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いまだに大津波の爪痕消えぬ石巻市
 石巻市は私の郷里でありかけがえのない地である。盆休みに入ったばかりの去る8月12日(金)、私は実家の墓の清掃を兼ねて、以前から懸案だった石巻の語源「巻石」の確認のためシェルパを走らせた。
 墓は70センチほど津波に浸かった跡があり、墓石には白くて異臭を放つゴミがこびりついていた。1時間近くかかってそのゴミを落としたあと、私は墓のすぐ近くを流れる大河旧北上川の河口近くの河畔を訪れた。
 ここは以前に何度も私のブログに紹介した仲瀬という旧北上川河口に出来た堆積によって形成された有人島である。
 ご覧の通り、3月11日に起きた大津波に飲みこまれた島は壊滅的ともいえる惨状を呈していた。(本当に心が痛む、見るに堪えない)

震災前の仲瀬をご覧になりたい方はことらをクリックしてください。
 旧北上川の加工間近な右岸の現況、ここは私が幼い時に父に連れられて来た港情緒あふれる場所でもあり、小学二年のときに図工の時間に船舶の写生に来た思い出深い場所である。
 ブルーシートと土納袋が目をひく。この辺はまともに大津波に襲われた場所である。

 津波の傷跡痛々しい老舗割烹「滝川」、平成二年、私は叔父から法事に招かれ、この由緒ある割烹で神妙な面持ちで親族と触れ合った。
 大座敷の真ん中に正座して四方の人全員に頭を深々と下げた法事の時の叔父の律儀さは今でも鮮明に覚えている。
 この時、私も叔父のような律儀な人間になりたいと思った。心から尊敬できる叔父であった。

 そして次に向かったのは石巻のシンボル、巻石のある住吉公園である。ここは志賀直哉の生家から200メートルほどの場所である。
 幼いころ私はこの公園に祖父や祖母、父に連れられて何度も訪れた。そういう意味でこの場所は私にとってのルーツであり、神聖な場所でもある。

住吉公園の位置を地図でご確認ください。
なんと、住吉公園では護岸のかさ上げ工事が行われていた。
残念ながら震災による沈下はここにも及んでいた。

以前から倒れ気味だった名松が、更に倒れているのが痛々しい…果たして巻石は?

名松の下にあるはずの巻石が水面に隠れて見えない…やはり巻石も川底と一緒に沈下したのか?これは私にとって大変なショックであった。

震災前の巻石をご覧になりたい方はこちらをクリックしてください。
やるせない気持ちを胸に実家があった横町(現千石町)を通って隣町の旭町に来た。
圧倒的に新興住宅が多い中で曲がり角に古そうな家を発見した。
今は無き実家の屋敷構えと重なったのだろうか?私は一瞬ほっとした気分になった。

そして旭町の隣町新田町、ここで古い遺跡のようなものを見つけシェルパを道端に停めた。

鳥居のない神社にも見えるがそれだけではなかった。

なんとここに江戸時代に鋳鉄場があったようだ。(石巻鋳鉄場跡)
生まれ育った実家の近くにこんな場所があるなんて意外である。

石碑、石灯籠が長い時の流れを感じさせる。

 現在の石巻市新田町の街並み、後で聞かされた話だが私が赤子の時に父に自転車に乗せられた私は、父が目を離したすきに(幼児用後付け座席)から動いて道路わきのどぶに落ちて大騒ぎとなり、あわてた父は外科、耳鼻科、眼科と私を連れまわったということがあったようだ。
幸いにも私はかすり傷ひとつ負わなかった。
 私は遠く過ぎ去りし日のことを思い浮かべこの街並みを見ながら感慨にふけっていた。

 水面から顔を出さない巻石を見て少し感傷に陥っていた私だが、石巻駅の近くにこんな中華料理店を見つけた。中華飯店「萬里」

無意識のうちに私の目はガンバレ石巻の文字にひかれていた。
メニューを良く見ると石巻焼きそばもあるようだ。よし、この店に入ってやろう!
B級グルメ石巻について知りたい方はここをクリックしてください。

昼時とあって店内はやや混んでいた。

 私が頼んだのは海老そばだった。(¥750)一度から揚げにした海老をあんでくるんで炒めた手間のかかった料理である。味は一口で言うとヘビーデューティー(重厚)である。
 非常に熱いので水をコップで9杯飲みながら50分近くかかってこの大物を一滴残らずたいらげた。料理が出てくる時間を合わせると1時何20分ほどこの店にいたことになる。

 帰りに思わず立ち止まって、見入ってしまったこの三角茶屋、立地もいい場所だが、古くて味のある建物であり、今度石巻を訪れる時のチェックポイントである。
 小学生時代、放課後にこの近所に住む友達を訪ねて行ったことがあった。その時のザリガニ採りは腕白盛りの私の好奇心をはなはだ刺激し、いまだに忘れることの出来ない思い出である。
 私は巻石の姿を再びこの目で見れる時が来ることを信じて仙台への帰路に着いた。

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