fc2ブログ
  少年の日に見た長浜海岸の眩しさ 
 
 「砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋」

これはいまから110年前の1902年(明治35年)石川啄木が盛岡中学の修学旅行で現石巻市渡波松原の長浜海岸を訪れた時に詠んだ句である。果たしてこの歌には啄木のどんな想いが込められていたのだろう。そんな想いを胸に本日は往時の長浜海岸を私は偲んでみた。
 
※啄木が訪れた11年後(1913年:大正2年)の長浜海岸を地図で見て頂きたい。(古今書院発行「東北地図で読む百年」P21より転載)長浜は文字通り、遠浅の海と豊かな砂浜が長く続く美しい海岸であった。

                   第2章
 翌日は太平洋高気圧に覆われ、真夏の日差しが強いものの時折心地よい浜風が吹く日だった。いとこ同士である三人は9時には家を出た。林太郎伯父の家から目的地の長浜海水浴場は子供の足で15分くらいかかったが、途中千恵子の提案で万石浦の入り口にある万石浦橋に立ち寄った。
 
 ※地図で万石浦は赤○、長浜海岸は黄色○のところである。(この自叙伝を描いた当時と比べ、現在の長浜海岸の砂浜は更に後退し狭くなっている。)

 橋のたもとに着くと千恵子と同じ町内の子供が橋沿いに4、5人泳いでいた。浦の入り口の細い部分ではあったが、ざっと向こう岸までは100メートルはある。ここは潮流の影響も受けやすいのでよっぽど泳ぎが達者でないと行ったり来たりできない。浜育ちの彼らは利郎よりも一つ年下ながらも、それをいともたやすくやってのけていた。
 
 彼らは岸に泳ぎ着くと橋のたもとの岸壁によじ登って這い上がり、一息つくと今度は2メートルほどの高さの岸から飛び込んだ。そしてまた向こう岸に入っては戻ってくるのであった。「なんて泳ぎが達者なんだ…」。利郎は彼らを羨望の目で見ていた。それは泳ぎを覚えたばかりの利郎にはとても真似できない芸当だった。利郎は彼らの足元にも及ばない自分がはがゆくてしょうがなかった。
 
 「そろそろ行こう。」千恵子に言われて利郎と国男は長浜海水浴場に向って岸壁沿いに歩き出した。岸壁には船外機を付けた小舟や青や白い色の10トンほどの漁船が停泊していた。時折漁具を担いだ漁師が忙しく岸壁と船のあたりを何度も行ったり来たりしていた。また岸壁にはカキ養殖用の貝殻が1メートルほどの高さで所々に積まれいて、岸壁を通る三人の視界を遮っていた。
 
 時折吹く浜風が潮の匂いを運んできた。一方海と逆の方向に目をやると比較的簡素な造りの平屋建ての民家の玄関や縁側には葦で編まれたすだれが下がっていた。岸壁沿いの道から右に折れ曲がり、渡波の賑やかなバス通りを横切り少し行くと左手に次第に長浜海水浴場の防風林である松林が見えてきた。利郎は期待と興奮で胸が高鳴るのを感じた。


 
「海だ!」。海水浴場に着くと私と国男は感極まって一目散に駆けだした。土用波というほどではないにしろ、長浜には太平洋の荒々しさを十分に伺わせ得る外波が時折押し寄せ、怒ったようにザブーンという音をとどろかせながら白波を立てていた。沖のほうを見ると、既に泳ぎの達者な若者や子供が思い思いに浮かんでいた。また波打ち際に目をやると、浮輪につかまりながらパシャパシャしている親子連れもいた。
 
 利郎は年上の千恵子が異性として気になった。千恵子もあまり泳ぎは得意でないらしく、けして沖へは行かず、常に背の立つところで水に浸かり泳ぐ真似をする程度だった。一方の国男はまだ幼稚園児ということもあって波を怖がり波が寄せては逃げ、返しては追いかけるしぐさを何度も繰り返し、仕舞には飽きて砂浜でトンネルを作って遊んでいた。
 
 利郎は以前小学校の体育の授業でこの長浜海水浴場に来たことがあったが、この時はあまりにも先生や友達の目線を気にしてよそ行きの姿勢を崩さずにはいられなかったが、いとこ同士ということでこの日は違っていた。砂遊びも水に浸かって泳ぎの真似をすることも全て気兼ねすることなく、自分の思うがままに振る舞えた。
 
 そんなことをしているうちに、いつの間にか太陽は更に高く上り、じりじりと焼けるような日差しを三人に投げかけた。空腹となって遊び疲れた三人は昼前には長浜海岸を後にした。
 
 浜を離れ、暑さで喉が渇いた三人は千恵子の勧めで、裏通りの氷水(※注釈:こおりすい。宮城県ではかき氷のことをこう呼ぶ)屋に立ち寄ることにした。店の奥の部屋にはすだれが垂らされ、店先に掲げられた波の模様の中に赤い氷の文字の入った模様がいかにも涼を誘った。


 千恵子と利郎はイチゴ、国男はレモンを注文した。薄水色のガラスの容器にてんこ盛りに盛られた氷水が運ばれてくると利郎は火照った頬をすりつけた。彼はぴくっとしながらも、一瞬一気に汗が引くような心地良い感触を覚えた。


 氷の盛りがあまりにもいいので、利郎は白い氷粒と容器の底に沈んだ赤いシロップに混ぜ合わせるのに手間取った。しかたがないので彼は最初は氷を減らそうと、氷だけをむさぼった。やがて氷が程良い量になってくるとようやく氷とシロップを混ぜ合わせることができた。
 
 三人は氷水を食べ終えると無邪気に互いの舌を見せあった。国男は「脩ちゃんのべろは真っ赤だど。おいのべろは黄色だべ?」と得意げに言ったので、千恵子も利郎も腹をかかえて笑った。
 
 伯父の家に帰って昼を食べると利郎は急に眠くなって座敷で少し昼寝した。午前中の強い日差しがたたったのか皮膚が全体に赤くなり体全体が火照っているようだった。
 
 3時半を過ぎようやく陽が傾いてきたころ、近所のわんぱく坊主、義明が「利ちゃん、野球やんねがー」と誘いに来た。利郎はべつにすることもなかったので二つ返事でこれに応じた。野球をする場所は近所の神社の境内だった。ボールは軟式テニスのボールを一回り大きくしたようなもので、狭いスペースの関係上三角ベースだった。
 
 「おらあ、大洋ホエールズの近藤和彦だ。」、「おらあ、ジャイアンツの王だ。」…、彼らは自分のひいきにしている選手になり切ったつもりでボールに向った。そしてゲームは日が暮れるまでメンバーの組み合わせを変えながら何度も続いた。こんな日が数日続くと、いつの間にか利郎は浜の子供と見分けがつかないほど真っ黒に日焼けしていた。
 
………
 
 それから数十年が経った2011年3月、未曾有の大津波が長浜を襲った。あのときコバルト色に輝いた遠浅の海、白い砂浜、美しい松林は無情にも一瞬にして失われた。
 
 しかし利郎がこの時経験した貴重な思い出はコバルト色の宝石のようにけしてこれからも褪せることなくずっと彼の心の中に輝き続けることだろう。
            完
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)