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小僧の神様とは一体誰のことか?もしかして…
志賀直哉1883~1971

    小僧の神様(大正9年:1920年発表)あらすじ
 
 神田の秤屋で奉公をしている小僧の仙吉は、番頭達の話で聞いた鮨屋に行って鮪の脂身を腹いっぱい食いたいと思っていた。ある使いを頼まれた帰りに鮨屋に入るものの、金が足りずに鮨を食べることができない。仙吉は勇気を振り絞って鮪を置き、大恥をかきながら店を出る。
 
 その時偶然客として居合わせた貴族院議員のAは、後に秤屋で仙吉を見つけ、ご馳走しようと寿司屋に前払いをして仙吉に鮨をおごる。Aに見られていたことを知らない仙吉は「自分が鮨を食いたいことをなぜAが知っているのか?」という疑問に陥る。寿司屋に「金をまだまだもらっているのでまた来てください。」と言われた仙吉だったが二度と寿司屋に足を運ぶことはなかった。
 
 筆者(志賀)は最後に『Aの住所に行ってみると人の住まいが無くそこには稲荷の祠があり驚いた。』というようなことを書こうかと思ったが、そう書くことは小僧に対して少し残酷な気がしたため、ここで筆を置くことにしたと結んでいる。 

 
               読後感想byミック
 
 俺も早く一人前の番頭になって鮪の脂身を腹いっぱい食べてみたい…俗人の小僧には煩悩があった。店からの駄賃(電車の往復代)を歩くことによって浮かせた小僧は、煩悩を実現するべくある寿司屋に入った。そして鮪の脂身の一つを掴むも「小僧さん、それは六銭だよ。」と主人から言われ、銭が足らず大恥をかき、しどろもどろになりながら、おそるおそる寿司を置いた…
 
※しどろもどろになりながら鮪の脂身を置く仙吉。私自身も要領悪いがゆえにこういうことはたまにある。そんな時は私も彼と全く同じようにしどろもどろになることだろう。

 値段を聞いてから鮪を掴めばよかったのだが、若輩であった小僧の裁量はそこまで回らなかった。だが要領が悪い小僧も食い逃げなどの非道はけしてしなかった。また後に店の客であったAのおごりの寿司代がただだからと言ってそれに甘んじることもなかった。
 
 小僧が気持ち悪がったせいという考えも一部にはあるだろう。だがあえて私は小僧の良心がそのようにさせたと信じたい。また志賀は小僧を残酷な目にも合わせない。ここに私は志賀文学の一貫するところである強い正義感と慈悲深い心を感ずるものである。 
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