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          過ぎ去りし少年時代のよき思い出
 多くの作家は自分の生い立ちともいえる少年時代を描いている。死の棘などの名作を残した作家島尾敏雄(1917-1986)もその一人である。
 
 島尾は戦中特攻隊に所属し、出撃することなく戦後を向かえその稀有なる経験を「出発は遂に訪れず」に著した異色の作家でもある。
 
 また彼は『いなかぶり』という作品の中で祖母と過ごしたかけがえのない自分の少年時代を描いている。(下記の本は現在は絶版のため、オークションで入手)

 横浜生まれだったが、両親の実家が福島県の小高町(現南相馬市小高区)だった島尾は少年時代の多くを祖母に預けられて、ここで過ごしている。
 
 彼が祖母と海水浴に行った村上海岸は護岸工事が施されているが、現在でも海水浴場になって当時の面影を偲ぶことができる。
 
 実は私も似た経験があり、島尾少年と同じ年のころ夏休みに親の実家である石巻に行って、いとこと毎日海水浴に行った思い出があった。
 
 また小高は私のゴルフのホームグランド(小高ファミリーゴルフクラブ)があり、よく訪れる地で親近感を感じる土地柄でもある。
 
※護岸工事が施された近年の村上海岸

村上海岸を北側から撮影した写真だが、右側の断崖に注目して欲しい。

 崖のアップであるが、島尾は『いなかぶり』の中でこの崖を【はたて】(注釈:果又は尽…地が果てる場所という意味)と表現している。
 
※以下本文より抜粋…そこははたてであった。小さな丘が海の真上でぶち切れていた。丘の鼻は日に日に風雨や波濤に至食され、真新しい崖肌をあらわにして、そそけだっていた…
 
 ここで島尾少年こと思無邪(しむや)少年は祖母とともに危うく波にさらわれそうになった。ここで先に難所のはたてを通過した思無邪は足腰の弱った祖母の手を引こうとしたが、未熟な彼にはそれができなかった。結局二人とも無事にはたてを渡って村上海岸に行き着くことができたが、思無邪には心の葛藤(祖母をじれったく思う気持ちと手を貸してあげたい気持ちへの後悔)があった。
 
 そして午後の村上海岸はいつものようになにごとも無かったように真夏の陽光を二人に投げかけた…

※再度本文より抜粋
 帰途の道は長い。防波堤のかげの陽だまりに寄り合った竹垣の多いほし魚くさい村上部落を通り抜けて土橋を一つ渡ると、見渡す限りのたんぼが、阿武隈山脈の山のふところあたりまで続いているのが眺められる。青くさい稲の匂いがむんむんしている。

 はるかのかなたに鉄道線路(※注釈:常磐線を示す)の土手が視界を左右に走っていて、その線路にからみあって見える集落やシグナルや陸橋のある停車場の構え、そこに起点を置いている街のたたずまいとその屋根屋根、煉瓦工場の煙突などが、青稲の波のそよぎの向こうのほうに、平べったく、耳の遠鳴りに似たはるけさで置かれてある。思無邪はそのあたりまで、歩いて帰らねばならない。…

                     読後感想byミック
 
 付近に文学碑などはなかったが、85年くらい前に島尾が通ったと思われる付近を通ってみた。故郷は違っていたが、彼に対しての追想とともに私自身の少年時代の思い出がよみがえった。
 
 私も少年時代に祖父や祖母に手を引かれて行った光景は今でも忘れない。しかしはたてでの島尾少年と同様に未熟な私も祖父、祖母を敬い手助けする気持ちに欠けていたのかも知れない。
 
 祖父や祖母から受けた恩を返そうとしたときには二人はもうこの世にはいない。
少年時代の思い出は懐かしさ、楽しさとともにほろ苦さを伴う私の昨今である。
※幼い時の祖父母への思慕を描いた自作小説『祖父からのメッセージ』へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/23139406.html
 
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