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Procol Harum A Whiter Shade Of Pale
それは出勤途中だった。車のフロントのウインドーにバイザーを下ろし、濃い目のサングラスをかけた。
ちょっとしたことだが、こうすれば太陽が眩しくないことを私は以前から知っていた。
 
7時25分、私は思い切って太陽を見た。それは部分色だった。
三日月と似ていたがそれは明らかに内側の円の直径が違っていた。
※カメラではとらえ切れていないが明らかに三日月と似たものが私の視界に入った。

私は車窓に目を向けた。
日食の朝の陽光に照らされる町の景色はいつもと全く違っていた。
気のせいか、木々の葉や枝が青っぽく見えた。
 
あれは忘れもしない。私が26歳の時だった。
若いが故、ダークブルーのサングラスを通して一瞬だけ浮かんだ人生の虚像…
それと酷似した景観が再びこの天空いっぱいのシネマスクリーンのうえに再現されたのだ。

 90パーセントも遮られた陽の光。
それはいつも見るところの眩しい昼でもなければ夕刻の黄昏でもなかった。
通常の太陽光とは全く違る未知の光が私の遠い過去の記憶を再び呼び覚ましたのだ。

もし通常の太陽光がこの明るさだったら、私にとって現世は別なものに見えただろう。
若い時分の私は幻覚と知りながらその青い影を深追いしていた。
隠れつつある太陽の落した光が青い影になり月が重なった。
月は太陽と比べるべくはないが両極にあって対比してはいけないものである。
しかし若い時分にはその道理が理解できなかった。 
人は大きさや豊かさで物事の価値を判断しようとするが、それは単なる虚栄心がもたらす虚像に過ぎない。
虚像に虚勢を張るのはナンセンスであり、所詮人間はナイルの一滴に過ぎないのだ。
 
※志賀直哉、枇杷の花ナイルの一滴より
人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、譬えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。

 私にとって次に逢える日食はあるのだろうか?
今宵は日食の余韻にとことん浸りたかった。
そして自分の歩んできた航路を客観的に見つめたかった。
私は今宵、ほろ苦き若かりしころの自分を思い出し、麦焼酎Pure Blueの栓を開けた。
自分がナイルの一滴に過ぎないことを確かめるために…

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