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武蔵野の林に一日中たたずみ、その妙に浸る。
国木田独歩(1871~1908)は日本の自然主義文学の草分け的存在の一人である。


代表作の一つ「武蔵野」



時は今から約110年以上さかのぼる。
1898年、まだ自然がいっぱい残っている武蔵野(東京近郊北部~埼玉県)が舞台である。


 
この古地図を良く見て欲しい。そして現代の地図と見比べて欲しい。古地図は1856年(安政3年)ころの武蔵国のものである。独歩が武蔵野を散策したのはこの地図が描かれた42年後のことである。
 
関東首都圏の大部分を占める武蔵野だが、当時は現在と違ってなんと一面の萱原が広がっていたのである。



戦災による空襲と戦後の復興、発展目覚ましい現在の関東平野部(首都圏)の航空写真。
残念ながら萱原、野山の広がる当時の武蔵野の面影はほとんどない。



当時誰も脚光を浴びせなかった武蔵野の雑木林、田舎道に感動し、絶賛した国木田独歩。
自然と人工の織りなす妙…林は楢などの雑木で人家の周りに構成され落葉樹が多く秋には色とりどりの紅葉が見られる。昔一面に広がっていた萱原はうねって変化に富んだ野を形成している。毛細血管のように複雑に絡み合う田舎道、しかし彼は道に迷うのを恐れてはならないと文中に記している。茅葺屋根の農家の屋敷の点在…110年以上前ののどかな関東平野の田舎に脚光を浴びせ、これらを詩情豊かに描写した名作「武蔵野」


               
以下小説「武蔵野」より抜粋
 
「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。
 
自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。

さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。多分同感の人も少なからぬと思う。昔の武蔵野は萱原(かやはら)のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。
 
すなわち木はおもに楢(なら)の類(たぐ)いで冬はことごとく落葉し、春は滴(したた)るばかりの新緑萌(も)え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞(かすみ)に雨に月に風に霧に時雨(しぐれ)に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈(てい)する。
…中略…
 
 秋九月中旬というころ、一日自分が樺(かば)の林の中に座していたことがあった。


                    
読後感想
失恋後の失意のうちに出会った武蔵野の懐に抱かれ、独歩はその傷んだ心を癒されていく。彼は武蔵野の林の中に一日中、座してでもその雑木林の妙に浸ろうとした。そして武蔵野の文中に出てくるが、ロシアの作家ツルゲーネフ(1818~1883)の「あいびき」(訳:二葉亭四迷)から大いに感銘を受けた。
 
その昔、武蔵野の自然と人工の織りなす美しさに気づいた人は独歩以外にもいたはずだ。しかしその感動を独歩のような長文にして表現した人は誰もいなかった。作家や作品のことを評するのはたやすいが初めてそれを描くのは大変な困難が伴うはずだ。その名の通り己の思うがままに独自の道を歩んだ独歩、困難に立ち向かってこの大作を書き上げた彼の非凡さと熱意に今改めて敬意を払いたい。
 
何を隠そう私もこの彼の作品に影響を受け、以前から武蔵野とやや似た地域に興味をもっており彼のように散策をしようとしていたのである。その地域は今は原発事故のために立入禁止となってしまった福島の浜通の「常磐地方」である。照葉樹林が広がり、東北では唯一落葉樹が多いこの地方に独歩が訪れた頃の武蔵野を重ねる。
 
「武蔵野」を読んでから私も彼のように常磐を題材にこの地域を描写してみようとした。それだけにこの事故は残念であった。再び美しい常磐が戻ってくる日を信じたい。そして自分も独歩のように自然と人工の織りなす妙にどっぷりと浸りたい所存である。
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