚い信望を得ていたことが推測されます。
おそらく品行方正な人柄があってのお役目だったことでしょう。
往時のそんなことに思いを馳せるのもロマンなのかも知れません。

小樽の貴賓館、是非取材してみたいですね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、新潟の武家屋敷を紹介して頂きありがとうございます。
是非写真でご紹介ください。
ナイス、ありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

とても興味深い白石城の鳥瞰図ですねぇ~!!見入ってしまいましたhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a454.gif">
いつも素通りして武家屋敷は見てませんでしたが面白そうですね!!https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a287.gif">
遅くなりましたが、ファン登録させて頂きました。ヨロシクお願いしますhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a459.gif">

URL | M.ROSSO ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ロッソさん、この鳥瞰図は余湖くんのHPから転載しました。
それにしてもよく描けてると思います。
武家屋敷のあたりはまだまだ侍屋敷の雰囲気が残っているのでお勧めです。
ファン登録ありがとうございます。
こちらこそ宜しくお願い致します。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんばんはぁ~☆!

今も、昔の武家屋敷の佇まいを残している建物が
沢山残っているのを見ると、当時の生活へ想いを
馳せることが出来て、ロマンを感じますねぇ~!!
あまり見たことが無い光景を見せて頂くことが
出来て、感激でしたhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">
忠誠を誓った武士の凛とした精神が伝わってくる
様でした。

みそうーめんセット、美味しそうですねぇ!!
昔ながらの機械で作ったうーめんも食べて
みたいですよねぇ!!

ナイス!☆

URL | Maya ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Mayaさん、この小関家住宅は他藩から嫁いだ姫の付き人を務めた家だったようです。
小関家以外は後世に建て直したものがほとんどですが、おっっしゃる通り、武家屋敷のたたずまいを残しているという点がいいですね。

この界隈を歩くと不思議と心が落ち着きます。
もちろん武士道も感じます。
あたかも、通りの角から侍が今にも現れるのではないかという錯覚すら覚えます。(笑)

この店は駐車場もあり、入りやすい店でお勧めです。
昔はこのように非常に大がかりな機械でうーめんを作ったのですね。
日本蕎麦の製法とはまったく違うもので、興味をもって拝見してきました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

トラックバックありがとうございました。

白石城下の鳥瞰図に始まって、うーめんとその機械で〆る辺りはさすがですね。
とてもその場所(今回は小関家住宅)への想いを感じさせられます。
私はまだまだミーハー的な記事ばかりですが、そこそこ(笑)頑張っていこうと思います。
川に架かる橋と言い、とてもいい雰囲気ですね。
家に居ながら、こうした記事に触れられるお得に感謝致します。

URL | 和奴 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

和奴さん、小関家は政宗公の片腕だった片倉小十郎に遣えた武士になります。家の造りを見ると如何にも武家住宅の趣(家の格式、武士としての覚悟)を随所に見ることが出来ます。
最近、電車に揺られながら主に山本周五郎の歴史小説の短編ものを読んでいますがこの住宅を見るとストーリーもより鮮明に浮かんでくるのを感じております。
濠の傍は湿気も多いと思いますが、茶室のような趣も感じて参りました。
トラックバック先にコメントを頂き、また相互トラックバックを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)