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  文豪志賀直哉と石巻の関わり
昨日私は親父の五十回忌に際し、墓参りを行うとともに父の生前ゆかりの地を巡ろうと思い、石巻のシンボルである巻石のある住吉公園に足を運んだ。
親父も幼き日にきっとこの公園で遊んだに違いない。

住吉公園には住吉神社が祀られている。

※この日の順路と訪れた地点の位置関係をご確認ください。
赤□:JR石巻駅、赤○:住吉神社、黄色○:巻石

ここは巻石のある小島に架かる橋から上流側のアングルである。
巻石は島の先端の松の木の下にある。
実は今回の震災で東北の太平洋沿岸は地下プレートの影響でほぼ全域が地盤沈下している。
 
石巻もその例外でなく約80センチほど沈下し、この辺りの岸の海抜が下がってしまった。
それに伴い、私の頭の中では、巻石は完全に水中に没したと思われたのである。
事実、震災後に私がここを訪れた際は水中の巻石の影さえとらえ切れるなかったのだ。
 
ここで昨日の記事の中で私が「ひょっとしたら…」といったことを思い出して欲しい。
干潮で仲瀬(中州の島)がこれだけ浮いているなら、震災後に初めて巻石が見られるのではないか…と。

それは感動の一瞬だった。ご覧のように座布団一枚ほどの巻石が水面に顔を出したのだ!
巻石は江戸時代に石巻の語源になった石であり、石巻人にとって誇りでもあり特別大きな意味を持つものである。

岸から見てもこの通り、はっきりと巻石が確認できる。

ほぼ同じアングルから撮影した昭和初期の巻石と比べて欲しい。(写真提供:泰弘さん)
少しわかりにくいが、背景の建物の違いも興味深いところである。

私はちょっとした興奮を覚えながら神社を見下ろす小高い丘の脇道へと進んだ。
ある地質学者に言わせるとこの丘は一枚の岩でできており、巻石と一体になったものとのことである。

これが住吉町のメイン通りで、過去に何度も私のブログでも紹介している場所である。
つきあたりが小1~小3まで在籍した住吉小学校である。
実はこの通りはある文豪とゆかりの深い場所でもある。

建物は既にないが、ここがその文豪が生まれたとされる場所(この場所の近隣との説もあり)である。

※住吉町の地図で現在地をご確認ください。

その文豪とは志賀直哉のことである。志賀は今から129年半前にこの地で生まれ、2歳まで育ったとのことである。わずか2歳ながらも河岸で遊び「どこまでも又行く。」と暴れたようすにはその後の彼の自我の強い性格形成過程の片鱗を見て取れる気がする。
 
また住吉小学校のあたりは江戸時代は18棟の米蔵があったとは驚くことである。

今度は住吉小方面から住吉公園を望んでみた。乳飲み子から二歳までの短い期間ではあったが、彼がこの辺りで遊んだのは間違いないことだろう。

志賀直哉が家に帰りたくないと暴れたのはこの辺なのだろうか?
そう思うと、この松の木の陰から着物姿のやんちゃ坊主であった彼が今にでも飛び出してきそうな錯覚にかられた。

住吉町を離れ、繁華街のほうに向った。このサルコヤは石巻では有名な老舗玩具屋である。
実は以前のサルコヤには檻があり、猿が飼われていた。幼い私もよくここを訪れたものである。

この日、二年ぶりで巻石を見た私はサルコヤの目と鼻の先にある釜飯専門店「まきいし」で食事をとることにした。
この店の左側に着いているレリーフをよくご覧頂きたい。小島と巻石が日本画のタッチでデザインされており、石巻の復興を十分に感じさせる店構えである。

和風の落ち着いた店内のデザイン、配色は好感が持てるものである。

暑いのでビールを一杯。親父の供養を兼ねているとは言え、生き返ったような瞬間だ。

そして待つこと30分、
蟹釜めしとふのり汁(¥960)ギンナンやきのこがたっぷりと入っており、香り高い逸品であった。

最後はこれで明るく締めたい。
復興に際した石巻が燃焼する夏祭り「川開き」は8月1日からである。
多くのかたが参加されますことを!

Come Back!石巻
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