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仙台藩主、伊達政宗家臣支倉常長
今から約400年前、彼は伊達政宗の命を受け、1613年、180人の使節団を率いてヨーロッパに渡りました。目的はスペインと仙台藩との直接貿易の実現、もう一つは政宗の天下取りの野望(日本の30万人キリシタンの力を借りて徳川幕府を倒す。)でした。
ところが、幕府のキリシタン弾圧でこの交渉は失敗に終わりました。そして7年後の1620年、支倉は失意のうちに帰国、翌々年没したと伝えられます。
しかし…

これには異説がありました。1622年に没したとされる支倉は、人目にふれない山中にかくまわれて静かな余生を送り、隠遁生活のうちに84歳の天寿を全うしたという説です。(前回、支倉常長の墓として訪ねたのは仙台市内の北部にある光明寺でした。)

宮城県大郷町の山中にある支倉常長メモリアルパークを先日訪ねました。メモリアルパークの見取り図です。右が義弟の墓、左が支倉常長の墓です。

少し行くと支倉六右衛門常長の墓の墓標が建っています。さあ行ってみましょう。

この階段を上ったさきに支倉常長の墓があります。

これが支倉常長の墓です。かくまわれただけあって目立たずにひっそりと建っていました。

メモリアルパークに建つ支倉常長の銅像です。伊達政宗の家臣として時代の波に弄ばれて数奇な運命をたどった(異教徒として家系断絶にされた)支倉常長ですが、私も心情的には彼がかくまわれて静かな余生を送ったほうを信じていたいと思います。
(家系断絶にあった支倉家は長い年月の後、許されて復活、彼の子孫はその後も生存!)
彼は私の尊敬する人物でもあります。
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