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 「木枯し紋次郎」OP誰かが風の中で 上条恒彦   

私にはどうしても行ってみたいある場所があった。
当然のことだが実人生においては願い事が望み通りかなうとは限らない。
しかしきょうは幸運にも休みを利用してその願いをかなえる好機に恵まれた。
 
目的地は岩手県南部の一関市骨寺村。
片道ざっと90キロの下道はいくつもの峠を越えなければならない。
また遠方に足を運ぶ際は午前中が勝負である。
私は朝8時には愛車シェルパのエンジンに火を入れた。
ここは途中の岩出山という場所である。

岩出山からは唯一の国道である47号線も通った。
この道をどこまでも行けば山形の新庄を経て庄内の酒田に達する道であり、江戸時代に松尾芭蕉も通った道でもある。
 
今でさえバイクという文明の利器がある。
しかし芭蕉がここを通った時代は己の足が頼れる全てのものであったはずだ。
そして天涯孤独で無頼の渡世人、紋次郎も己の腕だけが頼りだったことだろう。
 
薫風そよぐ田舎道、そして峠道でシェルパをライディングしながら、私の頭にはそんな思いがよぎっていた。私は改めてきょう目的地に向かえる環境を感謝せずにいられなかった。

,目的地の骨寺村荘園遺跡についたのは11時を回っていた。

正面に残雪があるのは名峰栗駒山である。
先にお披露目した動画を思い出してもらいたい。
動画の40秒のところで見えた山の残雪はこの荘園後からも伺えたのである。

ここで骨寺村の説明を掲げる。時代はなんと800年以上前にさかのぼる。
果たしてあなたは信じられるだろうか?
武家制度が発足した12世紀に、これとまったく同じ風景が存在したことを…

これは何を意味するのか?
下の段の現代の地図と見比べて欲しい。
鎌倉時代に描かれた二枚の絵図はまぎれもなく現在の骨寺村のそれとピッタリ一致するのだ。



 

現代の日本において八百年を経て姿を変えない人工のものは存在するのだろうか?
これは奇跡と言っていいだろう。

うえの航空写真の⑦、⑧がこの写真の山の裾野に当たる。
このすそ野の描くラインも中世、否おそらく太古から姿を変えていないのである。

これは⑧のあたりであるがこの曲がりくねった道も舗装されているものの、その形状は中世から変わっていないのだ。

ここは⑧の遠西遺跡である。背後に広がる原には少なくとも中世には人が住んでいたのだ。

この場所から出土したカワラケ片がそれを物語っている。
掘立柱建物とは如何なるものであったのか?
非常に興味をひかれるところである。

遠西遺跡の西側にはこんな祠が立っていた。

荘園を見下ろす神社に行ってみた。建物はけして古くないが立地はやはり中世と見られる。

動画の34秒にも見られたが、機械化の進んだ現代の水田において曲がった畦道の田んぼは極めて珍しいのだ。
 
ガイドのかたからの説明によると、この曲がった畦道を保持するには毎年数百人のボランティアの力が必要(泥上げ作業)とのことである。
 
いま、私の目はまぎれもなく八百年前とほとんど違わぬ田園の風景を追っている…
こう思った瞬間、私は大きな感動を覚えずにはいられなかった。

仏教の教えでは現世で見るものはすべて幻と言われるが…

現代人は多くの物資に恵まれ、ものごとに感謝する気持ちと疎遠になったのかも知れない。
私は八百年以上も変わらぬこの山すそと美田を眺め、すっかり中世人になり切りこう思った。
 
※以下上条恒彦、木枯し紋次郎主題歌「誰かが風の中で」から引用。
「このうえ何が欲しい。」

最後にこれを見て欲しい。
これは祠に見えるかも知れない。
だがけして祠ではない墓である。
○○童子…子供の墓を見るのが辛かった;
 
私は骨寺村の語源に着目した。
ここは鎌倉時代以前には寺があったが鎌倉時代に入ると廃寺になった。
次の言葉は極めて印象深い言葉である。
 
以下一関市骨寺村パンフレットから引用:
その昔人が死ぬと分骨する慣わしがあり、この骨寺村もこうした背景で作られた聖地であったのではないでしょうか。
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