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 宮城県民謡「さんさ時雨」


さんさ時雨
さんさ時雨か萱野の雨か
音もせで来て濡れかかる ショウガイナ
さんさふれ~五尺の袖を今宵ふらぬで何時のよに
 
武蔵あぶみに紫手綱かけて乗りたや春駒に
門に門松 祝に小松かかる白雲 みな黄金
この家お庭の三蓋小松鶴が黄金の巣をかけた
 
この家座敷は芽出度い座敷鶴と亀とが舞い遊ぶ
芽出度嬉しや思うこと叶うた末は鶴亀 五葉の松
扇芽出度や末広がりで重ね~の お喜び
 
雉子のめんどり 小松の下で夫を呼ぶ声 千代々々と  
 
さんさ時雨か萱野の雨か
音もせで来て濡れかかる ショウガイナ
さんさふれ~五尺の袖を 今宵ふらぬで何時のよに
 
武蔵あぶみに紫手綱 かけて乗りたや春駒に
門に門松 祝に小松 かかる白雲 みな黄金
この家お庭の三蓋小松 鶴が黄金の巣をかけた
 
この家座敷は芽出度い座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ
芽出度嬉しや思うこと叶うた 末は鶴亀 五葉の松
扇芽出度や末広がりで 重ねの お喜び

※以下ヤフー百科事典から引用
 
 さんさ時雨は宮城県仙台地方の民謡で、江戸中期から祝儀歌として流行した。
本来は手拍子だけの歌で、三味線の伴奏がつくのは明治以降である。
伊達藩におけるこの歌は祝宴の劈頭、全員が正座して手拍子を打って厳粛に歌われた
 
 1589年、伊達政宗は会津地方の戦国大名、蘆名氏を、「摺上原の戦い」で撃破し事実上の東北の覇者となる。『さんさ時雨』は、伊達軍による勝ち戦の直後、その将兵によって作られ、歌われたとされる民謡とされるがこれは仙台藩の都合のよい解釈ともされており、近年この歌の起源に於いては他の異説が挙げられている。
 
※伊達政宗の肖像画としては一般に下膨れで両眼の開いたものが知られている。
これは政宗が本来の片目を親への不孝と考え、わざと画家に両目を入れて描かせたものと考えれている。
 
 ここでこの政宗の肖像画を見て欲しい。隻眼が放つ極めて鋭い眼光、面長の輪郭、そして険しさの漂う表情…天下を取りたい…に野心がなかったなら、きっとこういう人相にはならなかっただろう。
私はこの肖像画こそ、政宗の内面が出た実像に近いものだったと思う。

 この歌がうたわれるのはその後宴会だけではなくなった。地元では結婚式の祝いの歌であり、上棟式で大工の棟梁が歌うものでもある。
 
 ここで、建築関係の仕事に携わるある知人から言われた極めて印象の深い言葉を紹介する。
 
 「旧伊達領で家を建てるとき、棟梁がこの歌をうたえるかどうかは非常に大きな意味を持つことなのです。この棟梁に自分の家作りを任せられるかどうかの見極めはこの歌を堂々と歌いこなせるかどうかにかかっているのです…。」
 
 建て主から全てを任せられる…私は幸田露伴の「五重塔」にそれを重ねた。建築に携わる者にとってこんな栄誉は他にあるまい。私はその建主の神髄に迫った言葉を聞き、そんな人物になりたいと思った。
 
 この思いが実現するかどうかはわからない。夢に想うのは容易であるが、けして誰しもが叶うことではない。夢を現実のものにするには並大抵のことではない…
 
 あと数年に迫った自分の現役生活…それでも今宵はこの理想を心に抱き自分の将来に想いを馳せたかった。そのような伊達者に相応しい酒はこれしかあるまい…
 
 私は今宵、その夢の実現を心に誓いながら清酒「独眼竜政宗」の栓を抜いた。

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