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美しい田舎の風景、だが全ては9時間後に消える運命だった
 明日で大震災からちょうど一年になる。震災がもたらしたものはなんだったのか?津波により多くの尊い人命が犠牲になったが、生き残ったかたでも九死に一生を得たかたも多いだろう。また九死に一生とまではいかなくても、物資難より衣食住を絶たれ、避難所や自宅で二次的に生命の危険を感じた人も多いことだろう。
 
 実は私は昨年の今頃は事故を起した福島第一原発の中で働いており、南相馬の宿から毎日通う日々を送っていた。地震当日の3月11日当日と12日のこと(命かながらの帰還)は昨年ブログに復帰した際に詳細に渡って既に記録してある。
 
 きょうは大震災から一年の節目を機に主に地震発生に至るまでの私の行動を回想を交えて書くことにする。
※平成23年3月11日AM6:15福島県南相馬市小高区村上海岸にて

※村上海岸の位置を地図でご確認ください。

詳しい地図で見る
 平成23年3月11日、私は南相馬の宿を6時前に出発し、朝礼まで少し時間があったので、いつもの通勤コース(浜街道)から村上海岸に立ち寄り海を眺めていた。私は東北の中では比較的気候温暖なこの地(常磐地方)をことのほか気に入っていたこともあり、またこのころ村上海岸にちなんだ島尾敏雄の小説「いなかぶり」を読んだ後ということもあり、朝の通勤途中がてらこの辺の散策に訪れることがよくあった。
 
※小説「いなかぶり」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/28048571.html
 
 早春の常磐の海から昇る太陽は眩しく、この日の海はさほど荒れていなかった。9時間後に起こる天地異変を知るべくもない私は少しでも少年時代の島尾敏雄の心境を理解したいと思う気持ちを持ちながら海岸周辺を散策していた。
 
 私は島尾少年が祖母と海水浴に訪れたときに来た「はたて」(注釈:陸地が切れるところ。果ての意味)の近くにたたずみ、八十数年前の当時に思いをはせたり、彼と祖母が海水浴の帰りに歩いたとされる海と反対側のどかな田園地帯に大いなる興味をひかれたりしていた。
 
 島尾少年が育った昭和初期の古き良き時代に私は思いをはせ、「いなかぶり」にその景観をラップさせた。この平和な景色はこれからもずっと続くことだろう…そんな思いを私は信じて疑わなかった。
 
※下の写真の右の陸地の果てが小説でいう「はたて」です。
(2011年3月11日の震災9時間前に撮影)

※島尾少年が小説「いなかぶり」で海水浴の最後に訪れた部落

※村上海岸西側海岸林より内陸部を望む。(遠くに見えるのは阿武隈山地)

※幼い島尾少年はこんなのどかな道を祖母に手をひかれて歩ったことだろう。

 いつものように福島第一原発内の建設現場では一日の作業が始まり多くの職方が来て忙しく作業に追われていた。あと一週間もすれば今の仕事を無事に終えて仙台に帰れる…そんな考えを頭に据え、私はその問題の時間(午後2時46分)を迎えようとしていた。一回目の余震はそんなに大きくもなくあまり気に止めなかった。そしてあまり時間を経ないでついにその瞬間となった。
 
 「プルルップルルップルルッ!プルルップルルップルルッ!」突然机の上に置いた携帯電話の地震予告音が不気味に、けたたましく鳴った。そして間髪を入れずに横揺れが来た。「地震が来るぞ!」と私は大声で叫んだ。このとき現場事務所で私の大声をよそに脇にいた人は来訪者と打合わせをしており、かなり揺れているのになかなか話すことを止めなかった。
 
 しかし15秒くらいするとその揺れが尋常でないのは誰の目にもあきらかなものとなった。
 
 折りたたみテーブルやイスが一斉にスライドし狂ったように踊り始めた。周囲に何もない場所にいた者は全員がしゃがみこんだ。壁など掴まるものが周囲にあった者は全員が掴まろうとした。ロー、セコンド、サード…やがてそれは車のギアチェンジのように何段階も経た複合的な激しい揺れに発展していった。「キャー!」女性からは悲鳴があがった。
 
 それは私が生涯体験した中で最も非情で凶悪な揺れだった。膨大なエネルギーの放出による爆発的な破壊力にはまるで地底の神が怒ったか或いは悪魔のたくらみ、悪意のようなものさえ感じた。
 
※この美しい海が九時間後に悪魔の海に変わることを誰が予想したことだろう?

 大地には雲の巣のように亀裂が入り、作ったばかりの建物の基礎や土間にひびが入った。この日はコンクリートの打設日だったので職人気質の左官工は揺れが納まってからも土間を仕上げていた。
 
 足場の上にいた板金工は身の危険を感じ、安全帯を足場から外して飛び降りてもいいように身がまえ、足場と共に倒れるのを防いだ。引き渡しを前にした建物と足場が激しくぶつかった。
 
 地震の次は津波が心配だった。「ここは津波は大丈夫なんですか?」の問いにベテランの土工の親方が自信ありげに落ち着いて答えたのが印象に残った。彼はこう言い切った。「ここは海抜が高いので津波はきません。」
 
…そうこうしているうちに連絡があった。「非常事態なので作業を止めるように。」と。
 
 果たしてそこから深夜に渡る命がけの迷停徘徊が始まった。(その様子は一年前のブログの記事「常磐からの命がけの帰還」でご参照ください。)
 
※「常磐からの帰還」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/28293480.html
 
 私は生涯この日を忘れないだろう。そして概ね的確な避難ができたことを神に感謝すべきだろう…だが失った多くの人命はけして戻らない。
 
 私は震災から一年の節目に際し、改めて命を失った人に深い祈りを捧げたい。
 
 「どうか、安らかに!」
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