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古きを訪ねて新しきを知る…
 ようやくバイクに快適に乗れる季節が到来した。きょうの仙台は気温が10度を越え、薄曇りながら春本番を感じさせる気候となった。きょうから三回に渡ってバイクによる仙台郷土史探索の様子をお伝えする。第一回は仙台市北部に存在する根白石街道である。一説によるとこの旧道は奥州街道以前の往古のものであり、根白石が宿場町として機能していたとする説にも繋がるものである。
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 第一回、旧道と郷土史を探る冒険
 私には少年時代の良き思い出があった。それは小学4年で仙台に転校してきたばかりのことだった。当時新興住宅地で下宿業を営んでいた私の家にAさんなる高校生が居り、なんとある休日に私をアドベンチャーサイクリングに誘ってくれたのである。小学4年生ながら自転車には自信のあった私だが、今考えると高校生の体力には比べるべくもなく両者の自転車をこぐペースが異なるのは当然で、それは今思えば、遅れがちになる私を優しく気遣いながらの行程に違いないものであった。
 
 では、なぜアドベンチャーなのか?それはぬかるみを含む山の中の悪路(根白石街道)を延々と走り、仙台北部(現青葉区中山)から泉町実沢、同野村、同七北田、同黒松(現泉区)にかけての丘陵や田畑の広がる未開とも言える田舎の道路(あぜ道を含む)を半日かけて環状に走破(推定走行距離40キロ~50キロ)したからである。
………
 そんな冒険から数十年の月日が流れた。「幻の旧道をもう一度辿って夢多き少年時代に再びトリップしてみたい…」いつしか私の頭の中にそんな欲求が生まれていた。そしてその欲求を満たす時がついに訪れた。きょうの私はすっかり好奇心旺盛な少年であり、冒険家でもあった。
 
 ここできょうのいでたちを紹介しよう。ウェアーは愛用のSIMPSON、パンツはイエローコーン、ブーツはエンジニアブーツである。これらは装甲が固く万一のクラッシュにも十分耐え得り、相当なプロテクター効果が見込めるアイテムである。
 
 例えハードな冒険になっても安心して探索に打ち込める…これらのヘビーデューティーなアイテムはアドベンチャーには不可欠といってもいいほどである。

次に地図をご覧頂こう。赤い線がきょう探索した旧道「根白石(ねのしろいし)街道」である。
そして黄色の丸印のところは今は公園だが数十年前は溜池とクレー射撃場があったところである。

これが溜池(菖蒲沢溜池)跡である。現在は公園となり近くの住民の憩いの場となっている。
周囲は住宅地で囲まれており、とてもクレー射撃場があったようには見えない。
また当時、友達の上級生が飼っていた亀をこの池に放流したときに立ち会った記憶もあった。

 私は一年前の震災を思い出していた、断水が長く続き、会社から帰ってから水汲みが私の日課になった。水を汲み終えて家に戻った時の家族の安堵の顔は今でも忘れられない。
 
 自分には家族がいる。家族を飢えさせてはいけない。だから絶対に病気や怪我はできない…そんな思いが伝わったのか今まで反抗期とばかり思っていた息子が素直になった。私の背中を見て、家族を死守しようとする気持ちが伝わったのだろうか?…

この地図を見てもここに池があった痕跡はまったくなかった。
とびのことは鳶ノ巣山というこの辺の地名にちなんでつけた名前であり、私もその命名に携わった中の一員である。

公園の石碑を見るとようやくここに溜池があったことがわかる。
大正11年、瀧道や菊田山はこの辺の近くの地名でかなり古い名前であることがわかる。
また宮城郡七北田村長の刻印もあり、90年前にはここが仙台でなかったのが確認できる。
東海林氏はこの辺の地主である。

 湯殿山の大きな石碑が私の足を止めていた。上から二番目の地図をもう一度確認して頂きたい。ここは川(二級河川梅田川)と街道がXに交わる交点(橋)から北西(地図上では左上)に約10メートル来た地点である。
 
 後でわかったことだが馬をひいて通った時代は川と街道が交わるこの辺で、馬に水を飲ませたということだ。私のシェルパも昔で言えば馬であり、現代の馬と言えなくもないだろう…私にはその対比が面白くもあり滑稽でもあった。
この道を更に進む(地図上では左斜め上)とつづら折りの登りの山道へと繋がっていくのである。

 山道を少し行くとこんな看板が立っていた。「村上山」という地名は初めて見たが、この山は宅地化を防ぐために仙台市の指定で緑地として保存しているようである。
 
 ここで興味深い絵を発見した。なんとさっきの埋め立てた公園が菖蒲沢溜池として表示されていたのである。私はホッとした気分であった。

私はバイクを降りて徒歩で村上山の急な坂を登ってみた。木々の合間から春の薄陽がさしこみ静粛に包まれる…

ある程度登ってフラットになったので再び降りてみた。右側に視界が開けた。ここで私は昔人に成り切るべく、目をつぶった。
 
 時は江戸時代である。根白石村の百姓、平左衛門は馬をひいてこの急坂を通りかかった。季節は3月半ば~下旬の今ころである。既に田起こしが始まっていた昨今であったが、この日は暖かく春風がことのほか心地良かった。ふと右に目をやると国見峠の深い山々が春霞に霞んでいた。おぼろげながら山には残雪があるようである。平左衛門は少し心配になってきた。今年は豊年になるのだろうか?飢饉になったら一家離散の憂き目になりかねない…平左衛門は年貢を納めるのが精いっぱいで、伊達の殿様が仙台城構築に必要な石垣をあの山の陰のほうから調達していることなどは知るよしもなかった…

江戸時代、道中を行くお百姓さんも重労働の合間にこんな景色を見てきっと癒されたことだろう。

そんな妄想に陥った私はこの道を逆に仙台方面(地図上では右斜め下)に向った。これは馬頭観音の祠である。ここは川から100メートルほど来た場所で、昔わき水が出ていた場所である。
おそらくこのわき水は人だけでなく馬にも与えたものだったろう。

更に仙台方面へ行くと根白石踏切にぶつかる。踏切に旧道のなごりが残っているのはなんとも面白いことである。この踏切を過ぎるとJR北山駅である。

北山駅を過ぎ、更に進み北山霊園へ。入り口には祠が集められてる。

北山霊園の前の坂を下って仙台市街を望んでみた。春霞のため、視界が良くない。

また少し行くとまた祠があった。実に200メートル前後で祠が点在してるのはこの道がまぎれもなく旧道であるがゆえのことであろう。

そして150メートルほどゆくと羽黒神社がある。

神社の鳥居の下から旧道を望んでみた。昔人はお参りの時は馬をつないだのだろうか?
いや神社参りする時は馬では来るまい…

ここが羽黒神社前から北山霊園に至るところである。
旧道沿いの一つ一つのもの(点)が繋がり線になってきた感があった。
この辺からは明らかに町場の雰囲気を醸し出してくる。
おそらく江戸時代でも民家があったことだろう。
この三叉路がいつごろから存在したのかは今後の研究課題としたい。

次回は青葉区花壇~片平周辺の探索をお伝えする。お楽しみに!
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