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はしがき

平成17年冬、初めて単身赴任を経験した私にうつの病魔が襲いかかった。自分だけはうつにならない…という考えはもろくも崩れ去った。この作品は私のうつ病との壮絶な戦いと、自らの使命に命をかけた一人の数奇な運命をたどった侍の対比を描いたノンフィクション小説である。

ノンフィクション小説「支倉常長と私」前編

第1章『一人の侍がたどった数奇な運命』

西暦1615年11月3日、侍はローマ法王の前にひざまずき、その足に接吻しようとした。それは侍である彼がキリシタンに入信した証でもあり、ある交渉を何が何でも成功させようとした強い思惑が絡んでの行動であった。。

写真:ローマ法王の前にひざまずく支倉常長



ローマ入市式を前に貴族の称号を受けた侍には、例え命と引き換えにしても是非とも果たさなければならないある使命があった。

侍の名は支倉常長(はせくらつねなが)、仙台藩主伊達政宗の家臣である。当時徳川幕府から江戸城築造などの普請を課せられた伊達政宗は慶長18年(西暦1613年)春、500トンにも及ぶ巨大木造船の建造に着手した。目的は自藩とヨーロッパとの直接貿易の独占と、日本のキリシタン30万人の力を借りて幕府から天下を奪うことだった。

船の建造には優秀な船大工が動員され、スペインなど当時の最先端の造船技術が注ぎ込まれた。この船は海賊襲来に備えて両舷に大砲を設置した極めて戦闘能力の高いガレオン船で「サンファンバウティスタ号」と名づけられた。

写真:武装したガレオン船、サンファンバウティスタ号



サンファン号の建造中、伊達政宗はお忍びで現地(宮城県石巻市牡鹿半島月ノ浦)を訪れその意気込みを常長らに語った。「わしの目の黒いうちは家康殿の好き勝手にはさせぬ。必ず天下を取ってみせる。そのためには今回のイスパニア(スペイン)への使節派遣を必ず成功させるのじゃ。常長よ、おぬしは伊達者の名に恥じぬように、イスパニア(現スペイン)の国王に臆することなく堂々と渡り合ってくるが良い。ただし物腰は丁重にすべし。」

写真:左 支倉常長、右 伊達政宗



慶長18年(西暦1613年)9月15日、支倉常長(副史)ルイス・ソテロ(注釈:キリスト宣教師。キリスト教弾圧を逃れて伊達政宗に仕える。今回の使節団派遣では伊達藩とイスパニアとの橋渡し役を演じ、正史を務めた)率いる慶長遣欧使節団総勢180人はサンファンバウティスタ号に乗って仙台藩牡鹿半島月ノ浦(現石巻市)から太平洋へと出帆、最初の目的地であるメキシコのアカプルコを目指した。

季節風を利しての航海は当初、順風満帆だったが、3ケ月に渡る太平洋の航海でサンファン号は数度の嵐に遭遇した。

その中でも最大級の嵐(大しけ)がサンファン号の行く手を待っていた。そして嵐に遭遇すると500トンの巨大木造船とは言え、サンファン号は木の葉のように揺れ大波にもてあそばれた。

写真:嵐に遭遇して木の葉のように揺れるサンファンバウティスタ号



狂ったような大しけの中、闇の中で幾度も大波を受けて船が転覆しそうになったとき、スペイン人の司令官ビスカイノは「船が沈むから積荷を捨てろ!」と叫んだ。

これに対して支倉は「積荷は殿(政宗公)から預かった大切なものである。その積荷を捨てることは殿に対しての反逆とみなす。そういう者はこの場で成敗いたす。」と刀を抜いた。

写真:刀を抜こうとする支倉



宣教師のルイス・ソテロが「支倉様、血を流すのはおやめください」と言ってなだめたため、支倉は刀を鞘に納めた。支倉にとって主君政宗の命令は自分の命より大事なものであった。

積荷を捨てるくらいなら船と一緒に海に沈んだほうがましだと思った。支倉は忠義深く誇り高い侍であった。そしてなによりも今回の使節団派遣が伊達家の命運をかけた一大事業であり、自分の命とひきかえにしても達成しなければならないと考えていた。

90日間の太平洋横断の航海の後、アメリカ大陸(メキシコ)が見えた時、水夫から大きな歓声があがり、礼砲が放たれた。一時は対立した支倉とビスカイノであったが、ビスカイノから握手を求められた支倉はこれに応じた。

写真:一時は支倉と対立したスペイン人司令官ビスカイノ



しかし常長にとってこの太平洋横断は通過点に過ぎなかった。支倉の頭の中は早くヨーロッパに渡ってイスパニア(スペイン)国王との交渉に臨むことでいっぱいだった。

メキシコでつかの間の安堵に浸った使節団一行は、陸路を経て大西洋を別の船で横断、スペインに到着した。そして慶長20年1月2日(西暦1615年1月30日)に、ついにイスパニア(スペイン)国王のフェリペⅢ世と謁見を果たした。

写真:フェリペⅢ世肖像



「奥州の王(伊達政宗)はその領土を陛下(フェリペⅢ世)にささげる…」と支倉は語った。これに対して国王の答えは単なる挨拶にとどまった。

その後、交渉は難航した。支倉はイスパニアから交渉をことごとく先延ばしにさせられていた。当時徳川幕府のキリシタン弾圧で使節団には逆風が吹いていたのである。
追い込まれた支倉はソテロを通じてキリスト教総本山のローマ法王の後ろ盾をとろうとローマに向かった。

ローマに向かう途中で支倉はキリスト教の洗礼を受けた。(洗礼名ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ)

写真:キリスト教の洗礼を受け、敬虔な祈りをささげる支倉常長



ローマで法王から贈られた高貴な絹の着物を羽織った侍は貴族の称号が与えられ、馬に乗って堂々と使節団を率いた。そして華々しくローマ市民の歓迎を受け入市式が行われた。それは支倉の人生でもっとも光り輝いた場面でもあり、大変な名誉でもあった。

写真:ローマ市民の歓迎を受ける支倉常長と使節団



そのような場面で「私の足に接吻する必要はない。」と法王から告げられたのは侍にとって大きな意味があった。それは侍が命がけでこの場に臨んでいることがあきらかであり、侍に敬意を表しての慈悲深い言葉だった。
しかし法王からは(スペインとの交渉の)後ろ盾になるとの返事はもらえなかった。…支倉は目的を果たせないまま失意のうちに、日本に帰国した。

歴史にたらればはないが、キリシタン弾圧の背景がなければ、大きく歴史が変わったかも知れない出来事であった。
時代の波に弄ばれたかのような支倉常長の人生だったが彼自身に恥ずべきものはなにもなかった。

伊達家にとって使節団派遣は失敗に終わったが一人の侍の7年に及ぶ奮闘は後世にも語り継がれ、使命を最後まで果たした侍としてたたえられ、今でも偉業と言われている。

第2章『うつ病との壮絶な戦い』

支倉常長を尊敬する男は家族に依存するという心の弱みがあった。その弱みにうつの病魔は容赦なく襲い掛かった。2005年12月、家庭不和、家族への依存、転勤による極度の不安から男は出張先のあるウイークリーマンションの一室で精神的に追い込まれていた。「ここから飛び降りたら楽になれるかも知れない…」

男の心には暗雲が立ち込めていた。『子供の顔を見れなくて寂しい。家族は大丈夫だろうか?ひょっとしたら家庭を失うかも知れない。』…家庭の状態が不安定だと男は仕事にはなかなか打ち込めないものである。しっかりした家庭は仕事を行う上での強固な足場と言っても過言でない。

そのような中で12月の初め、男ににかつてない異変が訪れた。まず思考力、集中力、判断力が著しく低下してきた。男は建築の技術の仕事をしていていたが、図面をチェックしたり工程を組むこともできない状態になっていた。現場事務所に巻尺を取りに戻っても事務所に行くと何をしに来たのか忘れるような状態だった。

夜の寝付きは問題ないのだが、深夜に目が覚めると最悪の結果だけを考えて前向きな考えにならず、不安を抱いたまま毎日朝を向えた。食欲も落ち、正直言って仕事場に行きたくないと思った。

『いけない。自分はうつ病でないのか?このままでは会社に多きな迷惑をかけてしまう…』しかしなかなか答えは出なかった。男の精神状態は日増しに益々悪化していった。

電話をかけて、会社から上司や応援部隊が駆け付けて大騒ぎになった…引き継ぎも満足にできずに男は失意のうちに精神病院に駆け込んで一命を取り留めた。そして会社を一カ月近く休んだ。

自分が情けなかった。会社に戻っても合わせる顔がなかった。そして思考スイッチが切り替わったように全ての事に不安を抱いて、物事をネガティブに考えるようになった。会社を辞めることも考えたが家族や住宅ローンのためにそれもできなかった。

そしてうつ病の回復にはかなりの時間(2年半)がかかった。最初のうちはテンションが上がらず休日は朝から晩まで家で寝ていた。また回復期にはそううつ病にもなり、そうの状態のときはテンションが上がりすぎて、周囲に迷惑をかけた。しかし一番恐ろしいのがそうからうつに変わる時だった。なにか崖から突き落とされるような恐怖感、絶望感が男を襲った。でも家族のために絶対に死ねない。男は薬を飲んで歯を食いしばり恐怖と闘った。

なんでもネガティブに考え、最悪の結果だけを思い浮かべて『自分はどう思われているんだろう?もはや会社は自分を必要としていないのでは?…』周囲からの目が異常に気になり、一層本来の自分を失いパフォーマンスを低下させ悪循環に陥った。

再び仙台に戻された男は、2007年夏に始めたゴルフをきっかけに徐々に回復、2008年になってようやく病状が落ち着いて寛解(注釈:精神医学用語でうつ病の症状が落ち着くこと)に至った。

後編に続く

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