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 三つ子の魂、百までも。
 これは先日従妹から送られてきた実家石巻市の生家(お菓子屋)で撮影された祖父と私の写真である。 今になって思えば軍人あがりで昔気質の頑固な性格となろうが、幼い私にはその片鱗すら感じさせなかった。菊の花と酒をこよなく愛した祖父に私は溺愛されたのである。この机の引き出しは私の好奇心を満たす絶好の遊び道具でもあった。祖父は毎日かかさず晩酌し、この日も座イスに座って夜遅くまで酒をたしなんでいた。
 
 私は日中気を利かしたつもりで、祖父がくつろげるように踏み台や段ボールなどで肘かけや背もたれの”しかけ”を用意してやった。でも不思議にも私が気が付くといつの間にかそれらの”しかけ”はきれいに片づけられていた。幼い私には片づけられた理由など知る由がなかったのだ。
 
 私がこの引き出しの中のものをどんなにかきみだそうが、このお節介極まる”しかけ”を用意しようが、裸足で庭を走りまわろうが、祖父からはけして怒られることがなかった。また祖父の煙管をいたずらして火をつけないで吸って香りを味わったりもした。この時の祖父にとって私は「目に入れても痛くない存在」だったのかも知れない。
 
 又、あれは小学一年のことだったと思うが、秋の十五夜にはこの縁側にススキが飾られ、家族で月見をしたことを私は覚えている。
 
 自作小説「祖父からのメッセージ」へのリンク:http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/23139406.html

  祖父が亡くなって今年で45年になる。私は五十台半ばになってこの時祖父の気持ちが少しわかってきたような気がした。けしてしからなかった祖父は私の人格形成に大きな影響を与えた。今改めて祖父に感謝したい。
 
 下の写真は以前にも紹介したが昭和初期に撮影された石巻の語源にもなった巻石である。幼い私が祖父に手をひかれてこの巻石を見に行ったことをかすかに覚えている。震災で巻石が水面から消え失せたこともあって、その思い出は涙無くしては語れないものがある。
※写真提供:泰弘さん

 祖父のあの時の優しいまなざしは単なる孫への甘やかしだったのだろうか?私はそうは思わない。私に鷹揚な人間になって欲しい。」という祖父の願いを感じざるを得ない昨今である。
 私は祖父の遺志に応えるためにも、この恩になんらかの形で報いたい
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