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  並み外れた好奇心が偉大なる冒険と理論を生む
          チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809~1882)



きょう12月27日はダーウィンが進化論を生み出すきっかけになったビーグル号世界周航出航180周年に当たる日である。(以下、青春出版社「歴史を変えた大航海の世界地図」を参考に編集)
 
けして大きな船でなかった軍艦ビーグル号(重量約240t、全長27メートルの帆船)は今からちょうど180年前の1831年12月27日イギリスのプリマス港を出航した。

※プリマス港を出航するビーグル号



ここで着目して欲しいのはこの船の元来の目的がけして世界各地の冒険探査でなかった点である。この船の目的はは南米大陸の測量が主だったのである。この船にまだ大学を卒業したばかりの無名の若者が乗りこんでいた。若者の名はダーウィン、恩師の勧めでこの船に乗り込んだ彼は船長の客人という立場であった。
※今回の航海でビーグル号のとったルート(世界一周)



船酔いに悩む彼がその真価を発揮したのはカーボベルデ諸島に到着した時だった。好奇心が人一倍旺盛な彼はここでアメフラシを採取し解剖し、その大いなる探究心に火がつく。その後陸地に上陸する度に彼はジャングルを駆け巡り、生物標本採取、スケッチなどを精力的に行い、他の乗組員からは尊敬をこめて努力家、哲学者と呼ばれるようにまでなった。
 
 やがて南米大陸に上陸し、生命満ち溢れるブラジルの熱帯雨林に歓喜した彼はこの森をこう表現している。「この感動を表すには歓喜という言葉では弱すぎる。」

※リオデジャネイロに入港するビーグル号


アルゼンチンのバイアブランカでは化石発掘調査を行い、さまざまな動物の化石を観察するうちに『生物は絶えず進化して環境に合わないものは絶滅する』という仮説を立てる。南米大陸最南端に差し掛かったビーグル号は真冬の難所マゼラン海峡を通過するのに実に一ヶ月を要している。極度の悪天候と寒さ、船酔いは彼を恐怖に陥れ、狼狽させるに十分なものだった。

※難関として立ちはだかるマゼラン海峡


難関を突破したビーグル号はやがてチリに到達し、アンデス山脈を調べた彼は高山にある貝の化石層を発見した。「こんな高い山になぜ海に生息する貝の化石が見つかったのか?」そこで彼は地震と隆起の因果関係に目を付け推測した。やがてビーグル号は1835年9月15日太平洋に浮かぶガラパゴス諸島に到着した。

※ガラパゴス諸島地図


一見植物がほとんどなく溶岩で覆われたような島だったが、そこで彼は恐竜の生き残りのようなイグアナ(左)や巨大なゾウガメ(右)を発見した。




 
そこで彼はそれが固有種で島ごとに違う特徴を持っていることに気付いた。この発見は後の種の起源による進化論の根底ともなったものであった。その後もタヒチ、ニュージーランド、オーストラリアなどに寄港したビーグル号は大きな成果を土産にインド洋、大西洋を経て母国イギリスに1836年10月2日に無事帰港した。出航から5年が過ぎようとしていた。世界を揺るがせた「種の起源」が発表されたのはその23年後だった。
 
         著者コメント
 弱冠22歳の彼は客人としてこの船に乗り込んだ。その時彼は誰からも指示を受ける立場ではなかったはずである。にもかかわらず持ち前の好奇心、知識欲を発揮し、この船に元来与えられた任務以外のものを追及した彼の積極性は見上げるものがある。また、通常行動力にたけ冒険を好む者はそれを整理し、分析する意欲や能力に欠けることが多いが、彼の場合はここが常人とは違うようである。特に旺盛な探究心で南米やガラパゴスの秘境を精力的に駆け巡り、それをデータ(スケッチやエッセイ)に残した彼の地道な努力は称賛に値する。
 
 全ての生物はここに神が創ったという当時の常識に異論を投じた「種の起源」は当時、異端者呼ばわりを覚悟の上で、相当な反論を予測して発表されたものであったろう。そういう意味に於いて真実の追及を遂行した彼の姿勢はサイエンチストの鏡と言える。ビーグル号出航180周年を向える今日、今改めて彼の偉業を讃え拍手を贈りたい。
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コメント

No title

ビークル号…学生時代に博物学者としてダーウィンが乗って
色々と記録を日記のように記録した、と習った記憶があります。
この航海は彼にとっても、素晴らしい旅だったのですね。
自分の知りたい事に対する情熱や行動や探究心。
後に残した功績はとても大きな物だと思いました☆

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

“好奇心の種”をいっぱい持っていたダーウィンにとって、自然の猛威ですら好奇心の対象であったように思う次第です。

〈『自分は力の限りを尽し、自分としては至上の労作をした。何人(なんびと)と錐ども是以上の事は出来ない』と反覆濁語するのが自分の無上の慰めであった。〉と彼が述べているのは、世間体とか他人の評価に左右されない生きざまを感じます。

関係ないですが、私がコメント欄で誤字脱字が多いのは、直接入力の場合、辞書の学習機能が働かないせいだと思いました。

URL | ☆アツ☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

joeyrockさん、彼は船に特に弱い体質でこの5年間の航海中、上陸したときを除いて、船酔いから解放されることはありませんでした。
上陸した時の彼の飛び抜けた行動力はその反動だったのでしょうか?
ご存じの通り、彼の興味と研究対象は単なる生物学に留まらず博物に及んでいたのです。

昨日、この記事をブログアップしたのはけして「今日の歳時記」を検索して12月27日でヒットしたからではありません。
この本(歴史を変えた大航海の世界地図)を読んでいてダーウィンのことが目にとまったのです。
その中でビーグル号の出港が偶然にも12月27日だったことを知り驚きました。
彼の常人との違いは文中にも書いた通り、自分の見たものを詳細に至るまで観察し、スケッチやエッセイにとどめ、後に分析していることです。
その熱意に打たれてペンを執りました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

アツさん、マゼラン海峡に達した時の彼の狼狽ぶりは如何ほどだったことでしょう?
おそらく迫りくる死の恐怖と好奇心との狭で、どうしようもない葛藤を感じていたことでしょう。

世に名を残した多くの者は世間体や他人の評価に左右されない生きかたを貫いていますが、ダーウィンも例外でなかったのですね。
「自分の労作は他人には及ばない」と言った彼の気持ちはよくわかりますが、これは成功者であった彼のみが言い得る奥の深い言葉だと思います。

それでも種の起源を発表したときだけは、最初彼と似た理論の学者との共同発表としたのは世間の目と反動が気になったことでしょう。
それだけ世に投じた波紋は計り知れないものだったと私は受け取ります。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

小笠原諸島は東洋のガラパゴスといわれ
固有主が多い場所ですが奄美大島 西表島なども名乗っていますね
彼の偉業は立派な業績ですが われわれはこの偉業を
受け継ぎ後世に残していかなければならない使命を負っています
自分自身で何も足さず何も引かない記録を残すことは難しいことですね

URL | - ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

あぶさん、確かに科学者にとって事実をそのまま記録することは不可欠ですね。
この時代に写真はあったと思いますが、彼は観測したものの多くをスケッチに残しています。
そしてそれをエッセイで補足していたようです。
これが後に大きくものを言うことになります。
確かに小笠原諸島も奄美大島も西表島もガラパゴスも固有種が生息していますね。
その固有種に着目し記録するだけに留まらず、「種の起源」をまとめあげた彼の並はずれた実行力、そして動機となった大いなる好奇心に改めて敬意を表したいと思います。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

今この辺の地域に行っても、
観光が進んでいるので、そんなに大きなサプライズは
ないかもしれませんね。

でもね。。南半球って。。。
今でも時々度肝を抜かされますよ~。
当時はどうだったか?を思うと。。。
図り知れません。

URL | プチポア ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

プチポアさん、お察しの通り私も冒険家に憧れております(笑)
このダーウィンの成功の陰には多くの苦難があり、又他の冒険家の多くは歴史に名を残すことなく消えて行ったことでしょう。

でも私はここに大いなるロマンを感じます。
もし「成功した冒険」という言葉があるならばそれは百に一つ、否千に一つ、否万に一つといったことになるでしょう。

この時代に或いはそれ以前から万に一つの冒険に命をかけた男たちに
脚光を浴びせたかったのです。
私も彼らの生きざまを見習い、常にフロンティア精神を持ちたいと思います。

そう言えば、南半球はプチポアさんもいらっしゃったわけでしたね。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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