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 コバルト色の長浜海岸に思いを馳せて

 明日は海の日である。きょうはそれに相応しく幼き日の私の海に対する思い入れを自叙伝として綴り、皆さんにお伝えする。私には毎年今頃の時分になると思いだすことがあった。それは幼き日実家石巻市渡波の長浜海岸で体験したけして忘れ得ぬ思い出であった。
 
         自叙伝「長浜海岸の思い出」
                                        第1章
 小学校一年で父を亡くした利郎は心に深い傷を負っていた。そんな利郎を気遣い周囲には彼に対する温かい思いやりや励ましがあったが、この時の利郎はそれを知るにはあまりにも未熟であった。
 
 利郎は7月半ばを過ぎると長い夏休みが楽しみであり、後何日で夏休みというように指折り数えたものであった。彼は夏休みどうやって過ごそうということよりも、あともう少しで学校から解放されるんだという気持ちでいっぱいだった。
 
 当時石巻市の小学三年生だった利郎は母親に連れられ、その帰省先である石巻市渡波で夏休みを過ごそうとしていた。この家は母の兄でもあり、この家の家長で漁業を営む伯父の林太郎を中心に祖父、祖母、伯父の後妻、従兄弟の三兄弟、年老いた伯父の叔母の計8名の家族構成であった。
 
 従兄弟の中には利郎より三つ年上にあたる三女の千恵子という女の子がいた。またこの家から目と鼻の先には母の妹の営む海産物屋があり、その家には修作の四つ年下に当たる叔母の長男の国男という男の子が居た。従兄弟の中でこの三人は年が近いということで格好の遊び相手であった。
 
 夏休みに入ったばかりのこの日、利郎は母に連れられ、1キロほど離れた通称「畑のおばちゃん」こと伯母の家に来ていた。肥沃な黒土独特の匂いがした。家の周りの道の脇には背の高いヒマワリが盛夏の色どりをそえており、畔で繋がった様々な種類の畑にはナス、ヘチマ、キューリ、とうみぎ(※宮城県ではトウモロコシのことをこう呼ぶ)やトマト、白菜などの野菜やジャガイモなどの穀物が所狭しと栽培されていた。
 
 利郎は挨拶もそこそこに井戸がそばにある本屋を離れ、一人で畑に出て行った。そしてジャガイモだと教えられた植物のそばに行くとその葉っぱに星の模様がたくさんついたテントウムシを見つけ、捕まえて遊んだ。しばらくして利郎はその畑のなかに今まで見たこともない大きなトンボを見つけた。利郎ははしゃいで喜び、捕まえようとした。「こいつが図鑑で見たオニヤンマなのか!こんなでかいトンボは見たことがない。それにしても何と速く飛べるトンボなんだ!これではとても虫取りの網では採れないぞ…」
 
 根が負けず嫌いな修作は速く飛べたり走れたりするもの、或いは力が強いものに対しては現実、空想の世界を問わず憧れていた。「利郎、遊んでばかりいないでそろそろ中に入りなさい。」本屋のほうから母の声が聞こえた。
 
 この家には伯母の旦那である義理の伯父と利郎より七つ年上のいとこの健作が住んでいたが、引っ込み思案ではにかみ屋の利郎は居間に座るとまるで借りてきた猫のように緊張し上目遣いに伯母一家を見つめた。母はそんな緊張した利郎を別に気にも留めず、伯母との昔話、世間話に興じていた。
 
 やがて香ばしい匂いとともにゆでたてのある穀物が運ばれてきた。「利ちゃん、腹いっぺあがいん。」(利ちゃん、おなかいっぱい食べなさい)と言われた。彼の目の前には黄色を主としながらも黒っぽい実が不規則に散りばめられた大きさが不ぞろいの湯気がたったとうみぎが白い皿の上に載せられていた。それは八百屋で買うところの形が整った黄色いとうみぎとは全く違うものだったが、甘みはさほどなく適度な歯ごたえがあり、なにより穀物特有の素朴さと風味があった。「こんなとうみぎもあるんだな…でも店で売られている甘いやつよりは断然こっちのほうがうまい。」と修作は思った。

 ゆでたてのとうきびを腹いっぱい食べ終わると今度は井戸で冷やしたスイカがふるまわれた。直径があり非常に大きく冷たくて甘かった。修作はしゃぶりつくようにスイカの切り身をたいらげた。そして顔をその果汁で赤く染めながら「世の中にこんなうまいスイカがあるんだ!」と思った。

 あっという間に時間が過ぎ、伯父の家に帰る時間になった。「利ちゃんは早く大きくなって立派にになってお母さんを助けてあげるんだよ。」温厚で誰からも好かれる優しい伯母であった。伯母は目をまるで下弦の三日月のような形にして、こぼれんばかりの笑顔で利郎に語りかけた。
 
***
 
 伯父の家に戻ると既に夕食の用意ができていた。畳敷きの居間兼客間で食事できるのは伯父と祖父母だけで、後の者は台所と一帯になった十二畳ほどの板の間で食事をとらなければならなかった。比較的小家族で育った利郎には家長と家人の食事をとる場所の違いや板の間にも上座、下座があるこのしきたりは考えにも及ばないことであり、無邪気な少年には全く縁のないことでもあった。
 
 伯父の家は漁業の傍ら豆腐屋を営んでいた。この日の夕食には豆腐や納豆も出された。釜で炊き焦げ目のついたご飯、魚ダシが抜群に効いた味噌汁は今まで修作がお目にかかったことはないものだった。また豆腐はとても生きがよく普通の豆腐とは全く異なった大豆特有の風味と歯触りを感じた。これらの食物は素朴でありながらも、元来持っている素材の味と食へのありがたみを修作に教えてくれるものだった。
 
 夕食を終えて居間に来ると伯父がウイスキーで晩酌をしながらテレビでナイターを見ようとしていた。この日のナイターのオープニングソングは「ウイーンはウイーン」だった。利郎は聞きなれた「コバルトの空」とはあきらかに違う独特の解放感と異国情緒らしきものをこの曲から感じた。

 伯父を始め、この家の長男勝直も大の巨人ファンだった。放送が始まりしばらく時間が経った。すると海の男らしく全身赤銅色にたくましく日焼けしたランニング姿の伯父も酒が回ってきたらしく利郎にこう話しかけてきた。「利郎、おめえは2年生のとき石巻の実家から渡波まではるばる自転車をこいで来たことがあったな?その時におめえが自転車で大人と競争しながら来たと聞いたんだが、おらあ、おめえのそんな負けず嫌いのところが好きでよう…」
 
 たくましい海の男からこう告げられた修作はまんざらでもなかった。利郎にとっては負けず嫌いと言われることはけして嫌なことではなかった。ナイター中継がもう少しで終わろうとしている時に伯父は修作にこう告げた。「明日は天気がいいから千恵子と国男と一緒に長浜にでも行ってこーや。」…利郎はやったと思った。利郎にとって夏休みに渡波の親戚の家に泊って海水浴をするのは願ってもないことで彼の冒険心を大いに掻き立てることだった。
 
 この夜は非常に蒸し暑い夜だった。利郎は蚊帳に入ると、蒸し暑さから来る寝苦しさと、期待から来るうれしさのためになかなか寝付けずに何度も何度も寝返りを打った。
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