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 迎撃!そして死守! 
23.000の敵を向かえ打ち、山形を守った最上義。去る7月19日(火)高速バス
で山形を訪れた私は折りたたみ自転車をこいで、11時過ぎに山形城跡
のある霞城(かじょう)公園に到着しました。
※前編をご覧でないかたはこちらをクリックしてくださいhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29102036.html

矢印のついた赤線が今回私の進んだ順路です。お堀で囲まれている様子がわかります。

霞城公園の航空写真です。周囲は住宅地で囲まれているのがよく分かります。

山形城二の丸の説明ですが『日本で類を見ない優美で堅固な石垣』というところに注目です!

これがその石垣です。この微妙な曲線が優美と言える部分ではないでしょうか?
お堀の先の向こうに見えるのは山形駅周辺の高層ビルです。

これぞ日本の城の美しさと言えるでしょう。城の大きさは統治した大名の権力を表すものです。
どんな大名がこの城を、そしてこの山形の地を統治していたのでしょう?

その前に微笑ましい光景をお見せしましょう。この日は小学生の図工の授業でしょうか、城を題材に多くの小学生がスケッチに来ていました。楽しそうですね…(笑)

この通り、中庭にも小学生がスケッチに来ていました。

大手門内側からお堀に掛る橋を望んだカットです。

有名な一人の大名を紹介しましょう。最上義光(もがみよしみつ:1546~1614)です。

 
                    以下碑文より
 慶長5年(西暦1600年)の秋9月 怒涛の如く攻め寄せた上杉方の謀将直江山城守のひきいる2万3千余の大軍をむかえ 自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退してよく山形を死守した山形城主最上義光が決戦場冨神山にむかって進撃せんとする英姿であり 鎧兜は時代考証にとらわれず表現したものであります。
 右手にかざして持っているのは鉄の指揮棒で 清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光 と刻んであります。銅像をとりまく縁石は山形城三の丸をかたどったものであります。

城をバックにして進撃せんとする彼の英姿は逆境に負けんとする山形人の誇りと言えるでしょう。

こんなりりしい姿
の銅像は今まで見たことがありません;;

 次回の最終回は同公園の中にあった明治時代の洋館風の由緒ある建物「山形市郷土館」(旧済生館本館)を紹介します。お楽しみに!
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