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 仙台市青葉区鹿落坂~八木山入口の昨今
久しぶりの土休となったきょう、私は空梅雨を感謝しつつ、愛車シェルパで仙台市青葉区~隣町である名取市の散策に出かけた。ここは有名な青葉区鹿落坂(しかおちさか)である。

※下の地図で本日の順路と立ち寄った場所をご確認ください。
○:鹿落坂(鹿落観音)
□:八木山入口

昔は鹿も転げ落ちるような急坂だったのだろう。鹿落坂とはよく言ったものである。

越路(こしじ)、道(路)を越してゆくからこの名がついたのだろう。

この鹿落坂にあるのがこの鹿落観音である。
由緒を読むとやはり伊達家が深く関与しているのがおわかり頂けることだろう。

崖はコンクリートで固められているものの、古い石畳の階段は深い歴史を感じさせる生き証人である。

私は足取り軽くこの石畳の階段を一気に駆け上がった。
さすれば私の前にこんな仙台市街地がひらけた。
これは仙台市中心地を流れる広瀬川であるが、なんとその中州には先日の台風の大雨がもたらした樹木の残骸が無残に散りばめられていた。
地元住民として心が痛む瞬間である。

道路の手前の白い砂利が敷かれた土地を見て欲しい。
皆さんはこれが信じられるだろうか?
昨年の3月11日まではここに旅館(鹿落旅館)があり、多くの観光客やビジネスマンでにぎわい、営業していたのだ。
 
このような素晴らしい景観を有する旅館はそうはないだろう。
ここで私は例によって往時の宿泊者に成り代わって在りし日の鹿落旅館を偲んでみた。
戦災から不死鳥のように甦った仙台。
 
ここから見る仙台市街地、広瀬川河畔の大パノラマは観光客に旅情をいざなったであろう…
また伊達家の墓である瑞鵬殿も目と鼻のさきに在ることから、大かたの心境を察するにその立地は仙台の歴史の重みを感じさせるものであったことであろう…
果たして、この旅館でどんな人間ドラマが展開されたのだろう?
 
鹿落旅館が震災で壊され、撤去され現存しない今となってはそれは想像するしかないものとなってしまった。
 
嗚呼、無情…否現世には無常という言葉がある。
いつかはこの宿に泊まり、その薫芳を実感してみたかった私だが、見事に肩透かしをくらった感じである。
兵(つわもの)どもが夢の跡とはけして他人ごとではなかったのだ。

広瀬川下流に目を移そう。
川に蛇行はつきものであるが、この蛇行が仙台市に大いなる変化を与え、趣のあるものにしている。

石畳の階段を登っていくとこんな石物が私の前に現れた。
遠い時空を隔て数百年を経た古いものが現代の異質な文化に交わろうとする…

この社殿は比較的最近に建て替えられたもののようだ。

鹿落観音のすぐ前にそびえる7階建てのマンション。
新旧の対称が極まる景観である。
 
この数百年に渡る変遷には様々な人間の存在、思惑が複合的に絡みあい、浮かんではやがて歴史の闇に消えていったことだろう。むろんその詳細を知るすべはない。
 
しかながら私はその一瞬、そこに渦巻く人間の悲哀の一部を感じとったような気がした。
 
多くの先人が例えたように現世における人の営み、或いは人との出会いを川の流れに例えよう。
それは袖摺り合うがごとく一瞬にして過ぎ去るものもあれば、澱んで留まるものもあるだろう。
だが例え澱んだとであくまでそれはちっぽけな自分史の中のことであり、大河の中で考えれば、一滴同志が触れあうつかの間の一瞬にしか過ぎないのだ…

鹿落坂を後にした私は八木山入口のある寺に足を運んだ。

私はバイクの機動力をフルに使った。
向かいにある郵便局の駐車場にバイクを止め、寺の中の河岸段丘きわの崖まで歩いた。
檀家ならともかくこのビューはそうは見れないものである。
これは寺から望んだ対岸の米ヶ袋地区である。

花塚に書いてあった文字を目で追った。
生あるものは常ならず…
それは子供の時から知っていたことではあったものの、他人ごとのように見てきたことであった。
だがいつまでも他人事では済まされないないのだ。
もっと人生を客観的に見よう。
さすれば現世を見る目もおのずと変わっていくことだろう。

右側の生鮮食料店は忘れもしない。何を隠そう昨年の大震災翌日の3月12日、私が勤務先の福島原発から命がけの帰宅を果たす最中に立ち寄って食糧を買出しした店である。
停電、断水、鹿落坂崩落による道路閉鎖による多くの店が閉められていた中でこの店は開いていたのだ。
 
私はこの店のスタンスに商売とは無縁な人道的良心、道徳を感じ感激した。
これで家族の笑顔が見られる。とてもありがたかった。
まさに地獄で釈迦を見る思いだった。
無常の世における人の情けを尊いと思った瞬間であった。

次回は続編として名取探訪編をお伝えします。
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