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 希望と悲哀が行き交う中山峠の昨今

まず最初に今回掲載した中山街道のセクションを地図で確認して頂きたい。
赤線の部分が今回紹介する場所である。

ここは地図でいくと山神様を少し北に行きすぎたあたりになる。
周囲は住宅地であるが、旧道もこのような舗装道路となってけして途切れずに連続しているのがわかる。


この道路を少し行くと間もなく行き止まりとなった。

やむを得ず迂回して再び旧道へ。ここから住居表示は中山4丁目となる。

旧道の地図が蛇行しているのに対し、ここから先は道路は蛇行しないで真っすぐ通っていた。
このへんの変遷を調べる手がかりは昔の航空写真との比較や法務局の土地謄本を調べるしかないだろう。
祠に関しては前回掲載した山神様から3キロ近く存在しないのだ。
これは近年の住宅開発、道路造成によって無くなったものと私は推定した。

市街地(南側)のほうを振り返ってみた。
旧道を延長した更にその遠くには仙台のビル街も伺える。

更に北北西に進路を取り、私は以前にも紹介したうどう沼に到着した。
ここは小学校の課外学習でも訪れたことがあり、また家族と連れ立ってきたこともある思い出深い場所でもあった。

陽気のせいだろう。釣り人が数人居た。
この日のうどう沼は鏡のような水面を湛えて私を向かえた。

ここは判場と言われる場所で中山峠にほど近いばしょである。文献によると検問所があった場所であるらしい。
この家はもとは頼朝の奥州攻めに参加した葛西氏の一族(武家)でその後格式ある品替え百姓になり、検断(治安、交通を取り締まる役)を務めた家柄ということであった。
庭には古い井戸があり街道を行く通行人の喉を潤し、また憩いの場でもあり、情報交換の場でもあったということである。

ここは標高の一番高い場所(中山峠)からやや北に下ったあたりだが、通行止めでここが旧道であることの憶測の域を出ない場所である。(逆光と思いながら南に向って撮影)

峠の北に目をやると中山観音とプラザホテルが見える。

ほぼ一直線の道路はあきらかに旧道のトレースをしていないのがわかる。
右手の下には中山ゴルフ場が広がり、旧道の一部を飲みこんでしまっている。

ここはわかれ道の様相を呈しており、右側が旧道と推定される。

再び現在の本通りを北に向って撮ってみた。残念ながら古いものはなに一つ伺えなかった。
 
そし
そしてこのガーデンのあたりから本格的なくだりが始まる。

この坂を更に下って300~400メートル来たあたりだが、雪を頂いた県境の面白山が確認できる。

更に500メートルくだった辺りに標識を発見!標識に書かれた狼石(おおいぬいし)の一風変わった標識に一瞬私の眼は奪われてしまっていた。
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