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 Richard Marx - "Angelia" Live 
随筆「心に儒教とハングリーを」
古いブロ友様はご存知かと察しているが、以前の私はこんな穏やかな曲は聴かなかった。否、聴くだけの余裕がなかったというほうが正確な言い方なのかも知れない。今の自分は少なくとも、現役時代のように焦燥に駆られることはなくなったし、明日にでも戦わねばならないということもなくなった。だからと言って安閑と暮らしているわけではない。

残された時間の中で何が出来るかを考えれば、やはり作品を残すことである。その中でも歴史物は特に疲れる。調べものが多いし、郷土史家らの目も気になる。そんな時は暫く作品から離れ、短い間でもいいから俗に染まっていたい。自分はそんな気持ちで週の中休みとなった本日、田舎道の散策を思い立った。秋空の下、何も考えずに田舎道を黙々と歩く。傍から見れば平凡そのもののようだが、実は最高に至福を感じるひと時である。

作品を書く為に俗から離れる。だからと言って離れたままというわけにはいかない。己をリセットし無性に俗に戻りたくなる時、このような長閑なロケーションは最適と考えているのである。そう言えば現役時代の自分もよく常磐~亘理の田園で癒された。そう考えると今週のハーフタイムは最高の一日を過ごせたと思えてくるのである。

田の色がすっかり色づいてきた。今年も豊作であることを願うとき、ようやく人の心がわかるようになってきた自分を発見する。世の中の人間がどう考えているのか?人間とはどんなものなのか?自分はどこに向かおうとしているのか?死ぬ前に何を為すべきなのか?…私はそのようなことをずっと自らの心に問い、ここ数年生きてきた。そうしているうちに心の中に不動なものが根付いてきた気がする。心が安定することで、穏やかな曲や田舎の長閑な風情がようやく己の感性に馴染むようになってきた気がするのである。

躁鬱病の完治は難しいと唱える学者が居る。自分はそれに挑戦するつもりで日々を過ごしてきた。今は、この病を制することは自己を客観することに他ならないという信念さえ芽生えてきた。自分の定年退職や再雇用の断り、他企業への就職がかつて自分を疎んじた者を見返す為のリベンジであるならば、躁鬱病のことを述べた学者を見返す為に、自分はこれに挑まねばならない。意地が自分に生きる糧をもたらす。そう思うと「ハングリーな気持ちこそが己の唯一の取り柄」なのかも知れない。

横町挨拶
内面に秘めたものがあっても外見は静かで穏やかである。これが今の自分の理想ですが、修行の道はまだまだ続きそうです。窮地に追い込まれると人は何かに縋りつきたくなります。神頼み、仏頼みということもございますが、自分の場合は儒教でした。実は以前或るブロ友様から「儒教は宗教なんですね」と述べられたことがございました。

これに対して自分はこう答えます。「儒教は数ある思想の中で自分が最も同調する思想であり、けして宗教ではなく哲学そのものです」と。窮地に立たされた自分を救ったのは四書五経(メインは論語)であり、武士道でした。こうした思想を一纏めにして言えば儒教となるのです。従って自分は飽くまでも無宗教です。数年前の儒教との出合いが、少しずつ自分を目覚めさせ、新たな境地へと導かれる気がするのです。

さあ、面倒なことはくこれくらいにして、今宵は洋楽を聴き、オンザロックにでも酔い、週のハーフタイムの閉めとしたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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