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 歴史の暗闇の中に消えた男を通し武士道を描く
遠藤周作(1923~1996)彼の残した歴史小説の中に「侍」という作品がある。
侍はこの長編小説の中では長谷倉六衛門の名で登場するが、支倉六衛門常長として実在した人物である。
 
支倉六衛門常長(1571~1622〔没年推定〕)、仙台藩家臣、1613年藩主伊達政宗の命を受け180名の使節団とともにメキシコを経てヨーロッパに渡る。
 
江戸幕府のキリシタン弾圧の中、スペインでフェリペ国王、イタリアでパウロローマ法王と謁見を果たすも当初の目的である仙台藩とスペインとの直接貿易を果たせずに帰国、異教徒として扱われ、失意のうちに没する。

それとこの小説もう一人の主人公が存在する。彼こそが伊達政宗が南蛮文化受け入れのために招いたスペイン人宣教師、ルイスソテロ(作品中はベラスコ)である。
 
※以下、weblio辞書より引用
ルイスソテロ(1574~1624)、1603年宣教師としてフィリピン総督の書簡を携えて来日。徳川家康や秀忠に謁見、日本での布教に従事した。
 
1609年(慶長14年)には上総国岩和田村(現・御宿町)田尻の浜で座礁難破し、地元の漁民達に助けられた前フィリピン総督ドン・ロドリゴとの通訳や斡旋にあたる。また仙台藩主・伊達政宗との知遇を得、東北地方にも布教を行った。

1613年、布教が禁止され捕らえられるが伊達政宗の助命嘆願によって赦され、慶長遣欧使節団の正使として支倉常長らとともにヨーロッパに渡るが目的を達せず1617年、マニラ経由で日本に渡る機会を待つ。
 
やがて彼を乗せた船は出航するが1622年、長崎に密入国した後に捕らえられる。この際も伊達政宗の助命嘆願があったが容れられず、1624年(寛永元年)に大村でフランシスコ会の宣教師2名、イエズス会とドミニコ会の宣教師各一名と共に火刑により殉教す。

遠藤周作「侍」1986年
 
この作品に出てくるベラスコは宣教師にそぐわず野心家であり策士(策略にたけた者)である。日本での布教により功績をあげれば、自分が大司祭になることだけを眼中に置いて彼は常に行動している。
 
※この使節団(慶長遣欧使節団)の詳細に於いては本ブログの書庫自作小説「支倉常長と私」をご参照ください。
 
※書庫自作小説「支倉常長と私」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/23968797.html

読後感想byミック
支倉常長は身近な存在に感じていたせいか侍という他人称ははっきり言ってピンと来なかった。

侍(支倉常長)は私の持つ今までのイメージ(伊達政宗から直接命を受けた選ばれし者)と少し離れた者として描かれていた。なぜなら彼は単なる召出衆(下級武士)であり、殿(政宗)とは直接会話もしたことのない者としてこの小説に登場するからである。
 
今となってこれは遠藤周作の中のフィクションかどうかを確認するすべはない。ただしサンファン館(石巻市に現存する使節、太平洋を横断した帆船「サンファンバウチスタ号」のレプリカが飾られた展示館)で上映されていた映画「地の果てまでも」には出航前に伊達政宗と支倉常長が直接言葉を交わすシーンが登場するのだ。
 
支倉常長に思い入れのある私にとって正直気にならないことはないが、このことは枝葉であり、あえて本筋からは離れていることであると解釈した。

主人でもあり伊達家の重臣の白石様から「使命を達成した暁にはお前の旧領を戻してやろう。」との言葉をもらった侍だが、仙台藩にとって一つの駒に過ぎない彼には使命を全うするしか余地が残されていなかった。
 
この小説に登場する彼は生身の人間であり、単なる田舎侍である。スペインへの旅程に於いて事あるごとに、彼は生まれ育った故郷とそこに残してきた妻子を気遣い自分自身の呪われた運命を憂い、深い溜息をつく…「キリシタンになればスペインとの交渉をスムーズに有利に展開できる…」。
 
※399年前彼らはこの月ノ浦港を500トンのガレオン船に乗って出て行った。
(2010年3月撮影)

ベラスコは長谷倉らが異国に対し無知であり、自分に頼らざるを得ないことを利用して、いろんな駆け引きを仕掛けてくる。やがてその駆け引きに負けた日本人乗組員は徐々にキリシタンの洗礼を受けていくことになる。そしてついに侍はマドリードでキリシタンになる決意をする…それは彼にとって真意だったのか。それとも不本意なことだったのか?おそらく彼の心の中には大いなる葛藤が存在したはずだ。
 
「侍」の中で筆者はあまりにも理にかなったことを描き過ぎているのではないか?例:長谷倉とその共の者が洗礼を受けた決定的理由、徳川幕府が仙台藩を利用した理由(欧州に渡る大型船のテスト周航)、伊達政宗が捨て駒の一つに過ぎない下級武士、長谷倉を派遣した合理性)、史実とほとんど違わぬ結末、だからこそこの小説は信憑性が増すのだろう。
 
だが私はあえてこう思いたい。侍は最後まで主君のため、武士としての自分の名誉のため、自分の信念を貫いたことを。ルイスソテロ(ベラスコ)がヨーロッパからの帰路にフィリピンにとどまらず、あえて日本に再び渡ったのは殉教をもって自らの罪のかけらをつぐなおうとしたであることを。
 
そしてこの交渉がうまく行った暁には日本の歴史が変わったであろうことを!

 

,この古井戸はかつて支倉が乾いた喉を潤したのだろう。そしてソテロも訪れたのだろう。

三百三十周年の石碑は1943年(昭和23年)建立、来年になるときっと四百周年の碑が建てられることだろう!

ここに、この本を読んで私が大きな印象を受けた言葉を紹介する。
それは「地の果てまでも」という言葉である。
 
先に紹介したサンファン館で上映されていた映画の題名となった「地の果てまでも」とはこの作品中に登場する長谷倉のお伴である与蔵が、主人のローマ行きに際し、「お前もついて来てくれるか?」との問いに述べた言葉だったのである。
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