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フィガロの結婚

叔父の結婚式の回想

時は昭和30年代半ば

仙台市青葉区一番町江陽会館
 明日は叔父の13回忌である。せめて法事ができない罪滅ぼしに、少しでも親愛なる亡き叔父の供養になればと思い、その生涯に敬意を表し、不滅の名曲「フィガロの結婚」を捧げ、この文を書くに至ったことを表明する。
 
 私は今でもこの建物の前を通ると半世紀ちょっと前のことを思い出す。というよりも私の年齢はせめて3~4歳で物事が記憶としてはっきりと残る前のことだから、これからお伝えすることは母親や義理の故H叔父から聞いた話であることを最初にお断りしておく。

江陽会館入口には今でも結婚式の花嫁の写真が飾られ、結婚式場として現役であることを思わせる。長い歴史の中でここで式をあげたカップルは果たして何組あったことだろう。
 話は今から50年以上前にさかのぼる。当時手がつけられないほどやんちゃ盛りだった私はある結婚式場の赤いじゅうたんの上で寝ころび転げまわって一人ではしゃぎまわっていた。「あ~あ。」これは珍事でもあり、出席した多くの人々の失笑を買ったことでもあった。
 
 結婚式場は先に紹介した仙台市東一番丁(現青葉区一番町)の向陽会館、この日結婚した私の叔父は当時医者として或る病院の院長を務めていた。当時の私の実家は石巻に居を構えていたが、式を挙げたのは県庁所在地の仙台であった。

 私は小さい頃は顔立ちが親父よりも叔父に似ていると言われることが多かった。そして人に言わせると甲高い独特の声も叔父と似ているのかも知れない。
 
 そんな叔父の存在感が一層際立って大きなものになってきたのは中学校を卒業してからである。中学卒業記念にもらった黒い文字盤のシチズンの腕時計は非常にうれしい心のこもった贈り物であり、一生忘れられない。
 
 それと私はいまだに叔父から学生時代に言われたことを思い出すことがある。それは叔父特有の甲高い声だった。「修作君は酒を飲むのか?」「いやまだ二十歳前ですから…」「そうか、いつか一緒に飲みかわしたいものだな。」男同志のほんの短い会話であったが、叔父の持つ温かみと懐の深さを十分に感じる言葉だった。
 
 また私が育った実家は封建時代の古いしきたりが残っていた感があった。叔父は古風な家庭で規律を重んじる軍人の祖父から厳格に育てられたことだろう。叔父が還暦を過ぎ、法事を開いた際の折り目正しい姿が思い浮かぶ。あれは祖父母と親父の法事の時だった。石巻市内の割烹Tの座敷の大広間の真ん中に正座して、出席した四方の親族全員に深々と頭を下げる叔父の律儀な姿勢はいまだに私の脳裏に焼き付いている。
 
 そんな叔父は柔道の高段者でもあり、時間があれがよく東京で開かれる選手権を見に行っているとも聞いたことがある。親父と祖父が相次いで他界したあとは唯一の血のつながった男系親族であり、その背中で私にいろんなことを諭してくれた尊敬できる人物であった。
 
 それから数年が経った。叔父に対し非常に申し訳ないのだが私は七十台の叔父には会った記憶がさだかでない。平成12年の5月半ば、突然叔父が亡くなったという知らせが届いた。私はしばらく言葉が出なかった。心の支えというより、最後の砦を失ったという感じだった。
 
 葬式で弔辞の言葉が親族から述べられた。それはガンに侵され全身に転移しても最後までけして人に弱みを見せることのない立派な闘病生活だったという旨であった。叔父の性格を思うにそれはきっと武士の最後のようなものではなかったかと思う。最後に会えなかった叔父だが、その律儀で厳格な態度と優しさは真の強い男としていつまでも私の心の中に生き続けることだろう。
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