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        三百年も立地を変えない侍屋敷
岩手県一関市にそんな古民家が現存する。それが今回訪れた沼田家住宅(一関市有形文化財)である。

以下一関市HPより転載・江戸時代後期に一関藩家老職を勤めた沼田家の住宅である。創建は18世紀の初頭から中頃と推定され、約三百年の歴史を有しており、付近を流れる磐井川のたび重なる水害にも倒壊することなく今日に至った。
 
 幕末に建てられた当時の原型を留めており、当時の一関藩上級武士の生活を知る上で貴重な存在となっている。本住宅は家老職を務めた住宅であっても破風付な玄関など華美な装飾がなく極めて質素な形態を取っている。
 
 間取り的には同じ岩手県で伊達領の要害が置かれた金ケ崎の武家屋敷で見られるような座敷が道路側でなく奥に配置されているのが特徴的である。道路側に座敷を配置するといのは、藩主(城主)が道路を通った時逸早く出る事が出来る事や、外部の侵入者に対して有利とも言えるが、逆に土間や玄関が手前にある事は利便性に長け実用的だったとも考えらる。

学芸員のかたの話によると、この間取りは伊達系統の古民家であり、南部藩の曲がり屋(馬小屋と住居がくっついた間取り)とは全く異なる系統のものであるとのことであった。

沼田家は現代にも続く由緒ある家系である。

屋根の材料は作られた当時は萱、現在は北上川流域の葦ということで、毎年梅雨時には虫いぶりが行われているとのことであった。

板の間と茶の間では床の高さが違う。身分によって着座する場所が異なるのはいかにもこの時代の建物の特徴である。

この出入り口からは家主が出入りした。

ここは炊事や食事が行われた場所である。

これは江戸時代後期に使われたおひつや食器である。

この間は槍の間と言われ、非常に天井が高く槍を振り回せるようになっている。
護衛の家来たちが執務で集った室である。

ここから出入りするのは殿様のみで滅多に使われることがなかったとの説明であった。

気のせいだろうか?一瞬、殿様がここで草鞋を結ぶ姿が見え隠れした。

ここは家主の寝室であるが天井はかなり低い。
これは万一刺客が侵入しても刀や槍を振り回されないようにしたとのことであった。

ここは収納スペースだが、貴重な物がしまわれたものと思われる。

家主と殿様のみが入れた書院つきの上座敷。
今なら書斎といったところだろう。

一関家老時代は当時の天皇の接待役も務めたとのことであった。

庭はこの住宅が改修工事で解体され建てなおされた時に再現されたものである。

住所、一関市田村町2-18

旧沼田家住宅は質素ながらも往時の伊達家に仕えた重臣の堅気を感じる屋敷であった。
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