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宮城県南端の都市白石市を訪ねる小旅きょうの仙台は曇りのち晴れ、最高気温26度と過ごしやすい気候だった。
そんな本日、私は9時前にJR東北本線の電車に乗り、宮城県最南端の市である白石市に向かっていた。
 
これは仙台駅西口の新寺通りのビル群である。

これは長町駅を過ぎたあたりである。この界隈は現在ビルラッシュであり、長町周辺の副都心の更なる拡大を予感させるものである。

私は列車で旅行する際にこのような片田舎の風景にも極めて興味深く目を向けることにしている。民家を取り巻くイグネ、雑木林の美しさがかもし出す自然と人工の調和は日ごろの雑念から自分を解放し、大いに心を癒してくれる。

予定通り、私は10時前に白石に到着した。

白石駅の改札を出る前にこんな古い建物が私の目に止まった。
これは旧国鉄の油脂庫で明治20年建築のものである。

JR在来線白石駅の外観である。
ちなみに東北新幹線の白石駅とは異なる場所となっている。

この日のルートを地図に表す。白石駅:黄色□、赤□:白石城、青□:武家屋敷、ピンク□:昼食をとったやまぶき亭。

駅前から通りを見てみた。ほぼ延長上に城があるようだ。

この通りを三分の二ほど来るといよいよ、城が見えてきた。(□の中)

ここで宝暦年間(1751~1763)の伊達藩の所領を見て頂こう。
この時の領地は現宮城県全域の他、岩手県の4郡(気仙、磐井、胆沢、江刺)が含まれている。(下の地図はブログ仲間ビヤナカさんより拝借)

同じ時期のこの知行高を見て頂きたい。傾向がおわかりだろうか?
仙台藩は南のほうに知行高の高い家臣を意識して配置していたのである。
これは果たしてなにを意味するのだろうか?
時代は少し遡るが、これは政宗の時代、幕府との一戦を意識しての家臣配置であったことが最近の歴史研究で明らかになってきたとされる。

これは城を取り囲む小堀である。小堀というのはこの外には大堀も存在していたからである。
有事に備え、白石城は守りを固めた城であったことがよくわかる。

そして城に到着、城壁のいたるところに鉄砲用の穴が設けられている。
白石城は非常に防御力に優れた要塞であったようだ。

大手門には一の門、二の門がの二つの門があり、あちこちに容易に敵に攻略されないための工夫が施されている。

この城を統治した片倉氏はこれをあえて天守と呼ばなかったようである。
これは主君伊達政宗の仙台城の天守閣なしに留意を払ってのことと思われる。
 
白石城:寛治2年(1088)後三年の役で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地に賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれている。
その後、白石氏などの支配後、伊達氏の勢力化に入ったが天正18年(1590)には蒲生氏の所領となり、翌年、城を大改築。本丸に天守閣代わりの三層櫓を、さらに坤櫓・巽櫓を築き曲輪を整えた。
 
その後、会津領主となった上杉景勝の家臣・甘粕備後清長が入城。慶長5年(1600)徳川家康は会津上杉征伐の軍を起こし、伊達政宗は徳川方に呼応して白石城を攻略するため大激論を展開した。関が原の戦いの後、刈田郡は伊達政宗が領有することとなり、青葉城の守りとして伊達家の重臣・片倉小十郎景綱を白石に入城させた。

これが往時の模型である。天守閣の他に様々な屋敷が建てられていた。
まさに籠城作戦にも備えるものものしい屋敷構えである。
ではこの城にはどんな人物が住んでいたのだろう?
 
以下世界大百科事典 第2版 難波 信雄氏解説より引用
 
片倉小十郎:仙台藩伊達氏の重臣。小十郎は3代に渡る世襲名で初代景綱(1557‐1615)が著名。豊臣秀吉の奥州仕置に際し伊達政宗の小田原参陣を推進,近世大名としての伊達氏の再生を決定づけた。太閤秀吉の福島三春の独立大名(5万石)の誘いを伊達氏への忠義を理由に固辞、一国一城の例外的措置である白石(しろいし)城にあって1万3000石を領した。先祖は信濃国伊那郡片倉村に住し,大崎氏に従い奥州に下ったと伝える。伊達氏一家格で,以降しばしば奉行職などの重職に任じた。

これは白石城のそばにあった横綱大砲(おおづつ)の等身大の像である。
彼は明治時代の横綱で白石市出身であった。

大砲萬右衛門は谷風梶之助と並ぶ宮城県の横綱であった。

次回は城下町白石の武家屋敷を紹介します。お楽しみに。
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コメント

No title

列車の窓から見える景色もまた風情を感じますね。
白石城が街の中から見えてくるのも
時代の流れのようなものを感じました。
このお城はかなり守りを固められているのですね。
その時代の背景なども説明を読みながら浮かんできそうです。
天守閣の他に様々な屋敷が建てられてるのも興味深いですね。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。

白石城の桜はとても素晴らしいですよ。
一度春に行かれて見て下さい。
町の中に入ると小さな堀があり城下町の落ち着きがあります。

白石はむか~し、ゼオライトが沢山採れたそうです。
そのゼオライトは白いので白石とついたそうですが…
そしてゼオライトは吸着作用があり放射能遮断にも効果があるそうです。

3月末まで白石に高速通勤をしていました。
毎日100キロ走行で疲れましたが、良い町でした!

地図の左端っこに…懐かしいですね~
(~o~) ナイス

URL | ミント ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

おはようございます。
白石城は、一国一城令の例外だったんですか?知りませんでした。いつも勉強になります。
城下町編も楽しみにしています。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、おはようございます。

若い頃に伊達正宗公でしたか、小高い山に銅像が立っている所に
行った事があります。(場所は不明)
このお写真を見ると、白石城に立っているのでしょうか。

今でも立派なお城で後世に末長く残したい旧跡ですね。
横綱の像も立派ですね。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、この城の歴史は今から930年前に遡ります。
始めは刈田氏支配とされますが、これはこの地方の名前である刈田郡の由来になったと推定されます。
いろいろな時代背景を経て伊達家の家臣片倉家のものになりました。

政宗はこのような堅牢な城で南側の守りを固めていました。
わずか1万8千石の町にしては異様なほど、装甲が固いのです。
これは幕府を意識してのことだと思います。

二代目の片倉小十郎重長も初代景綱に劣らぬ名将(伊達藩のみならず全国にその名を馳せた武将)でした。
特に大阪夏の陣で戦った真田幸村が死を覚悟した時、自分の命と引き換えに敵将に子女を託したのは彼の知勇兼備を見込んでのことだったようです。
その後、幸村の五女「阿梅」は長じて片倉小十郎重長の妻となっています。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミントさん、桜と城の組み合わせはは似合いますね。
桜咲く白石城も是非見てみたいですね。

白石のゼオドライトのことと放射能遮断効果のことは知りませんでした。
ミントさんから寄せられるいろんな情報を大切にしたいですね。

昨日、白石に明治時代に大火があったことと芭蕉が来て城下に泊ったことを知りました。
今後も白石に関してもいろんな見聞を広めていきたいと思います。

三月まで白石に通勤されていたとはサプライズ!です。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、白石城は、一国一城令の例外として認められたようです。
太閤秀吉の五万石大名の誘いを断り、形式的に天守閣そのものでありながら櫓と呼んでいた小十郎には主君への忠義を感じました。

この町は明治の大火で約900棟の建物が灰となっていますが、戦災にあっていないので比較的古い建物が見受けられます。
そのあたりは現存する武家屋敷とともに続編でお伝えしてゆきたいと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、伊達政宗の像は仙台の青葉城(仙台城)にあります。
ここは仙台から50キロほど南にある白石市というところです。
これを見ると政宗が幕府を意識して南側の守りを固めていたことがおわかり頂けると思います。

ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんばんはぁ~♪!

白石は、地域活性化の為に、本当に色々と
頑張っている所だなぁとずっと関心を寄せて
いました。
その白石の歴史を紐解く今回のミックさんの
旅、とても興味深く拝見させて頂きました!!

もし、時間が作れれば、何日か泊り込んで、探訪すると、
沢山の興味深い事実が分かってくる様に思います。

次回も、楽しみにしています!!

ナイス!☆

URL | Maya ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Mayaさん、その通りで、もっと時間が欲しかったという感じがしますね。

白石の観光への取り組みはこの日足を運んだときにひしひしと伝わりました。
到るところに案内のかたが居られ、パンフレット、立て札が多く存在するのです。
これらは城下町白石の探訪に大きな拍車をかけ、観光への追い風となっていると思いました。

5万石の大名への秀吉の誘いを主君政宗への忠誠を理由に断った初代景綱の男気と二代目の片倉小十郎重長が大阪夏の陣で戦った敵将真田幸村の子女を引き取ったというこの二点は特に日本史上において名将としての威光を放っていますね。
ナイスありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミック様へ
伊達政宗はその配下の者を大事にした事もあり。信義に篤い人が多いですね。支倉しかり。この片倉といえ。男の中の男ですね。この二人には惹かれます。藩主のためなら命も懸ける。これは両者に信頼関係があるから成せる業かと思います。一度は訪ねてみたい所です。ナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

不あがりさん、片倉小十郎は大阪夏の陣で真田雪村の子女を託された人物でもあります。
雪村は敵将ながらその男ぶりにほれ込み娘を託したようです。
伊達政宗は本当に家臣に恵まれた武将だと思います。
もちろん手紙は家臣に対しても相当出していたようです。
トラックバック先へのコメントありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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