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大川家は士族か?
現在私は歴史小説「我がルーツと大河北上」を執筆中だが、或る資料に出合い、自分の思い違いが判明した。それは野谷地(遊水地)の開拓に携わった人足(私のルーツ)は農民(例え下級武士であっても、士族が掘削や農地開拓などをするわけがない…)とばかり思っていたのだが、みやぎ北上川の会発行「みやぎ北上川今昔」P57によると、これを行ったのは年貢を課せられた農民ではなく、家臣、陪臣(家臣の家臣、又家中)であったということである。

仙台藩祖伊達政宗は新しい領地で家臣に知行地(家臣が所領する土地)を与えるときに、耕地(作物が取れる土地)と野谷地(これから開墾して農作物が実る土地)を併せて支給し、一定の期間(5年~7年ほど)は年貢を取らず、期限を迎えたところで検地をし、初めに定めた知行高(所領地の石高)を超えて新田となった際は、超過分を藩直轄地(蔵入地)としたというのである。

このときに与えられた知行高は10石以下が圧倒的に多く、農民とあまり変わらない生活をしている家中(家臣)もたくさんいたという。農民との決定的な違いは年貢を納めなくてもいい、または少ない年貢を納めるだけでよかったことである。逸話として他の藩の人が仙台藩に旅に来て農具を持った人が武家屋敷に入るのを見て驚いたという話があるが、これは他の藩から見れば珍しいことであったという。

また、戊辰戦争を終えたばかりの明治13年(1880年)、自分の祖父方ルーツである大川家は牡鹿原(現石巻市大街道地区)開拓に携わったが、これは士族授産(明治維新前に62万石だった石高が半分以下の28万石に減ぜられ、多くの武士が所領や石を失った際に行われた救済措置)が目的であった。こうした二つの点から我が大川家は下級ながら士族であった可能性が高いと察している。

今回はその点を考慮してストーリーを見直してみることにした。ところで大川家が仕えたとされる川村孫兵衛重吉の菩提寺は門脇地区の普誓寺だが、実はここは彼の屋敷(往時は牡鹿郡大鈎村:現石巻市中浦2-2-11)があった場所であるという。今昔マップ(大正時代初期)で普誓寺の位置(赤●)を確認して頂きたい。

ここで改めて、川村孫兵衛について二つの資料を基に振り返ってみたい。引用元は「石巻門脇ゆかりの人たち」の「永遠の南浜、門脇」である。

引用その❶石巻市史第2巻』河川史、第4章から引用
長州阿武郡出身(山口県萩市)の人。元医師(『日本歴史大辞典』)。初め毛利家に仕え、関ケ原の戦いの後、浪人となる。慶長年年間(1596~1615)、卓越した土木技術を見いだされ、伊達政宗に召抱えとなる。元和9年(1623)から北上川改修工事を行い石巻湊を整備。この功績により3000石の家禄となる。釜(現:大街道地区)で製塩事業を行い地名の由来に。菩提寺の大鈎山普誓寺は遺言により自宅跡に建立。石巻市は毎年8月、孫兵衛の功績を讃えて「石巻川開き祭り」に際し「墓前祭」を開催。養子の川村孫兵衛元吉もまた土木技術に功績あり、栗原郡の伊豆野堰工事に名を残す。

※赤:川村孫兵衛重吉の菩提寺の普誓寺
※黄色:青葉神社(伊達政宗公を祀り、旧仙台藩士による大街道開拓の際に、藩祖への感謝と開拓の成功を祈願した神社)
左は大正時代初期の地図、右は現代の地図である。

引用その❷〈普誓寺開基略〉より
 『奥州牡鹿郡大鈎村 大鈎山竜観院普誓寺開基略記』という同寺の縁起によると、「重吉又鉱山に精はしく、封内の山川土色を視察して能く金銀鉱を探見し、荒蕪の原野を開拓しては膏そうの田となせるもの幾百町歩。或は海浜の地処々に◆長堤を築いて◆巨竃を置き以て◆塩を焼く等、世を益し且つ公に貢献する所非常に多かった。此を以て采邑を◆磐井郡猿沢邑、◆宮城郡小田原村南目村、◆牡鹿郡大鈎村等数ヶ所を賜はわり、◆三千石を拝領した。」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
我が祖父方先祖代々の言い伝え「我が大川家のルーツは古くは岩手県に住み、やがて宮城県に南下し、川村孫兵衛に仕えた。」
②牡鹿原開拓(1880~)でこの付近に広い土地を得た。(この事業は士族救済の為の事業であった)
を総括的に考えると、大川家は川村孫兵衛に仕えた家臣(士族)で、野谷地の開墾をしながら、北上川改修の普請にも携わり、改修が済んだ後も川村家に仕え、川村家の屋敷の近くに住んだ可能性が高い(そう考えるのが自然)と認識している。

門脇地区(釜)の航空写真(昭和の頃の撮影か?)をご覧願いたい。開拓当時と比べたらだいぶ住宅地が広がっているが、周囲には美田が広がり昔の面影が残っていると捉えている。我が祖父もこれとさほど違わぬ景色を見たのではないだろうか?

横町挨拶
この著物(みやぎ北上川の会発行「みやぎ北上川今昔」)と出合わなければ、祖父方ルーツは農民(葛西氏に見切りをつけ帰農)とばかり思っていたので、意外な気が致します。これによって作品のストーリーも変わってくる気が致します。そろそろ自分が投稿しているみちのく春秋の締切日が迫っていますが、まだ間に合うので、早速取り組みたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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コメント

No title

横町利郎様へ
伊達政宗は明らかに天下取り狙ってました。そもそも支倉常長は火薬をスペインから輸入する事が最大の使命です。伊達政宗が凄いのは。東南アジアルートでマカオから火薬を信長初め輸入しておりました。当時はマカオに火薬があると思っていたらしいのです。それを彼はそのもっと先を読んで。スペインこそが火薬を持っている。支倉はその外交特使として送られた人間です。これが成功していれば。おそらく今の日本も違った日本になったと思います。この外交に目を向けたのは戦国武将で伊達政宗だけです。これがダメと分かり。大きく方向性を変えて農作業の強化になる訳です。こんな人他にいませんよ。あらゆる方向性を考えていた。凄いに尽きる人です。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは 横町さん

更新お疲れ様です。

史料のおかげで横町さんのルーツのお立場がはっきりとしてきたのですね。
農家であるのと士族であるのとは、お話もかなり変わってくるでしょう。
少し霧が晴れた気分でしょうか。
これからも横町さんのルーツに纏わる文献に出逢えることを祈ります。
執筆、がんばってください。

URL | ヤスミン ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 不あがりさん
藩祖伊達政宗公のことを語って頂き痛み入っております。ところで今度石巻に行った際は是非川村孫兵衛の菩提寺の普誓寺を訪ねたい所存です。ここは自分のルーツがかなりの頻度で通ったに相違ないと考える所以にございます。恐らく法要を始め、何か困ったことがあれば、川村孫兵衛頼みだったに相違ないと察しております。

恐らく、普誓寺を訪ねれば次回の冬号の投稿も叶うと認識しております。本日は執筆に対して百人力の後押しを頂戴しました。改めまして、コメントを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

今晩は

資料探しが大変ですが 優れた資料を発見してそれにより
横町さんのルーツが違ってくる のですね
締め切りまで頑張って執筆してくださいね
ナイス☆

URL | 62まき ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ヤスミンさん
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という著名な言葉を残しましたが、それを思えば自分のルーツが例え士族であろうが、農民であろうがどうでもいいと捉えています。

但し作品のストーリーの構成では、はっきりと違って参ります。それは一族が仕えたとされる川村孫兵衛との結びつきが全く違う(もし士族ならば固めの酒を酌み交わした間柄であった)と考えるからです。
本日このに考えに至ったのはけして安易なものではございません。「歴史は大河の如く流れる」という世の普遍を見据えてのことにございます。

今回もお志を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 62まきさん
歴史を考察する際はなるべく多くの資料を調べる。これは史家に課せられた義務と認識しております。この資料と出合い、我がルーツは士族だった可能性が出て参りました。これはごく部分的なことではなく、大きな流れを見据えてのことです。

おはからいにより、本日も格別なる激励を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは

刀をクワに持ち替えて。。。
庄内藩でも幕末 下級武士は開墾に汗を流しました。
桑を植えカイコを飼い絹を作りました。
それが現代ではサムライシルクとして売り出されています。

横町さんの先祖も侍である確率が高いと思います。

URL | つや姫日記 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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こんばんは。
とても大きな発見に繋がる資料に巡り会いましたね。
今回の発見で作品の内容に変化があると思いますが
あらゆる方面に目を向け素晴らしい作品になると思っています。
締切が近いようですが頑張ってください。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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こんばんは!

祖父方ルーツの大川家が士族であった可能性は高い様ですね。この最初の一歩の一番難しい処がはっきりすると
ストーリーの出だしも決まり順調に進むのでしょうがそれも目の前の様に思われます。

新しい資料により変わったりして本当に大変でしょうが
大事な事であり完成度が高まるものと信じ長丁場に向かい頑張って下さい。

URL | suisyou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

原稿の締め切りに間に合うように、事実が分かって良かったですね。
伊達政宗は、耕地と野谷地を支給し、一定期間年貢を免除したのですね。考えてますね~
執筆頑張ってください。

URL | 布遊~~☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは~
執筆も〆切りまじかですね頑張って下さいねhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s166.gif">

祖父様のルーツも変わり色々と大変ですねhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s362.gif">

URL | ともたん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> つや姫日記さん
川村孫兵衛は農民を使って河川改修事業に臨んだとばかり思っていたのですが、そうでもなさそうです。考えて見れば農作業を休んでまで、この工事の労役につくこと自体が不自然なので、こうした家臣、陪臣を使ったと考えるほうが理にかなっている気が致します。

養蚕業は曾祖母の時代、自分の生家でも営んでいたと聞いています。本日もお志を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> joeyrockさん
足軽は別として、士族は鋤や鍬を持たないという先入観があったのですが、この資料を読み、この時代の仙台藩はこれがごく当たり前だったと捉えています。即ち、10石以下ともされば自給自足するしか生きる術はなかったと認識しております。恐らく我がルーツが川村孫兵衛に仕えることになった際、固めの杯を交わしたと考えています。

お陰様で、本日もお励ましを頂戴しました。執筆への大きな追い風になりそうです。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> suisyouさん
前回書いた関ヶ原の戦い前の帰農は自分の思い違いで、下級士族として頭領である川村孫兵衛に仕えたと考えるほうが自然(原戸籍調査で先祖代々の居住が孫兵衛の近くだった)と考えています。

従って本当に帰農したのは戊辰戦争の後、所領を大幅に減らされた後だったのかも知れません。昨日はストーリーに見直しを掛けましたが、これから更に精査の上練りこみたい所存です。

おはからいにより、本日も激励を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 布遊~~☆さん
一定期間における年貢の免除ですが、政宗公は新田開発において家臣のモチベーションを下げないよう思慮したのだと思います。我がルーツの大川家ですが、長州から来て北上川改修に携わる前に実績を残していた川村孫兵衛とは固めの杯を酌み交わしたと察しております。

こうしたことを考えながら、今からストーリーを練り上げたいと考えています。お言葉により本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ともたんさん
自分のルーツが士族授産を目的とした牡鹿原開拓事業になぜ関われたのか?この謎が解けてきた気が致します。即ち、その背後には仙台藩特有の制度(耕地と野谷地を支給し一定期間年貢を免除)があった所以にございます。

本日も厚誼を頂戴しました。お陰様で、格別なる追い風を頂戴しました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

お早うございます、

新しく発見した資料から今まで農民だとばかり思ってた
ルーツの大川家が士族であった可能性が高いのですね、
大発見でしたね、
当時は刀を鍬に持ち替えて開拓に励んでいたのでしょうね、
急展開の面白いストーリーになりそうです、

URL | 雲MARU ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

先祖に繋がる新たな情報ですね。
伊達藩の治世の特徴などから当時の
士族のあり方が見えてきているようで
一段と調査に熱が入りそうですね。

URL | ことじ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 雲MARUさん
返しコメントが遅くなり大変失礼しました。実質的に本日が文芸誌の締め切りゆえ、昨日は力が入りました。農民との違いは年貢の有無ですが、頭領の孫兵衛との固めの杯など意味が異なると考えています。

今回も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ことじさん
自分のルーツが川村孫兵衛(侍)に従った時点で既に陪臣(士族)となっている。そう考えるのはごく自然と察しております。
そういう意味でこの本との出合いは大きかったと捉えています。

本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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