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本日は私が生まれた場所である石巻市横町の昭和26年の或る日の写真を紹介したい。背景の山から、ここが自分の生まれた横町であるのはほぼ間違いないと思っている。或いはここは自分の生家に近いところなのかも知れない。遠い記憶の中に生家の前の道路(横町:現千石町)の午前中の日の差しかたが、こんなふうだったのを微かに記憶しているのである。

ジョージ・バトラー氏の手によって自分が生まれる数年前の横町が彼の手によってカラー写真で撮影されたのは、何かの因果?とも捉えている。三つ子の魂百までもという言葉があるが、私はこの写真を見る度に、在りし日の祖父母や父、叔父の姿が瞼に浮かんでくるのである。

この写真を撮影した人物を紹介したい。米軍軍医のジョージ・バトラー氏(故人)である。彼にとっては朝鮮戦争時、一年に満たない日本進駐であった。彼はこのとき松島基地に駐屯し二千枚近くの写真を撮影している。誠実を絵に描いたような在りし日のジョージ・バトラー氏だが、彼の遺志(彼はこの進駐を経て大の親日家になった)は御子息であられるアラン・バトラー氏によって受け継がれている。アラン・バトラー氏はMIYAGI1951https://www.miyagi1951.com/と題して、インターネットで尊父ジョージ氏の撮影した写真を発表したのである。この写真が我が宮城で大変な反響を呼んでいるが、これは震災前の古き良き時代の宮城県沿岸部の様相を、カラー写真(当時の日本にカラー写真はなかった)で撮影したことによるものであるのが大きいと私は受け止めている。

これは昭和34年の石巻の地図である。写真のほぼ中央に走っている通りが私が生まれた横町である。横町界隈は飲食店も多く、かつての港町特有の歓楽街の名残を感じさせる気がする。

写真が撮影された頃とほぼ同じ頃の石巻の地図である。(今昔マップより引用)蛇行する北上川にこぶのように突き出した地域(袋谷地)に注目して頂きたい。今は住宅が密集する地域が六十数年前まで水田が広がる長閑な場所であった。それと自分の祖父かたルーツである大街道地区(左側)は今とは違い農地が広がる豊かな場所であった。

横町挨拶
自分の人生を振り返り、幼少期と少年期という人生で最も多感な時期を過ごしたのは紛れもなく石巻でした。幼少期の石巻の思い出として脳裏に微かに甦るのは冬の日の思い出です。石巻の冬は内陸部ほどでないにしろ、結構冷え込みます。腕白坊主だった自分はそんな寒い日に実家の庭で祖父が飼っていた鶏を見ていました。最初のうちは鶏が怖かったのですが、或る日祖父がつぶした鶏の亡骸を見てショックを受けたのをはっきりと記憶しています。今思えば祖父は家族の為に鶏を殺めたのでしょうが、殺めるところは絶対に私に見せなかった。そんなところに私は祖父の優しさとダンディズムを感ずるのです。

私の記憶では、祖父が孫の自分に弱みを見せたことはたった一度たりともございませんでした。これは祖父が軍人上がりというものだけでなく、曽祖父から受けた厳しい教えがあったからに他ならないと捉えています。自分はそんな祖父を限りなく敬愛しています。還暦を過ぎた今でも夢の中で会いたい人物が祖父です。そんな気丈な祖父を察し、我がルーツには葛西家臣から続く下級武士の血が脈々と流れているのを感じるのです。下級武士の強みは雑草の如く「踏まれ強く、再生力に秀でている」ことです。自分が四十代後半に欝を患い、復帰できたのはそんな祖父の血を引いているからなのかも知れません。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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