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 中山峠のふもとに残る歴史の薫り
 この写真は中山街道が団地造製の波にのみ込まれる前の姿である。車の輪立ちがついているものの切り通りの山肌が露出しており、その昔普請(工事)を行い、山を切り拓いた道路であることが確認できる。これは私が45年ほど前にサイクリングで訪れた中山街道の記憶に重なるものである。

今回紹介する中山街道のルートを紹介しよう。ご覧のようにこの場所は頂点の中山峠からは1キロ以上北に行ったセクションである。
①黄色のが狼石(おおいぬいし)、
②赤の道祖神神社、
③その左隣が八乙女館跡、
④赤の印が蕎麦屋、萬乃助である。

まずは狼石である。この話には伝説がある。喉に骨の刺さった狼を救ってやった地元実沢村の庄之助に狼が恩返しするという逸話である。明治時代に絶滅した狼だが、この中山峠でも狼は山の神に使える獣として神聖視され、狩りの対象から外されたということである。

私は急な階段を30メートルほど登った。中山道と東北道が立体にクロスする場所のすぐ脇の高台に集められた祠群。その中に狼石は存在した。

これが狼石である。誰が供えたのだろう?狼石の脇には酒が供えられていた。

高台から泉ヶ岳方向に目をやった。眼下に広がる住宅地、小高い山の向こうには水田、遠くの雪を抱いた山が泉ヶ岳である。
昔人はここで何を見て何を思ったのだろう。
例によって江戸時代にタイムスリップして昔人に成り切ってみよう。
 
根白石村の平左衛門はこの日も馬をひいてこの場所に差し掛かった。
朝方霜が降り、卯月にしては寒い日だった。
放射冷却が利いたせいか遠くに根白石の田、遠くには雪を抱いた泉ヶ岳が望まれた。
この先は馬が這いつくばるような急な坂が二カ所(後馬ころばし、前馬ころばし)もあった。
ここで馬が足をくじきはしないか…(馬が足をくじくのは致命傷であり死を意味していた。)
村に残して来た妻子が飢えていないか…(この時代、一般農民にとって年貢以外の食糧の調達は非常に困難をきたした。)
彼は非常に心細く、心配であった。そんな平左衛門は道中の道端にある狼石に願をかけた。
「どうか、家族と馬が無事でありますように。順調な天候が訪れ、今年も年貢の役を無事に果たせますように…」


狼石の次に訪れたのは道祖神神社であった。
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日本全国に点在する道祖神だがこんな近場に見られるとは意外だった。

林の中にひっそりとたたずむ道祖神の社殿、比較的新しい社殿に見えたが周囲の木々の雰囲気は昔とほとんど変わってないものだろう。

ナビの地図で説明すると□が道祖神、×が八乙女館跡、○が日本蕎麦店「庄乃助」である。

 道祖神の次に訪れたのは目と鼻の先にある八乙女館である。
鎌倉時代からここに住を構えた地方豪族八乙女氏は伊達氏からこの土地を再び拝領し、要害を築いたとのことである。
 
 八乙女はこの場所から4キロほど東に行った場所で、現在仙台市泉区の中心商業地として栄える地として広くその名が知られている。
 まさに「兵どもの夢の跡」を彷彿させる八乙女館跡地。
小高く見通しのよい場所で東側は断崖が迫った立地は難攻不落の仙台城のミニチュア版を彷彿させる。そして今でも残る塹壕。
 
 鎌倉時代当時、この館は八乙女氏の野望渦巻く砦であったに違いない。
今は一部が農家の畑となっており、この日も農作業に精を出すお百姓が見られ、昔と全く違ったのどかなたたずまいを見せていたのが非常に印象的であった。

そして最後の締めに私が訪れたのは蕎麦処「庄乃助」である。
中山街道の史跡のすぐそばにあるだけにその存在価値は一層重きを帯びるものであった。

こんな素晴らしい日本庭園を見ながら蕎麦が食べられるならこれは入るしかないだろう。

素朴なお品書きだったが、日本文化特有のわびさびが感じられる好感の持てるものであった。

日本庭園を見ながらきょうの素晴らしい探索を与えた環境に深く感謝し、大板そばを頂いた。
その食感は歴史の重みを噛みしめるに相応しい歯ごたえであり、私を中世のロマンへといざなう復古の味でもあった。

            完
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