fc2ブログ
        短編だが心に残る名作「トロッコ」
芥川龍之介は新原家の長男として、明治25年3月1日、東京市京橋区入船町に生まれた。


 彼の生まれた年は父が43歳の男の厄年、母が33歳の女の厄年であり、大厄の年の子であった。そしてこの当時の迷信に従って彼は形式的に捨て子にされ、母の兄である芥川家に引き取られた。これはたとえ形式的にせよ彼の人生に負い目を感じるものとなっていった。
 
 また龍之介の母は彼が生まれて一年後に発狂し、龍之介11歳まで狂人として生き続けた。母の発狂に龍之介は大きな衝撃を受け、自分が狂人の子であるという思いが遺伝を恐れる心に結びつき、彼の人生に絶えず暗い影を落とすようになっていった。そんな芥川龍之介が30歳のときに発表したのがこの作品、トロッコである。トロッコは大正11年3月に発表された。
 
            以下小説「トロッコ」より抜粋
 
 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外(はず)れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。

 トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後にたたずんでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。あおるように車台が動いたり、土工のはんてんの裾すそがひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある…
 
 土工になりたい。そう思うほど良平はトロッコに憧れていた。そんな彼にある日願ってもない好機が訪れた。
 
                  …中略…

 その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコのほかに、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。
 
 良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易(やす)いような気がした。「この人たちならば叱られない」――彼はそう思いながら、トロッコの側へかけて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
 
 その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、うつむきにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。「おお、押してくよう」良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。「われはなかなか力があるな」他の一人、――耳に巻煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。

 土工にほめられ、しかもトロッコを押す夢も実現して良平は有頂天だった。しかしそのうれしさはここから不安へと変わっていくことになる。
 
                    …中略…
 
 土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこう云った。「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」
 
 良平は一瞬間あっけにとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日のみちはその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。
 
 良平はほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、すべってもつまずいても走って行った。
 
 やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
 彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。
 
 その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。ことに母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、すすり上げすすり上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。
 
 父母は勿論その人たちは、口々に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路をかけ通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら…
      
                   以下読後感想
 
 皆さんも昔こんな経験はなかっただろうか?三島由紀夫はこの作品を好意的に「日本独特の作文的短編」と評した。確かに作文に毛のはえたようなものかも知れない。だがその文中には臨場感あふれる少年の心の移り変わり(トロッコへの好奇心、憧れ→夢にまで見たトロッコを押せる喜び→暗くなりかけてから「われ一人で帰りな。」と言われた絶望感→助かりたい少年が必死で暗闇の中を恐怖と闘いながら走り続ける心境→無事に父母のもとに戻った安堵感)が見事に描かれている。
 
 この小説は小学校の教科書にも取り上げられている。数十年を経た今、「トロッコ」を読み返してみたがまるで自分がトロッコを押して良平になりきった感覚を誘い、読者をこの作品の中に取りこんでしまう芥川の魔術を改めて感じざるを得なかった。
 
 私自身も小学校二年の時にある日の放課後、自転車で遠くに住む友人を訪ねたことがあった。ザリガニ採りに夢中になり、帰ろうとしたときに周囲が真っ暗になっているのに気づき、不安になってべそをかきながら自宅に戻り、帰宅してからひどく母親に叱られた思い出がある。
 
 この小説を今改めて読み、当時の幼かった私を回想するとともにあの日の期待→不安→帰宅してからの安堵感の心の移り変わりがまるで昨今のように思い出される。そして本作は小学校六年の時に生まれて初めて、小説の持つ不思議な魅力を私に教えてくれた作品でもある。シンプルな飾り気のない作品であるが、この短い文章の中に移り変わる少年心理を見事に描いた芥川の非凡さに改めて敬意を表したい。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)