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文化都市仙台の横顔に触れる
 旧道探索の後、私がやって来たのは仙台都心からやや西部に位置する大手町だった。大手町とは仙台城大手門からほど近い場所に位置しており如何にも由緒ある町名である。江戸時代は伊達家の家臣の多くはこの辺に住んでいたはずである。
 
 空襲に遭い市街地の多くを消失した仙台市街だがこのような小さな神社(藤坂神社)も残っており、歴史の薫りを現代に伝えている。
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大手町、花壇の地図を見て頂きたい。広瀬川が蛇行して袋状になった部分が花壇(ベージュ色)その北部の水色が大手町である。
花壇には花壇自動車学校もある。私のブログ仲間の中にもこの学校を卒業して活躍しているかたもおられ、仙台では非常に有名な整備士養成学校である。

近代的な高層ビルに古風な神社、これこそ新旧折衷と言えるのかも知れない。

藤坂神社脇の階段を登って花壇方向を望んでみた。右手に山影が見えるがあの山のふもとに瑞宝殿があり、藩祖伊達政宗公が眠っておられるのである。

この階段をかけ登るとすぐに仙台医師会館がある。私は感慨深くこの建物を見ていた。
それは私の亡き叔父がここに会合で来ることを知っていたからである。
いつも礼儀正しく律儀な叔父であった。
また叔父は私の人生観に大きな影響を与え、尊敬できる人物であった。
 
この医師会館は在りし日の叔父の活躍の場であったあったことであろう。
生前の叔父はどんなことを考えてここに来ていたのだろう?
叔父は私のことをどう思っていたのだろう。
彼岸でもあるこの日、そんなことが私の頭をよぎっていた。

私が次に訪ねた場所は医師会館から300メートルほど南東に来た仙台大神宮である。

ここは仙台都心の盲点と言えるのかも知れない。
伊達家の家臣である茂庭周坊の屋敷がここにあったことは私も初めて知った。
私は仙台の歴史の重みを肌で感じていた。

仙台大神宮の屋根の合間から大手町のマンションの看板が見えた。
それは新旧折衷ではあったが、私は不思議と違和感を感じなかった。

仙台大神宮の境内は赤を基調とした極彩色の配色が印象に残った。
こんなシュチエーションは珍しいだろう…
ここはまさにビル街に囲まれた由緒ある神社という感じである。

※仙台大神宮の位置を地図でご確認ください。
中庭に面する洒落た窓の中国的なデザインが私の目をくぎ付けにしていた。
そしてこの時、いつの間にか私の感性も現代を離れ中世にトリップしていた。

そろそろ次の場所に移動しようか…
私は西公園通りの片隅にあり、けなげに私を待ちながらたたずんでいた愛車に目をやった。

いつの間にか仙台都心西部のビル群に私は囲まれていた。
それは現代の仙台を代表するロケーションであったが、それに相反するこの町のDEEPな歴史も感じるシーンでもあった。

ここは仙台大神宮から南東に約200メートル来たところで、道路を経て右側が片平町、左が大町である。

馬上蛎崎神社はそんな場所に建っていた。

伊達政宗の愛馬、五島。この神社には悲しい由来があるようである。

そしてその神社の隣はご覧のような公園になっていた。

良覚院丁…伊達家の祈祷をつかさどっていたとは!なんと由緒ある町名であろう。
ここは本当に仙台の都心なのだろうか?私は何度も自分の目を疑った。
この公園に隣接する茶室「緑水庵」は私も初めてその存在を知った。

開発だけを優先したものでないことが私の心をとらえた。
いろんないきさつはあったようだが、緑水庵の存在は文化都市仙台に相応しいものでなかろうか?
緑水庵は期間限定で一般公開されているとのことであった。
ここは是非とも取材してみたいスポットである。

次に私は東北学院大学片平町キャンパス近くの老舗銭湯に訪れた。
残念ながらこの銭湯は今は営業してないようであった。
しかしながら私にはこの老舗銭湯に潜む多くの隠された事象がまるで走馬灯の如く浮かびあがっていた。
昭和の良き時代に経験した商人の景気、サラリーマンの悲哀、夢多き学生の希望…

第三回である次回は「若林の歴史的遺産」をお伝えする。お楽しみに!
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