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イカツイ顔で仙台市街をにらむ偉丈夫

 仙台市の中心部勾当台公園にひと際武骨な銅像がある。この銅像こそが宮城県仙台市の生んだ横綱中の横綱二代目「谷風梶之助」である。
 
 今回、谷風の生家跡と墓(仙台市若林区霞の目)を訪れる機会に恵まれたので、その模様を彼の人となりを交え紹介したい。

【以下池田雅雄氏執筆より引用】
二代目谷風梶之助(1750―1795) は江戸時代中期の寛延3年、仙台市若林区霞目に生まれた。幼名与四郎。生家は代々金子弥右衛門と名のった。谷風は江戸力士関ノ戸億右衛門(のち2代伊勢ノ海(いせのうみ))の仙台巡業中にみいだされ、1769年(明和6)19歳のとき江戸深川八幡(はちまん)興行に、巨体のため当時の風習である看板大関として初土俵を踏み、以後、95年(寛政7)45歳で現役中に帰郷してかぜのため病死するまで27年間、江戸、大坂、京都の大場所を70場所勤め、負けはわずか20回で通産勝率9割4分9厘。当時二場所制だった江戸場所での63連勝もあり、まさに三都に天下無敵の名をとどろかした大横綱であった。
 
 仙台伊達(だて)家の抱え力士で、89年好敵手小野川とともに初めて横綱土俵入り免許を受け、現在は4代目横綱に数えられている(3代目までは架空なので実質的に初代横綱である。)。身長189センチメートル、体重169キログラムのあんこ型巨人で、多くの錦絵(にしきえ)に肖像画が残されている。
 
※木版画にされた横綱谷風、帯刀を許されるというだけで当時の横綱の社会的地位が伺える。

さてこの辺が彼の生家のあったとされる仙台市若林区霞目(かすみのめ)である。
一見すると田んぼの中の閑静な住宅地といった感じである。

※地図で位置をご確認ください。
そろそろ昼時である。腹が減ってはいくさができない。まったくの偶然ながら私は霞の目の住宅地の中に一軒の食堂を見出した。ここで食事を取りながら谷風の生家の場所を訪ねるという魂胆である。

メニューはラーメン類の他、焼き肉もオーダーできる。まさに昭和時代の食堂そのものである。

時計は12時を少し回っていた。

寒い時は暖かいラーメンに限る。私が頼んだのは塩ラーメンとライス(¥700)だった。
おかげで体の芯から暖まることができた。そして食堂のおかみさんから谷風の生家跡を聞き出すことに成功した。なんと生家跡はこの食堂のすぐそば(斜め隣り)だという。

江戸時代中期の生家は当然現存しないが、つい最近まで生家の建材を用いた住宅(築160年くらい)が建っていたという。その住宅も去年の震災で地震の被害を受け取り壊されたという。
なんとも残念なことである。
だがすぐ近くに谷風の墓があると聞き、私は気を取り直して墓に向かうことにした。

墓に向かう途中(食堂の隣)には浪分神社という名の神社があった。

震災後に設けられた看板であるが、非常に興味深いことが書いてある。
白馬に乗った海神が現れて浪を二分した言い伝えからこの神社の名がついたこと、今改めて話題となっている貞観11年(869年)の大津波のこと…
昔は2メートルほどの小高い丘だったこともわかる。
この地は古くから大津波や大洪水に襲われていた地でもあったようだ。

生家から西にわずか200メートルほどだろうか、回り込んだ道路を通り、谷風の墓に到着した。

4階建てのアパートの前の松の大木に抱かれるように谷風の墓が建っていた。

横綱谷風はここに妻とともに眠っている。

説明書きをよく読むと現在の墓は霞目飛行場の拡幅に伴い移転されてここに移ったようである。

周囲に目を移してみよう。道路を隔てた向こう側は自衛隊の霞目駐屯地となっている。

少しでも当時の面影を見出したいという意味で再び生家の近くに足を運んでみた。
この住宅の木塀も古そうだがせいぜい昭和初期か大正のものだろう。

旧道と見られる生家前の旧道を別なアングルから撮影してみた。
時空を越えて谷風になり切ってみよう…
私は目をつぶり江戸時代中期にタイムスリップしてみた。
少年時代の谷風はこの辺で遊んだり、野良仕事を手伝ったりしたことだろう。

東側に目を向けてみよう。民家の合間の遠くには海岸林と思わしきものが確認できる。
今でさえ遮るものがないのだから当然当時も見通しが利いたことだろう。
金子少年(谷風の本名)も野良仕事の途中には、浪の音が耳に入ったことだろう。
また晴れた日には心地良い浜風にも恵まれたことだろう。
幕政時代、米どころの仙台平野は豊作にも恵まれたことだろう。
収穫の秋、力自慢の彼は米俵二俵を軽く持ち上げ、周囲を驚かせたことだろう。
 
横綱は角力の神に仕える者であり、強さだけでなく人格にも優れていなければならない。
生前の谷風は大横綱に相応しく温厚で高潔な人柄で人びとに愛されていたという。
今回生家周辺を散策して、私にはこの自然に恵まれた周囲の環境が彼を強くて立派な横綱に育てた一因であるに違いないと思われた。
彼こそ郷土の誇りである。

                           
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