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 仙台の歴史を辿る若林区の旅
作為的に容易に攻められないように、或いは見通しが利かないように道をクランク状にする…
車にとってはクランクよりS字のほうが走り易いのは当然だが、城下町特有のクランクとこんなS
字状の町がいまだに存在する仙台市若林区舟丁。
昔はもっともっとクランクは多かっただろうが、現在仙台市内でこんなクランクを見つけるのは難しい。
S字状の道路の中心部分にはこんな店もあった。
「長野糸店」昭和の良き時代の興隆を感じさせる店である。

ここは若林区区役所、昔は「養種園」という植物園が建っていた跡地としても有名である。
かつては多くの仙台市民が憩いの場を求めてこの地を訪れたことだろう。
私はこの区役所前にシェルパを止めさせてもらった。

そして私は太白区役所斜め向かいにある保春院という寺に足を運んだ。

「保春院」この寺は 仙台藩祖伊達政宗公の母上の法号による由緒ある寺であり、この地区の町名(保春院丁)にもなっている。

参道を真っすぐに進んだ。保春院の中にはこういう神社も祀られていた。 

 戊辰戦争に関わり、その犠牲となった玉虫左太夫の墓がここにあった。

 南石切町付近の堀のそばにはこんな古い建物があり、思わず足を止めてしまった。

 ここはけして片田舎ではない。実はきょうのメインの目的地である史跡の近くには、仙台市街に近いながらもいまだにこんな畑と屋敷林が見られるのだ。
昔と変わらぬこんな古き良き日本の景観が私の心をことのほか和ませていた。

ついに目的地である遠見塚に到着した。
史跡脇の公園では親子連れが遊んでいてなんとも微笑ましい。 

その史跡とは遠見塚古墳である。 

1600年近い歴史、東北では第3位の規模ということである。

なだらかなひょうたんのような形状の前方後円墳はまるで平滑な仙台平野のへそを思わせる。
古墳の上では付近の小学生が無邪気に遊んでいた。
後円墳の高いほうの丘に来た私は目をつぶり1600年の時空を経て当時にトリップを試みた。
 
仙台平野の王、畿内とも通じた地方豪族を弔う一族とその家来…
遠くを見る塚、「遠見塚」ビルのなかった当時は遠くまで見通しが利いたことだろう。
やがて中世に入るとこの古墳は地方豪族の覇権争いを目撃してきたことだろう。
江戸時代中期には最強の横綱とうたわれた谷風少年の成長を見守ってきたことだろう…
 
仙台平野のど真ん中の小高い丘の上でそんな歴史ロマンが私の脳裏をかすめていた。

東(海側)に目を向けてみよう。
小さな丘の先にある道路は大動脈の仙台バイパス(国道4号線)である。
仙台バイパスがこの古墳を避けて通った。この史跡の大義を感じさせるものである。 

そろそろ、腹がへってきた。私は南小泉のこの通りを仙台市街に戻り、ある建物へと向った。 

のれんをくぐってフーテンの寅さんが今にも出てきそうな雰囲気が私にはたまらなく懐かしく思えた。 

これは忍び返しの鉄格子であるが、ご覧のような装飾デザインが施されており、店の雰囲気を損なわないものである。こういう細かい気配りに感謝したい。 

調理に精を出す御主人は年輩の方でご夫婦で食堂を運営されているようである。
こんな食堂が消えつつある昨今だが、由緒ある町で末長く食堂を営んでもらいたいものだ。 

 ラーメン(大)¥500、昭和の懐かしさがこみ上げた。
この手のラーメン屋にありがちなしょっぱさはなかった。
ここはタクシーの運転手さんもよく利用しているようである。
仙台平野の史跡を巡り、昭和ロマン漂う食堂で良き時代を偲んだこの日の私であった。

                                               
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