fc2ブログ
 The Beatles - Penny Lane 

リンク曲について
ビートルズのペニー・レインは非常に軽快なリズムの曲である。ペニーレインはビートルズのメンバーの出身地である。この曲には彼らのリバプールへの郷土愛を強く感じるとともに、正統派として王道を行く、音楽的な才能を改めて感ずる気がする。

※リバプールの街中に立つビートルズの銅像(インターネットより)



司馬遼太郎が「街道をゆく」取材の為に英国とアイルランドを訪れたのは1987年(昭和62年)のことであった。実際に彼が書いたのは『愛蘭土紀行』であったが、本日はもう一つの取材地であるブリテン島のリバプールにスポットを当てたい。



先ずはこの地図(インターネットより)をご覧願いたい。国家としては
❶イギリス
❷アイルランド
の二つに分かれるブリテン島とアイルランド島であるが、区分としては五つに分かれる。このうちイングランドと北アイルランドは同じ国家となっている。ラグビーの国際試合となると北アイルランドとアイルランドは一体となり、非常にややこしい印象を受ける。これは先住民族であるケルト人と後からドイツ北部から移住してきたアングロサクソンとの民族抗争によるものである。



この時の司馬のスケジュールはかなりタイトなものであった。3月23日に飛行機でロンドンに到着した司馬はケンブリッジなどで講演をする為、ブリテン島(イングランド本島)には一週間ほど滞在した。リバプールに着いたのはイギリスに渡ってから6日後の3月29日のことであった。司馬はこの時、ロンドンで夏目漱石の留学を偲んでいる。漱石はこの時の孤独が祟って精神を病む原因となった。(躁鬱病を発症)但し、そのことが後に彼の文才を開花させる大きな要因ともなった。



リバプールはイギリスではロンドンとバーミンガムと並び最も人気のある年である。超高層ビルも建ち新旧の建物が入り乱れているが、リバプールの住民の約40パーセントはアイリッシュ(アイルランド系)であるという。実はビートルズの4人のメンバーのうち、3人がアイルランド移民の子孫であるという。

※画像はインターネットより


18世紀後半の産業革命で大きな役割を果たしたのが大工業都市・マンチェスターであったが、その工業製品の積み出し港を担ったのがリバプールである。ここは地理的にアイルランド島にも近く、物資とともに多くの移民や奴隷がここから渡航していったという。民族紛争で敗れた民族は時として侵略を許さず勇敢に戦い独立を勝ち取ったが、不幸にして奴隷となった者もあった。司馬はそんなリバプールに港町特有の哀愁を感じた。

※画像はインターネットより

横町挨拶
恥ずかしながらビートルズを生んだ町がリバプールであるのを始めて知りました。司馬は仕事柄、音楽にさほど触れる機会がなかったようですが、ビートルズに関することはこの作品の中で書いています。ブロ友様の皆さん、ビートルズの曲はお好きでしょうか?自分は以前はローリング・ストーンズを好んで聴いていましたが、今はビートルズの曲も好きになりました。

個人的にイマジンなどは惜別に相応しい曲と受け止め、人事異動の季節である春先や故人を偲ぶ際によく聴きます。数十年前の学生の頃、こうした指向がなかったわけではありませんが、耳によく馴染んできたのは五十代後半を過ぎてからです。それだけ自分も人間的に丸くなってきたのかも知れません。それとリバプールは港町で、規模こそ違いますが自分の出身地の石巻と重なるものも感じています。

司馬遼太郎のこの作品『愛蘭土紀行』は題名通りアイルランドのことをメインとした作品ですが、敢えて拙ブログでは「英国」で一区切りさせて頂きます。アイルランドのことは日を追って記事に著して参りたい所存です。ところで、司馬遼太郎の「街道をゆく」は国内の街道のみに留まっていません。

実は自分は「郷土史家」と言われることを好みません。それは自分の見据えねばならない歴史の対象はけして郷土のみでないと考えるからです。アンテナを広げる対象は日本史だけでもない。やはり世界史までその範囲を広げてこそ、哲学との接点が見えてくると捉えています。そんな自分にとって今回の司馬の作品との出逢いは大きなインパクトがございました。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。



関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)