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    石巻市沼津貝塚
 下の航空写真を見て欲しい。北上川が蛇行し河口付近で外に膨らむ場所、ここは石巻市東部の端であり万石浦や女川に抜ける途中の平野に位置している。
またここで北に目を向ければ肥沃な扇状地が複数あることに気づくだろう。

ここはかつて海が迫っていたと考えられている。
現代の地図を元にして昔入江と思われた部分を青で塗りつぶしてみた。

現代の地図とよく見比べてみて欲しい。

至近距離からの航空写真はまるで海に浮かぶ島のようにも見える。
※以下宮城県教育庁文化財保護課HPより抜粋
 沼津貝塚は縄文時代~弥生時代の貝塚である。遺跡は北上川の下流域にあり、現在は沖積地となっているが、当時は西から入り込む稲井湾に面した丘陵の鞍部に位置していたと考えられる。貝層は周囲の斜面に広く分布しており、保存状態は良好である。遺跡の範囲は東西220m、南北160mである。

 明治時代以来学術的な発掘調査が数多く実施されており、縄文時代前期以降の膨大な遺物が発見されている。貝層は中期後半から形成されはじめ、後期初頭まではハマグリが多く、それ以降晩期前半にかけてはアサリが多くなり、弥生時代にかけてはヤマトシジミが主体となる傾向がある。出土品のうち、骨角製の釣針・銛などの漁具や櫛・垂飾品などの装身具、縄文土器などには優品が多く、重要文化財に指定されている。

おとといのゴルフの帰り道、それは春の穏やかな一日だった。
もう少しすれば朧月夜が見られるかも知れない。
人生は急がずとも風流を楽しみながら心に余裕を持って生きたいものだ…
 
これは稲井沼の田舎ののどかな風景だが、写真中央の黒っぽく見える林のあたりが沼津貝塚である。
畑の中にある小高い丘、ちょっと見た目にはここは貝塚には見えない。

これはかつて北上川が暴れた沖積層だろう。古い蔵と竹林の織りなす調和は日本的であり非常に美しいものである。

貝塚の丘陵に目をやるとなにやら神社らしきものがあるようだ。

鳥居が少し曲がっていて片側の柱が倒れている。これはかなり古そうな神社である。

 

境内には複数の祠が祀ってあったが、これもだいぶ古そうだ。

沼津貝塚の石碑群

なんと縄文中期~後期には人が暮していたようである。

  こちらは貝塚から出土した発掘品である。この時代はまだ地方豪族出現前の時代であり、大きな争いもない平和な世の中だったに違いない。
 
 女性の装飾品や何かの信仰に使われたと思われるもの、狩りを連想させるものなどいろいろであるが現代人の我々には当時の豊かな縄文文化を感じさせるものである。
ただし農耕主体の弥生時代の前だけに食糧確保には生死をかけた厳しいものがあったはずだ。

 今から5000年ほど前の生活はどんなものだったのだろう?治水の全くなかった未開の時代である。大河は大雨の度に暴れ、河口であったこの地に大規模な氾濫をもたらしたことであろう。
 
 住居はまだ竪穴式だったころである。人々はその氾濫から逃げようとしてやや小高い丘を探し求め、この地に安住したのであろう。縄文時代の人間が食べていたのは主にトチ、しい、かし、くり、こならなどの堅果類である。さらに山芋、ヒエ、天南星、緑豆などの穀物も食べていたようである。
 
 動物たんぱくの乏しいこの時代にあって貝は貴重な動物タンパク源であったに違いない。文献によると縄文時代の平均寿命は30歳くらい。残念ながらこの平和な縄文の世の中を長生きできる人は少なかったようだ。栄養不足、医療未発達の中、成人できずに子供の多くの命が失われたことが原因と思われる。
 
 反面成人まで達した人の中には稀に40歳から50歳くらいまで長生きできた人もいたはずだ。豪族が出現する前とは言え、男であれば狩猟の腕前がものを言ったのではないだろうか?私がこの時代に生を受けていたら…
 
 今宵訪れるであろう朧月夜を想像しながら、私はこの小高い丘に立ち、改めて太古のロマンに酔った。

 
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