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謎に包まれた支倉常長の墓所に迫る
この絵に注目して欲しい。
これは仙台藩主の伊達政宗、その家臣の支倉常長、政宗が仙台に招いた宣教師ルイスソテロである。
 


本ブログでは過去二回に渡って支倉常長の墓所を紹介してきた。
それは彼の墓所とされるところが三カ所もある(どれが本当の場所なのか判明していない)ためである。
※1:黒川郡大郷町東成田、2仙台市青葉区北山、3今回訪れた柴田郡川崎町支倉


支倉家の家系図をご覧頂きたい。(樫山巌著「支倉常長の総て」より転載)
:実父 飛騨常成 :伯父 紀伊時政 :支倉常長の幼名「五郎」
元々支倉家は福島県信夫郡山口村に領地があった。
常長は養子に出され伯父、紀伊時政の家に入ることになる。

今回私が訪れたのは常長の墓のみでなく、常長の曽祖父の時代からの飛び領地(離れたところにある領地)、現宮城県柴田郡川崎町支倉にある上楯城(かみたてじょう)跡である。
同著の21ページがその根拠である。

私は休みのきょうを利用してこの場所に向かうことにした。
上楯城(菩提寺円福寺に近接)の南東側に位置する川崎町立支倉小学校前にて撮影。
右の道路が目指す旧道である。

古い建物も見られ、いよいよ目的地が近くなってきた。
道路右側の赤い屋根の建物の手前が入口である。

ここが墓所(円福寺)と上楯城の入口である。平日とあって見学者は私一人である。

航空写真で確認して頂きたい。周囲はほとんど田と山、民家は数えるほどしかない。
青矢印:支倉小学校、赤○:墓所と上楯城。

寺の脇道は上楯城本丸に向かう道であるがご覧の通り、非常に急こう配である。

坂道の途中から墓所を見てみる。矢印が支倉常長の墓である。

付近略図で説明する。:円福寺本堂、:支倉常長墓所、:上楯城本丸跡。

背後にある新しい墓標は1994年に建てられたものである。

これが常長の墓である。長年の歳月の経過を感じさせる。

これが日本初の遣欧使節を卒いた支倉常長の略歴である。

そしてここが上楯城の本丸跡である。
在りし日の彼は主君政宗の欧州行きの命をどう感じたのだろう。
武士としての単なる主君への忠義だったのだろうか?
否それだけではあるまい。
六百石とそれほど多くなかった彼自身の立身出世も夢見たのではないだろうか…

彼の領地は遠藤周作の小説「侍」の中で「谷戸」という地名で何度も登場する。
それは異国に行っての夢の中まで現れるのである。
この時代でいうメキシコや欧州は今で言えば宇宙旅行にも匹敵するくらい危険を伴った命がけの冒険だったはずである。
地図を作るなどの情報収集能力に長け、豊臣秀吉の朝鮮攻めに駆り出され活躍したとされる支倉だが、そんな彼をもってしてもやはり心細かったことだろう。

再び旧道に出てみた。標識にもはっきりと「支倉」という文字が確認できる。

農協の向えにあった古い建物が旧道のたたずまいを感じさせる。

彼の所領「旧支倉村」を再び振り返ってみた。
今から四百年前、数奇な運命をたどった一人の侍の明暗が真理の中に見え隠れする。

私は蔵王連峰を横目に見ながら帰路に着いた。思慮深く律儀な侍に敬意を表して。
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コメント

No title

支倉常長の墓所がはっきりしていないとは、初めて知りました。
それだけ晩年は追いやられた人生だったのでしょうか?

彼がヨーロッパに向かった頃、まだ日本のリーダーははっきりしていませんでした。
自分の君主を信じつつも、情勢がどう変わったか、常に不安だったでしょう。
戻ってみたら、最悪ではなかったでしょうが、もう伊達公は天下を取れる力は無かったわけで……。

せめて静かで穏やかな余生であった事を、願わずにいられません。

URL | みきてぃ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
あの支倉常長が、ひっそりと眠っているとは…。
昔、イタリアを訪れた際、すでに四百年前に、遣欧使節団が、同じ場所にいたのだ、と思うと胸が熱くなりました。マゼランが世界一周して百年経たぬ内に、日本人が、来ていたとは、彼らの勇気と行動力はスゴいと思います。
常長は、使命を果たせず帰国しましたが、その胸中はいかがだったのでしょう。

URL | ひがにゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ライトさん、遣欧使節、結果としては失敗に終わりますが、政宗としては自分の使命を忠実に果たした支倉を罰するのはあまりにもしのびないことだったのではないでしょうか。
だからこそ、かくまり隠居させた説(地図の1の大郷説)が残っているのではと思います。
支倉が52歳で死亡したとされる手紙は幕府からの追及を逃れるための政宗苦渋の選択だったと考えるかたも居るようですが、私もそれを信じたいと思います。

遠藤周作の「侍」によると家康は政宗の腹を見抜いた上で欧州航路の大型船のテスト周航だったという見解が作中の人物(サンファン号に乗りあわせた西という仙台藩の侍)の言葉に現れていますが、その後の鎖国政策と矛盾するものがあります。
また新鋭国のイギリス、オランダの台頭と海洋王国スペインの斜陽も影響を及ぼしているのかも知れません。

この時代の支倉を取り巻く時代背景に思いを巡らすのは世界的情勢とも接点を感じるだけにロマンを感じますね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ひがにゃんさん、イタリアに行かれたのですね!
彼は地中海にもその痕跡を残しましたね。
支倉の軌跡をたどることはさぞかし感動に浸られたことでしょう。

江戸時代に封印されたこの事実ですが、その後明治時代に岩倉具視の使節派遣でこの一大事業が明らかになり、明治天皇にも伝わり脚光を浴びたようです。

ここは彼の三カ所ある墓所の一つですが、この「支倉常長の総て」を読む限りではかなり信憑性の高い場所と言えそうです。
彼に対する研究は来年のサンファン号出港400周年を前に更に掘り下げていきたいと思っております。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさま、
今朝は早く目が覚めて、貴兄の記事を読ませて頂きました。
小生の知らない事ばかり、小生にとっては新鮮な事ばかり、とってもいい勉強が出来ましたし、貴兄の記事の構成が大変参考になりました。
有難うございました!

URL | 行雲流水 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、こんにちは。

私は余り、歴史は詳しく有りませんが、支倉常長の墓所が3か所ですか。
歴史をさかのぼると判らない事が多くありますね。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

支倉常長の歴史的に貢献したお話もミックさんのブログで知りました。お墓が3ヶ所もあるのは謎が多いですね。
彼の意思で望まれた地に最後は眠る事ができたのでしょうか。
信長のように全国にお墓が分散されている場合もありますが
せめて最後は安らぐ事のできる場所で眠られて欲しいと
感じます。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

行雲流水さん、おほめ頂き、こちらこそありがとうございます。
支倉常長は仙台藩の武士で明治の世に知られるまで封印されていた人物です。
私のブログで少しでも彼のことを知って頂ければ幸いと思います。
また来年で渡航400年になりますので彼の足跡は更に脚光を浴びるものと思われます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

好日写真さん、それだけ支倉常長は謎の多い人物なんですね。
背後にあるのはキリシタン弾圧と鎖国ということになります。
仙台藩は幕府の追及を恐れて彼をずっと隠してきました。
彼が脚光を浴びたのは明治時代に入ってからになります。

ナイスありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、これで彼の三つある墓所をすべて紹介したことになります。
彼の出生地は福島の信夫郡だったようですが、養子に入って川崎のこの地に移ってきました。
ここには居城があるので、葬られたと考えるのが自然なのかも知れません。
今後はいろんな文献を基に彼の謎について更に探究していきたいと思います。

小田信長の墓…興味を持ちました。
是非調べてみたいと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん こんにちは!!

月末まで、バタバタとしそうで、中々お邪魔出来ず、
残念です・・・
今日は、今少しだけ時間が出来て、お邪魔することが
出来ました。

支倉常長のものとされるお墓が、3箇所もあるとは
知りませんでした!!
素晴らしい実力・才能を備えた武士でも、財力は
少ない武士もいるんですよね・・・
支倉常長の様な人物が、天下をとっていたら、
今の世の中は、もしかしたら違っていたかも
知れないですね・・・

この時代に外国へ行くのは、本当に勇気が
要ることだと思います。
精神力も強い人物だったんですねぇ~~https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">

ナイス!☆

URL | Maya ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

Mayaさん、ブログ訪問のことは気にしないでください。

私は支倉常長を心から尊敬しています。
よしんば彼以外の侍がこの使節団を任されたとしましょう。
誰しもがこんなことを成し得たでしょうか?
それは違うと思います。
彼の人格の素晴らしさ(勇気ある発言、真摯な態度、礼節)は訪問した各地で人々の絶賛を浴びたのです。
だからこそ彼はローマで貴族の地位を冠せられたと思います。
私は彼こそが日本人初の国際人と言える人物だったと思います。
主君政宗への忠義遂行とこの偉大な欧州での足跡を改めて讃えたいと思います。

来年はサンファンバウティスタ出帆400周年に当たりますが、彼にちなんだ歴史小説を書きたいと考えています。
この日はそのための取材も兼ねていたことをお知らせします。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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